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第1話 第15章 顛末

 雨はいつの間にか上がり、ぽっかりとした月が、唐突に雲の隙間から現れた。

 その月明かりに誘われるように、多恵は蔵の戸を押し開けると、まばゆい光の中に舞い降りた。

 そして、まるで糸をつむぐ様に、噛んで含めるように、話し始めた。


「あたいはずうっと昔に死んでんのさ。もう数えるのも嫌になっちまうくらい、ずっとずっと昔にね」


 そこで多恵は聖や玄幽に向かって首を傾げる。

「あんたたち、驚かないんだねぇ」

 そういえば、といった風に玄幽と聖は顔を見合わせると、苦笑した。

 二人ともが、あんなものを間近に見せ付けられた後では、どんなことでも信じられるような気がしていた。


 多恵は穏やかな視線を玄幽に向ける。

「山猫村さん、といったね。あんたが持ってるその本、半分までは合ってるんだけどね、後の半分が見事に間違ってるのさ」

「え?」

「おみきさんはね、確かに多恵――あたいを殺したんだ。婚礼の前の晩、井戸に放り込んでね。そこまでは合ってるよ。でもそっから違う。おみきはね、与右衛門さんとは結ばれることはなかったんだよ。そのまんま村を逃げて、尼寺へ入っちまったのさ」

「ま、待ってください。それではお多恵さんの幽霊が出るというのは?」

「はははっ、そんなもんは真っ赤な嘘、出鱈目さ。出るのは多恵でもおみきでもなくってね――与右衛門さんなんだよ」

 多恵は目を細めた。

「……おみきが横恋慕してるのなんて、村中が知ってたのさ。そんで、お多恵がいなくなって、次いでおみきもいなくなったって事はさ、そんなのひとつしかない。おみきが多恵を殺して街を出てったって、すぐに知れたのさ。井戸の底の亡骸だって、次の日には見つかってる」

「それで、どうしてお侍さんが出てくるんですか?」

 聖が分からない、といった風に尋ねた。

「だって、お侍さんは何の関係もないんじゃ……」

 多恵は首を振った。

「関係なくはないさ。自分の嫁を殺されて、与右衛門さんは気が狂っちまった――元から漬物石みたいに頭の固い人でね、こう、タガが外れちまうと、もう歯止めがきかないようなところがあってさ。多恵が死んでからしばらくした、雨のしとしと降る晩ね。与右衛門さんは家を飛び出して、おみきがいつも差してた真っ赤な傘……そいつだけを目印にして、斬って斬って斬りまくったのさ。街を越え、街道を走り、夜が明けても、ずっと――そして仕舞いに、お役人にとっつかまって、その場で首をはじかれた」

 それからだよ、あの人が祟って出るようになったのは――。


 月はいよいよ明るく、多恵を頭上から照らした。その多恵の足元に彼女の影がないことに、玄幽と聖はようやく気付いた。

「山猫村さんのその本――それは物語でもなんでもない、物語の形をした、言ってみりゃ『封印書』なんだよ。あんた、そこに御札が貼ってなかったかえ」

「……あ」


 ――あの御札か。


 多恵はにっこりと笑った。

「そう、そいつに封じ込められてたのが、あのお侍、与右衛門さんさ。どっかの偉い坊さんがね、あんまりに(むご)い話だってんで、彷徨ってる与右衛門さんとっ捕まえて、御札に封じ込めちまったのさ」

「じ、じゃあ、話の内容が違うのはわざと……?」

 多恵は何か思い出すように目を瞑ると、おかしそうにくつくつと笑う。

「……さあねえ。事実と違うことを書いて、与右衛門さんを騙そうとしたのかも知れないね。もう与右衛門さんときたら、右も左も分からない狂乱振りだったからね」

 多恵は人を恨むような娘じゃないってのにねえ、ひどい話だよと言って、彼女はひとしきり笑った。

 その姿は本当に美しく、また儚げに霞んでいるようだった。


「その古い本はね、元はこの神社にあったのさ」

 言葉を継いだりく婆の表情は、何かだやりきれないといった風に玄幽には見えた。

「きちんと本殿の奥に祀られてたんだけれどね、どういう経緯かは分からないが、あんたのところに行っちまったみたいだね」

「なるほど……」


 頷いてみせる玄幽だが、何かが頭の奥で引っかかっているのを強く感じていた。

 分かるような、分からないような……。


 玄幽は散らかった机を片付けるような気持ちで、少しずつ物事を整理する。

「多恵さん、あなたが誰かを恨むような人じゃないっていうんなら――じゃあ、あなたは何故、ここにいるんです?」


 多恵は軽く目を伏せた。

 そして大きく息を吐いて、あははと笑った。

「さあてね――そんなことももう忘れちまったね。ずうっと長い間こうしてるんだ。気が付いたらあたいはそこの赤い傘に取り付いちまってて、離れようにも離れられないのさ」

 そしてりく婆に親密な視線を送る。

「おりくちゃんは不思議な子でね、小さい時からあたしと話が出来た。あたしと、というよりは、傘に閉じこもってたあたしだね。蔵で何かぶつぶつ言ってるってんで、おりくちゃんのご両親はさぞ心配されただろうけどね」

 りく婆は軽く俯いたままだ。微笑んでいるようにも見えるし、物悲しそうにも見える。

「それでもね、ついこの間さ、あたいがこの姿で――生きてた頃の姿で、蔵に座ってたのはさ。何でなんだろうって、あたいも本当に驚いたよ。おりくちゃんと色々相談したんだ。きっと よくない事がある、前触れなんじゃないかってね」

「それで、私に調べて欲しいって言ったんですね」

「そうさ、聖ちゃんなら大丈夫だろうって、あたいも思ったんだ。そして思った通り、事件は起こった――そしてあたいも悟ったんだよ。あの人はあたいを探してる、あたいのことを連れて行こうとしてるんだってね……」


 それが、この事件の全て――。


「じゃあ、あのお侍さんは、多恵さんを殺そうとしてたんじゃなく、連れて行こうとしてたってこと……?」

「そうなるねえ。でも聖ちゃん、あんたが間に入ってくれて良かったよ。お陰でこうして、最後にちゃんと、おりくちゃんにも挨拶が出来たんだ」

 ……最後。

 その言葉が、やけに大きく響いたような気がして、玄幽は唇を噛む。

 自分さえ、封印を解かなければ、今回の事はなかったかもしれないのに――。


 そんな玄幽の心を読んだのか、多恵は玄幽に近づいて頭をそっと撫でる。

「山猫村さんには本当に感謝してる。下手したらあそこで、聖ちゃんも切られちまってたかもしれないんだ。あたいもちょっと軽率だった」

 玄幽の心中を見透かしたように、多恵はにっこりと微笑んだ。

「これであたいもあの人も、やっと、長い呪縛から解き放たれるんだ――この『偶然』に、あたいは本当に感謝してるんだよ」


 この時。

 りく婆が何かを口にしようとして、結局つぐんでしまったのを、聖も玄幽も気付かなかった。

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