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第1話 第04章 鈴鳴村の怪

 玄幽が手にした『鈴鳴村怪異録』、物語の内容を完結に記せば、以下の通りである。



 ――かつてこの鈴鳴の町に、とても綺麗な娘が住んでいた。

 名を多恵(たえ)といい、年の頃十七、今が盛りとばかりに溢れ出る美しさながらも、本人は至って謙虚なもので、その器量の良さから小町と評判になり、近隣の村々に知らぬ者はいないという大騒ぎをされた。

 

 やがて様々な求婚の嵐をかいくぐるようにして、多恵は村の侍と恋に落ちる。

 この侍というのが村を取り仕切る武家の一人息子で、名を()()衛門(もん)といい、村一番の男前、武術の腕も一流、そしてその性格の良さまでも、何をとっても文句の付けようのない男であった。二人はまさに相思相愛といった様子で、縁談は実にとんとん拍子で進んだのだった。


 しかし物事は順風満帆にはいかない。

 多恵も与衛門も謙虚で実直であったが、二人はどうにも目立ちすぎた。目立ちすぎれば視線が集まる。幸せがあれば妬みも生じる。人間の負の部分といえばそれまでであるが……。


 この幸せそうな二人を、実に恨みがましい目で見つめる、一人の女がいた。


 その女は名をおみきといい、江戸生まれの江戸育ち、生粋の江戸っ子であった。元はお武家の三女で、江戸では小粋を通したものの、家が落ちぶれ、鈴鳴村などという偏狭の地に落ち延びざるを得なくなってしまった。

 無論、片田舎の水飲み百姓との結婚など、おみきには我慢できるはずもない。おみきは、与右衛門との結婚こそ唯一の、最後の希望と、それと分かる程激しく、何度も迫ったのに、派手物嫌いな与右衛門は一向に相手にしなかった。

 そんな与右衛門に苛立ちを募らせていたところに、この多恵との縁談話である。


 ――なにさ、このあたいを差し置いて、あんな小便くさい田舎娘と!


 おみきは決して不美人というわけではなかった。否、むしろ誰もが認める美人であった。

 色白の肌に化粧は欠かさず、都会者の垢抜けた妖艶な容姿に、村の男たちは釘付けになっていた。


 それ故、であろう。おみきの怒りは収まるところを知らず、それは二人の婚礼の儀が近付くにつれて高まっていった。

 傷つけられた女のプライドとはさながら振り上げた拳に近く、収まりどころを見つけなければ、自然に消えるというものではない。

 そしておみきの怒りは、容易に想像できないほどに高らかに燃え盛ってしまっていた。


 不幸なことに。


 さて婚礼の儀の前日となったある雨降りの晩、おみきは多恵を村はずれの井戸に呼びつけた。

 もちろん、誰にも知らせるなと念を押して――。


 雨は激しく、提灯の明かりは数歩先も照らしてはくれなかった。

 昼間でさえほとんど人のやってこない場所に、こんな雨の晩に誰がやってくるはずもなかった。


「――おみきさん?」


 薄暗がりにぼうっと佇む提灯の明かりが照らすおみきの白い顔に静かに恐怖しながら、多恵は声をかける。

 その声を聞いてゆっくりと面を上げたおみきの顔に、表情はなかった。


「お多恵さん、わざわざこんな晩に来てくだすって――ねぇ、婚姻の前晩だってぇのに、本当に済まないねェ」

「はぁ……、それで、どういったご用件でしょう」


 おみきは見事な朱塗りの傘を、多恵は地味な灰色傘を頭上に広げていた。多恵は水飲み百姓の娘、高価な身なりをしたおみきの前では服装の素朴さが目立ち、またそれ故に、多恵の秀麗な容姿がありありと浮かびあがるのだった。

