#2 名もなき劣等感
「佐々木くんじゃーん! おはよ! てか、聞いて、ヤバめニュース。昨日ウチ、アンタと別れた後さ、吉田君と連絡先交換したのよ、信じられる⁉︎ いやごめん、ウチも無理! あんじりーばぼーんんん」
「そうか、それはなによりだ。ちなみに『アンビリーバボー』だぞ、『アンジリー』じゃない」
昨日の季節外れの春の暑さがウソのように消え去った今日、あのガタガタドアを今日は一回で開けることができた俺だったが、その先には何時から起きて準備したんだってくらいの化粧の完成度の高い顔面を携えて、朗報を一方的に叩きつける秋穂がいた。昨日は暑さの疲れのおかげでぐっすり寝れたが、このギャルのせいで身体が重い。かなり重い……。寝不足の日に朝から秋穂の相手は絶対に無理だな。俺の指摘を受けてもう一度「アンビリーバボー」を言い直していたがそれが正しくなっているのかどうかはちゃんとは聞いてないから分からん。知らん。嬉しさのあまりか、突然教室でハイクオリティなダンスまで披露し始めた。いや、これがなかなか凄くて少し見入ってしまった。
「秋穂さん、はダンス部なのか?」
「秋穂でいいよーーん、そっ。一応今年から少し早いけど部長なんだよねーん、えへへ」
最後には決めポーズをして俺に答えた。これが部長とは……まぁ、部活に入ってない俺が言うのもアレだが大丈夫なのだろうか。秋穂は昨日のように、自分の話が終わると、まるで俺の姿だけ視界から消したみたいに、走って廊下に出ていった。既に集まっていた他の『ヤバ女』と共に、朝一番の吉田君トークを始めていた。もうあれは、なにかのチームだろう。十人以上はいるから野球くらいはできるな。あいつは去年何人と友達になったんだよ、たぶんそれだけで俺の今までの友達の数を超える気がするな。まぁ、ただ、『そんな俺よりも友達が少ないんじゃないか説』の無口な魔法使いみたいな彼女も俺より先に教室にいたらしい。
「うるさい」
相変わらずすぐ消えたり現れたりするんだな、このお嬢さんは。俺にしか聞こえないくらいの絶妙な声量でソラが少し怒っていた。こいつは朝からなんでこんな機嫌が悪いんだよ。まったく。
「わるかった」
謝罪しておいた。なんで俺が、いや別にいいが、仕方ないけども。なんとなくコイツのことは去年からの付き合いで分かる。なのでこのソラの怒りもすぐに治るものだと察していた。秋穂に聞こえてないだけマシだな。ソラの席は俺の右斜め前だったのか、割と近い。吉田君の前か。後ろじゃなくて良かったな。黒板があのデカイ背中で覆われるところだったぞ。そんな吉田君もすでに席に座り、読書をしていた。俺に気づくと「やぁ」とひとこと声をかけてきたので俺も返すとすぐに読書に戻った。秋穂もだが吉田君も、なんでこんな早く学校に来てるんだと思ったが、それもそのはずだ。吉田君はバスケ部で秋穂はダンス部と、どちらも朝練がある部活だった。ソラは一年の時から物静かなくせに学校には誰よりも早く来ていた。こうして席についてることもあれば、図書室や校庭をぶらぶらしてる時もあったっけ。一体何をしてるんだか。
「佐々木、友達できたの?」
「まぁ、知り合った、くらいだな」
「ふぅーん、そう」
ソラはその長い髪の間から俺を覗いていた。彼女の表情は──いやわざわざ書く必要もないか。
「ははは、それはそうだけどストレートに言うんだね佐々木君は。去年仲が良かった僕の友人はみんな別クラスなんだ。是非、そこは友達ってことで頼むよ、隣の席だしさ」
はぁ……少女漫画の主人公が読書を中断して日本人ではまずやらないであろう会話の最後にウインクという難易度の高いことを軽々とやってのけた。そのおかげでソラはスッと立ち上がると廊下に消えてしまった。音も立てないでどうやったらそんな早く立てるんだよ。それに俺と吉田君が友達? それはちょっと約一名の現代に舞い降りたギャルが黙っていない、秋穂はますます俺に絡んできて、吉田君情報を聞き出そうとするぞ。なんなら情報料として金でも取ろうかな……、わりと稼げるんじゃないか?
