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第1話 第12章 辻斬り

 一方、自転車の主は、自分たちに迫る存在に薄々気が付き始めたばかりであった。


 ――ザリッ、ザリッ。


 聖は人気のまったくない田んぼ道を一定の速度で走りながら、背後から聞こえる奇妙な音が徐々に大きくなっていることが気になっていた。初めは自転車の不具合かとおもったが、どうもそれはずっと後ろの方から聞こえてくるようだった。


「多恵さん、後ろから何か変な音が聞こえません?」

「え? 後ろかえ?」


 多恵は傘を少しだけ傾けて後ろを見た。そして――迫り来るその異形のモノを目にし、彼女は身を固くした。

 思わず目を逸らした多恵であったが、それでも懸命にこらえるようにぎゅっと歯をかみ締め、恐る恐る、それでもしっかりと、その化け物を見た。そしてそれを目に焼き付けるように凝視すると、多恵は傘を戻し、前を向いた。

 その目からは、大粒の涙が零れ落ちていた。


 ――ああ、あんた、こんなになっちまって……。


 多恵は涙を飲み込むと、聖の背中をそっと触った。

「ねえ聖ちゃん――あんた、好きな人はいるかい」

「な、何ですか唐突に」

 聖はまったく唐突の質問に顔を真っ赤に染めて、思わずハンドルをぐらつかせる。自転車の後ろでは、侍はもうあと二十メートルといったところまで迫っていた。

 多恵はいつにも増して優しい声音でぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。


「あたいにはいたんだよ。ずっと昔の話さ。頑固で、生真面目で、もうどうしようもないくらいのカタブツだったねぇ。でもとっても優しかった。人にも物にも、花にだってね」

「……」

「でもその人はね、あたいのせいで壊れちまったみたいなんだ。長い間、本当に長い間に……、憎い人を探して、斬って、斬って、きっと今じゃあ、自分が何を斬ってるのかさえ、分かっちゃいないのかもねえ」

「……多恵さん? どうしたんですか、急に」

 独り言だよ、と言ってころころと鈴のように笑った多恵を、訝しい思いで背中に感じている聖であったが、――それ故に、突如として、降るように目の前に現れた影に対する反応が、一瞬遅れた。


「――うわわわっ!?」


 聖は慌ててブレーキペダルを握る。

 ブレーキ音とタイヤがスリップする音が響き、次の瞬間には自転車がひっくり返ってしまった。多恵と聖は投げ出されるようにしてコンクリートの車道に転がる。

 自転車の車輪が立てるカラカラという硬質な音と、叩きつけるような雨音で世界が満たされた。


「あ、痛ったたあ……多恵さん、大丈夫ですか……っへ!?」


 聖は言葉を失った。


 侍、――先ほどまで聖たちの自転車を追いかけていた侍が、いつの間にか二人の目の前に立っていた。


 その狂気の形相は、凶暴さと執念を練って固めたような、とても不細工なものだった。

 口の端からは涎とも血ともつかぬ何かが絶えず零れ落ち、身体は全体が小刻みに震えている。手に握った刀からは、何を斬ったのだろう――絶えず血が、流れ落ちてくる。

 およそ言葉に表すことのできない強烈な腐臭が一体に漂う。


 ――な、なんなのこれ……。


 悲鳴すら上げられず、聖はその場にへたり込んでしまう。

 しかし、その侍の視線は一向に聖を捉えない。侍が一心に見下ろしているのは――。


「……多恵さんっ!?」


 侍は、ただ一心に、多恵を見下ろしていた。


 多恵は、放心したように、それでいて何か見惚れているような、奇妙な表情で侍を見上げていた。

 侍はといえば、その顔がどんどん歪んで、もはやそこにどのような表情が読み取れるのかがまるで分からない。


 侍は、間近に転がっている赤い傘には目もくれない。


 多恵は、聖の方を一瞥すると、にっこりと笑った。


 ――おりくちゃんに、よろしくね。

 聖には、その口が、そう言ったような気がした。


 雨が、より一層強くなった。

 雨粒の音が聖の耳の奥の方までしっかりと響いた。雫が聖を叩き、侍を叩き、多恵を叩く。侍のたてる不快な呼吸音。自らの息遣いさえも飲み込む雨音の波、波、波……。


「――駄目っ!」


 聖は地面を蹴った。

 聖には分かったのだ。こいつは、この化け物は、多恵を斬ろうとしている。傘だけじゃなく、いや、傘ではないのだ、多恵そのものを、ずたずたに切り裂こうとしている! そう考えると、身体は勝手に動いた。


 聖は多恵を庇うように覆いかぶさると、侍に向かって声を張り上げた。


「多恵さんを斬っちゃ駄目えええええっ!」


 まるで時間が止まったようだった。

 多恵に覆いかぶさっている聖には、見えなかったのだが――この時、多恵と聖の顔を同時に見た侍の顔には、ひとつの明確な表情が浮かんでいた。憎しみが渦を巻いている中に、それはしっかりと浮き出ていた。


 ……困惑。


 多恵はその表情を見て、心の中で、そうだよねえと呟いた。


 ――そりゃ、そうだろうさ。

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