 おみきはギュッと唇をかみ締める。


 ――この女が、いなければ。


 直後である。


「あんたみたいな()(いぬ)はねぇ、井戸の底にでも沈んでるのがお似合いだよっ――!!」

 素早い動きだった。

 おみきは傘を投げ捨て、多恵の帯に手をかけると、井戸の淵に押しやり、一気に多恵を井戸の幽暗(ゆうあん)の中に放り込んだ。

 そのような事態を予想していなかったためか、またあまりにあっという間の出来事だったためか、多恵はほとんど抵抗することも敵わず、井戸の中に消えていった。

 無言の内に。


 枯れ井戸だったのだろう、多恵が底に落ちる惨たらしい音を聞き届けるや、おみきは笑った。

 それはさながら鬼の形相であった。


 ……一夜明けて。

 当然、村は大混乱に陥った。

 婚礼の前日に娘がいなくなった両親は村中を狂ったように走り回り、村人総出で鐘や太鼓を打ち鳴らしての大捜索を行った。はて、狐に取られたか自ずから逃げ出したか……、姿どころか亡骸さえ見つからぬ以上、もう村人たちに手立てはなかった。

 もちろん婚礼の儀は取りやめになり、やれ武家に恥をかかせたなと多恵の両親は村を追われた。おみきはここぞとばかりに、すっかり落ち込んでしまった与右衛門を励まし、騙しすかして虜にせしめた。後悔の念も、懺悔の念も、その白粉で厚く塗られた顔にはなかった。多恵のことには一切触れず、与衛門の傷口を優しく包むように寄り添い続けたおみきに、彼はあっさり心を奪われてしまった。

 その一年後、与右衛門とおみきは婚礼の儀を遂げる。


 その頃からである。

 街に妙な噂が流れ始めた。

 朱塗りの傘を差して歩くと、得体の知れぬものに出会うという。


 雨の降る夜半、真っ赤な傘をさし、娘がひとり家路を急いでいると、ふと前方に提灯の明かりがある……。

 こんな時間に誰ぞ――と不審に思うも、ほかに道はない。

 娘は小走りでその人物の前を通り抜けようとするが、不意に傘をはっしと掴まれて、中を覗かれる。

 傘の中を覗き込んできたものの形相に、娘は言葉を失う。


『……違ァう……』


 それは、骸骨髑髏に黒髪がぼうぼうと生えただけの、人ならぬ魔物であった。

 低く、地を這うような声に、娘は気を失って雨の地面に崩れ落ちる……。


 その魔物は、朱塗りの傘をめくっては、これも違う――これもだ――と呟き、物悲しそうに闇に溶け込んで消えていくのだという。

 人はそれを多恵の幽霊だと恐れ、街外れに祠を築き、彼女を手厚く祀った。



 …………。



 そこで話は終わっていた。

 よくある怪談話とはいえ、なんとも後味の悪い話だ、と玄幽は深くため息をつく。


 ――まあこれはこれで資料として使えそうだ。


 玄幽が本を本棚に戻そうとしたところに、ひらり、と小さな紙片が舞い落ちた。

「ん」

 慌てて玄幽はそれを拾い上げる。それは今眺めていた本のページに挟まっていたもののようであった。

 このような古書、民俗資料館に入っていてもおかしくないのだ、粗末に扱うことは許されない。


「……なんだ? これ」


 その紙片は――長方形の細長い紙であった。何か文字が書かれているが、紙片がかなり劣化している為、玄幽にはほとんど読み取れなかった。

 ただ、なんとなく御札のように見えるな、と玄幽は思った。

 でも、なぜそのようなものが挟まっているのかが理解できなかった。何かの拍子に紛れ込んだのだろうか、あるいは本に信憑性を持たせるための一種の洒落かもしれない――玄幽は、その札のような紙片を何気なく、机の上に置いた。ほんの少し興味も沸いたし、ちょっと調べてみようと思ったのである。



 ――結果的に、これが全ての始まりとなった。

 後に続く、因果と怨念に縛られた、血なまぐさい物語のそもそもの原因は、この時の玄幽の行動であることは間違いなかった。


 玄幽がお茶を淹れなおして机に戻ると、紙片は、既にどこにもなかった。

「……ん? あれ?」

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