第1話 第11章 玄幽の遭遇
また、同じ頃。
山猫村玄幽は疲れ切った顔で、山梨香夏子の自宅前を立ち去ろうとしていた。
あの後、急に降り出した雨を見て発狂寸前にまで陥った山梨を、どうにか宥めてすかして帰らせようとしたものの上手くいかず、結局玄幽が山梨を自宅まで送り届けなければならなかった。
しかも相合傘で、である。……これが、何よりも玄幽を疲れさせた。
山梨が傘というものにほとんど拒絶反応を示しており、濡れて帰らないためには玄幽の傘に入れ、彼女を随時安心させなければならなかったのだ。
元より女というものにまるで縁のない玄幽、これは少々骨が折れた。
「変な噂とか立たなきゃいいけどな……」
校舎を出る際の周囲の熱い視線を思い出し、深々とため息を吐く。鬼の生徒会長と、地味な文化部の部長。お似合いかどうかはともかく、玄幽はなるべくならば、噂であっても山梨香夏子とくっつけられるのは辞したいところであった。
玄幽は、大粒の雨を吐き出し続ける空を見上げる。
玄幽はこれから、今来た道を戻り――山梨香夏子の自宅は玄幽とは反対方向だった――また長い道のりを、自宅まで歩きとおさねばならない。バスでもあればと思うのだが、そこは田舎のこと、そういう便利なものは一切なかった。
増して、先ほどの山梨の話を聞いた後だと、暗澹たる気持ちにもなる。
――厄介なことになってきたな。
恐らく、山梨だけではなく、これまでの数名の被害者たちも、その侍とやらの姿を目にしていたのだろう。しかしそれがあまりに突飛であるが故、誰にも話せないか、話しても信じてもらえなかった、ということらしい。
玄幽も正直、鵜呑みにするにはあまりにも、といった感想だった。
――それに。
もし侍だとするならば、いよいよ玄幽が丹念に調べている『鈴鳴村怪異録』とは一層かけ離れてしまう。
そうなってくると玄幽にはわけが分からず、またこの事件の謎に迫り、郷土史研究部の名声に役立てようと目論んでいるのに、あてが外れる格好になる。山梨を誘い出して話を聞いたのも、身近な事件の被害者だったということもあるが、生徒会長たる山梨に自分が事件の調査をしていることを知らしめ、軽く恩を売っておこうという腹積もりだったのだ。
――しかし、もし侍だとすると、いよいよこの事件は人外の仕業だな。
そう思うと玄幽はぶるりと身震いをしてしまう。
いくら通り魔の標的が赤い傘を持った女性であるとはいえ、人ならざるモノが今この瞬間も街をうろついているかと思うと、やはり玄幽も恐怖を感じずにはいられないのだ。そしてこの奇怪な事件に、自分が半分以上首を突っ込んでしまっているということは、玄幽を一層そわそわとさせた。
その時。
人気のない田んぼ道をぽつりぽつりと歩く玄幽は、不意に後ろに何かの音を聞いた。
思わずぎょっとして身構えるが、それが自転車に付けられているライトの発電機の唸る音だと分かるとホッとした。自転車がタイヤを滑らせる音も、後ろから段々大きくなってくる。
――まったく、脅かすんじゃないよ。
そう心の中で呟きつつ、ほうっと息を吐き出し、さり気なく自分の横を通過していく自転車を見て、玄幽は思わず声を上げそうになってしまった。
二人乗りの自転車で、巫女装束の少女が前に、着物姿の女が後ろに乗り、おまけに真っ赤な和傘をさしているではないか。もちろん、もちろんそれだけでも異様な風体ではあるのだが、問題はその後ろだった。
「さ、侍!?」
そう、少し間を開けて、その自転車に追いすがるように、まるで人とも思われない異形のモノが、袴を引きずり走り去って行ったのだ! 右手には刀がしっかりと握られ、袴はぼろぼろに破れ、そこには――血がしっかりと染み込んでいた。
思わず玄幽は傘を落とし、しばし呆然とする。雨音が遠のき、玄幽の心臓の立てる規則的で速い鼓動が、どくんどくんと大きく響く。
現実離れした自転車と侍の作り出す異様な空間も、少しずつ遠く、小さくなっていく……。
が、次の瞬間。
何を思ったか、傘をその場に置き捨てて、玄幽は自転車を追いかけるようにして、降りしきる雨の中を走り出したのだった。