第1話 第20章 終り、あるいは始まり
「そうかい……、逝ったかい」
神社の前で佇んでいたりく婆の傘には、うっすらと雪が積もっていた。
りく婆は、目を真っ赤にした聖をそっと抱き寄せると、頭を優しく撫でる。
「全部、知ってたんですね」
責めたわけでは決してないのだが、玄幽の声に少し非難がましいものを感じ取ったのだろう、りく婆は寂しげに目を伏せた。
「……そうさ。知っていた。みきが最初、聖に多恵と名乗った時から、こうなることは分かっていたのさ。あんたが持ってきたあの本を見るまで確信は持てなかったが、みきの態度で分かる。あの子はあれで正直者なんだ」
聖が顔を上げる。
「それを私たちに教えたら、私たちはおみきさんを止めてしまうから――だから、おみきさんは私たちに言わないよう、口止めしてた。そうでしょ、おばあちゃん」
りく婆は驚いて聖を見る。
てっきり、どうして教えてくれなかったのかと、責められるものと覚悟を決めていたのだ。
「私が止めに入ってしまったら、全て上手くいかなかったんだ。おみきさんが斬られても、与右衛門さんが救われない――どころか、ずっと、永遠に彷徨うことになってしまう。だから、私には止めて欲しくなかったんだよね。与右衛門さんを救えるのが、私しかいないから」
「聖、あんた……」
聖は目をごしごしと擦ると、りく婆の胸からそっと離れた。
「最後に、おみきさんが教えてくれたの。あの時――あの夜、与右衛門さんが私ごとおみきさんを斬らなかったのは、私が、多恵さんにそっくりだったから。与右衛門さんは覚えてたんだよ」
聖は悲しそうに笑った。
「どんなに気が狂っても、多恵さんの顔をね」
――この偶然に、あたいはとっても感謝してるんだよ。
偶然とは、そういう意味か――。
玄幽はおみきの言葉を思い出し、納得した。
ただ自分が封印を解いただけではなく、多恵とそっくりな顔をした聖がいなければ、少なくとも与右衛門は永遠に救われることはなかったのだ。
誰かが多恵の代わりに導いてやらなければ、与右衛門は永遠に、赤い傘を探しては、斬って斬って斬り続けなければならなかったのだ。
みきを斬っても決して満たされぬ想いを抱え――。
数百年続いた、長い呪縛が、これでようやく終わったのだ。
りく婆は雪の降りしきる空を見上げた。
「みきは――あの子はね、多恵さんを井戸に放り込んで、自分もその中で死ぬつもりだったんだ。でもいざとなると、その勇気がなかった。足がすくんで、震えて――死に物狂いでその場を離れて、どこまでも走ったんだ。朱塗りの傘だけを握り締めてね。そしてある尼寺にたどり着いて、そこで尼になった」
聖が持ってきた、あの赤い和傘をそっと撫でた。
「こいつに憑いてたのは――だから、あの子そのものじゃあないのさ。あの子が尼になっても拭い去ることが出来なかった、後悔と懺悔の塊なんだよ」
玄幽は天を仰ぐ。
そしてりく婆に、あるいは遥か高みにいるであろうおみきに、そっと問いかけた。
「おみきさんは――救われましたかね」
「……さあてね。ま、あたしももうすぐ向こうに行くだろうからね、聞いておいてやるさ」
りく婆は、本当に楽しそうに笑って、そっと目尻を拭った。
やがて雪も止むのだろう。
そして鈴鳴町は平穏を取り戻す。通り魔もいない、おみきもいない、ただの平凡な片田舎へと戻る。
玄幽は思う。
これで、通り魔騒動は終わった。真相を知るのは、ここにいる三人だけ。
そもそも、これは事件でもなんでもなかったのだ。煮え切らない想いが、数百年にわたってくすぶり続けた、その最後の輝きに過ぎなかったのだ。
――この事件は、胸に仕舞っておこう。研究部の活路にこそなりえなかったが、でも。
玄幽は、きちんと記憶しておこうと思った。
かつてこの鈴鳴の地で起こった哀しい事件と、それにまつわる人々の、本当の物語を。
新しい、鈴鳴町怪異録として。
第1話、終幕です。
ここまで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます!
至らない文章で恐縮ですが、楽しんでいただけたのであれば、この上なく嬉しいです。
元々、これはこの「赤い傘の話」だけで完結していたものでした。ただ、物語に奥行きが与えられる余地がありましたので、どうせなら山猫村玄幽と聖、そのほかの人々に頑張ってもらって、鈴鳴町サーガを確立してみようと、こうして全6部構成に作り直したのです。
これから残り5話、鈴鳴町を舞台にして怪異録はまだまだ続きます。0、1話だけでは分からなかった部分も、これから見えてくることでしょう(たぶん)。
少し間を開けて、7月中には第2話を公開していけたらと思っております。第1話のテンションから、今度は少しアップテンポにしていきたいなと考えております。
よろしければまた、覗いてみてください。
本当にありがとうございました!
※7月12日追記
色々忙しくて、第2話を今月中に上げられるかちょっと微妙です……
新人賞や夏のホラー祭りの原稿も並行してやってますもので、
多少遅れるかもしれません。
申し訳ない!