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第1話 第03章 苦悶の玄幽

 午後の授業も全て終わり、玄幽は教室を出て部室棟へと向かう。

 昨日の悪夢のような出来事に頭を抱える玄幽にしてみれば、気が付けば一日が終わっていた。


 窓から見える空には、手にとって千切れそうな羊雲が、まるで群れから(はぐ)れたように一塊だけ浮かんでいた。

 玄幽はそんな雲をぼんやりと眺めながら、人で混み合う廊下を歩く。


 鈴鳴高校は古い高校である。

 歴史ある、という修辞を与えることももちろん出来るけれど、学校全体から漂う古臭さがどうしても先に立ってしまう。壁のあちこちがひび割れ、床の至るところが歪んでいた。

 

 それでも、修繕工事の施された教室棟はまだまともな方で、木造建築であることを隠そうともしない部室棟は、いっそ潔いくらいに老朽化していた。

 耐震性能は大丈夫なんだろうかと玄幽はよく疑問に思った。


 教室棟から部室棟に入り、ギシギシと不安定に軋む階段を上って、玄幽は二階の廊下を歩く。

 窓の外には部活を始めようとする学生がパラパラと散らばり、その向こう側には鈴鳴の町が広々と広がっていた。

 町全体がなだらかな坂道のようになっているので、それほど高いところまで登っているという実感がなくても、校舎から眺める町は随分と低く見下ろせた。

 「寒い……」

 建物の中なのに外界の空気が容赦なく入り込んでいて、玄幽は思わず身震いし、コートを着てこなかったことを少し後悔した。


 廊下の一番奥にある北向きの、日当たりの悪い部屋が、郷土史研究部の部室であった。

 あってもなくても大して変わらないだろうというような古鍵を開け、部屋に入る。


 電気ストーブのスイッチを入れて、電気ポッドに水を補充し、椅子に座ったところで大きく息をつく。

 朝から今まで玄幽はずっと考え通しで、ぐったりと疲れ切っていた。


 玄幽がずっと考えているのは、もちろん研究部のことであった。しかし、一向に良い案が思い浮かばない。

 もちろん、部員の数だけを増やすのであれば話は簡単であった。

 名前だけを借りればいいのだ。

 玄幽は生真面目な性格ゆえに少々変人扱いされることはあるにせよ、友達の数は決して少なくはなかった。彼ら彼女らから名前を借りれば、一応この窮地をしのぐことはできるかもしれない。


 しかし、その元来の生真面目さが邪魔して、玄幽はその考えについて非常に後ろ向きであった。一時しのぎなんて安易な発想を、玄幽は絶対に認めるわけにはいかなかったのだ。

 それに、鬼の目を持つという生徒会役員たちが、部員の実態調査をやらないとも限らない――いや、連中のことだ、初めから名義借りなんて予想済みだろう、と玄幽は考えた。今度の予算削減とやらは、それほど深刻なものでもあるらしかったのだ。


 何より、玄幽はこの研究部が大好きだったし、この先もずっと存続し続けて欲しかったのだ。

 つまり、実際にやる気のある部員を探し、九人、入部して貰わねばならない。


 これはかなり難しいことであった。

 なんといっても部活動の内容が内容だ。


 郷土史研究部。救いようのないくらいマイナーな、初めて耳にする人間の頭に疑問符を浮かばせるためにあるんじゃないかという部だ。

 活動内容は、主に鈴鳴町界隈の歴史の研究、ということらしい。鈴鳴町は決して大きくはないものの、近隣の山々の交通の要所として、長い歴史を持つ街である。至る所に寺社があり、また歴史的に重要な文化財も散見できる。玄幽が現在たった一人で取り組んでいるのは、鈴鳴町界隈にある伝説や民話を蒐集し、系統的に研究するというものであった。

 そのようなマイナーな研究に興味を示す若者は当たり前のように少なく、そもそも興味のある人間ならばとっくに入部しているはずであった。


 ――どうにかして、研究部そのものに、興味を持ってもらわないと。


 電気ポットが大きな電子音をたて、湯が沸いたことを知らせた。玄幽は思考を一旦中断し、頭を軽く振ると、急須に新しい茶葉を入れる。

 ――じっくり考えろ。まだ時間はある。


 熱いお茶を啜って一息つくと、玄幽は壁際の本棚にびっしりと詰まった書物に目を向けた。

 そこには、先輩や自分が蒐集した、鈴鳴町に関する様々な資料が詰め込まれていた。

 詰め込まれたといっても雑然とした印象は無く、几帳面な玄幽の手によって整理されたそれらはいかにも整然としていた。


 玄幽は一学年の時からそれらの書物に手をつけてきたが、まだ読んでいない資料もたくさんあった。それほど膨大な数なのである。中には地元の郷土資料館に保管されていてもおかしくないようなものもあると玄幽は聞いていた。


 何気なく――まだ読んでいない書物群の前に玄幽は立った。


 朝から考え詰めで、少し本でも読んで頭を休めようと思ったのだった。読書はより頭を疲れさせそうなものだが、玄幽に限って言えば、読書こそが至高の時間であり、読書をすることによって彼は本当にリラックスすることができるのだった。そういう、少々偏執狂じみたところが玄幽にはあった。


 ――それに、何かヒントがあるかもしれないしな。


 玄幽が何気なく手を伸ばしたのは、似たような背表紙を持つ古書の一群だった。その中でもとりわけ古めかしい一冊を手に取る。

 背が紐で閉じられた古書で、パラパラめくると絵と文で構成されているようだった。文字には「くずし字」というものが使われ、これは基本的に平仮名なので、先輩から読み方を教わっていた玄幽は難なく文字を読むことが出来た。


 表紙には――『鈴鳴村怪異録』と書かれている。


 おや、と玄幽は思った。鈴鳴村というのは、鈴鳴町のかつての名称だ。このような資料があったのかと、玄幽は自分の見落としに驚いた。彼は鈴鳴町の伝記や伝説を蒐集しているわけだが、てっきりこんな部屋にはないものだとばかり信じ込んでおり、資料はもっぱら民俗資料館や図書館に頼りっぱなしだったのだ。


 ――灯台元暗しってやつか。


 思わぬ収穫に喜びながら、玄幽は席に戻り、ページをめくった。

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