「おや、余計なことを言っちゃったかな、ごめんよ」
「あいつはいつもあんな感じなんだ、気にしないでいいさ」
驚異的な速度と遮音性で教室を出て行ったソラを見て、少し申し訳なさそうな顔をした後に吉田君は俺とソラについてこんなことを言い出した。
「でもさ、佐々木くんと、あの人、ソラ?さんってなんか兄妹みたいだよね。空気感というか雰囲気かな、なんか似てるように思えるんだ。二人は同じクラスだったの?」
「あぁ、去年はA組で一緒だった。兄妹か……そんな深い関係でもないぞ」
「はははっ、そうなんだ。A組かぁ、僕はE組だったからね、選択科目でも芸術科目でも被らないよね」
「きっと被っていても、話すことはなかったと思うけどな」
吉田君はその整った顔を崩して笑うと自分のことについて軽く話し始めた。俺も少し早く教室に来すぎていたのでちょうどいいと思って俺のことや、ソラについて、少し話しをした。
聞くところによると、吉田君はプロのバスケットボール選手を目指してるらしい。彼はその長身と運動神経から中学から既になんとあのNBAのスカウトに声をかけられていたらしい。吉田君の地元では有名な話のようで道中で声をかけられることもあるそうだ。そこでも芸能人か、吉田君よ。しかし、高校卒業までは部活動として学校でバスケをしたいと考えた彼は渡米を保留にし学業を優先させたそうだ。それはすごく単純な理由で、「学校が好きだから」と言っていた。クラブチームに入ってバスケの試合で勝つためだけに集められた人達との繋がりより、彼は小さい世界ではあるがこの学校という社会を味わってみたかったのだろう。俺は吉田君を少女漫画の主人公のようだ、と思っていたが彼はまさに、正真正銘、少女漫画の主人公そのものなのだ。そして往々にしてそういった人間にはしっかりと神様が奇跡の出会いや偶然のキッカケを作ってくれている。こういう人間もいるのだなぁと俺は感心して吉田君の話を聞いていた。それに彼は相手を思いやる気持ちも持っていた。俺やソラというのはどちらかといえば、所謂、最近ネットで言われている『陰キャ』というやつだ。陰のキャラクター、人との関わりを持たない、持とうとしない、または持てない人間だ。そしてそれは話しているとお互いがお互いに不思議と理解するものなのだ。あ、彼はそういう人間だなぁ、と。俺が吉田君を人気者なんだろうと思うように彼もまた、俺があまり友達がいない、ということは分かり始めているはずなんだ。それでも目の前にいるこのイケメンバスケットボール青年は俺を「コイツはあんま合わない奴だ」と邪険にしたりはしない。本当に誰と接する時もこんな感じなのだろう。なんというか、本当にいい人なんだろうな、彼は。
いやぁ、それにしても、久しぶりに同じ人間と、まともな会話を長い時間した気がする。身体が重い……。人と話すだけで具合が悪くなる病気にでもなったのだろうか。だとしたら俺にはそんなに問題じゃない、普段人と話すことは少ないからな。
「よ〜し〜だ〜くん!」
話が終わると、タイミングを見計らってた様に、廊下にいるバスケ部の友達が彼の名前を呼んだ。
「話せてよかったよ、佐々木くん。じゃあまた後で」
「あぁ、俺もだ。またな」
吉田君が廊下に出ると彼を慕うチームメイト達が続々と彼に集まった。そこに吉田君ファンの女子達も加わってちょっとした群衆と化していた。すごいなほんとに。ここが1番端っこの二年F組でよかった。もし奥の教室もあったらその人達は通行止めを食らうことになっていたな。もちろん、吉田君を最初に囲っていたのはあの秋穂率いる『ヤバ女』だ。ほんと、なんというか。あいつらは──ヤバイ。
機嫌を直したソラが戻ると後に続いて担任の武内が入り、早速暑苦しいホームルームが始まった。わざわざここに書くことも面倒なので要約すると、「君達と一緒のクラスとして一年過ごすのが楽しみだ。自己紹介を簡単にしてくれ、その後に委員会決めを行う」だ。ちなみにこの二点を伝えるのにあいつは十五分もの時間を費やした。廊下側の席にいた秋穂は五分を過ぎた辺りからもうすでに机の下でケータイを触ってたな。吉田君とソラは真面目に聞いてたみたいだが、俺は昨日と同様に、学校のグラウンドと駅の変わらない風景を目で何往復もしていた。この数が出席数になるのなら俺は多分、今学期は学校に来る必要は無いな。そんなくだらない事を考えてるうちに、自己紹介も半分を過ぎ、そのままソラの番になる頃には俺の『瞳で行う架空登下校』も終了していた。さて、あいつはどんな自己紹介をするんだろう。
「──です。趣味は大正時代のポルノ雑誌集め、好きなものは変わった形の『銅像のアソコ』です。よろしく」
パチパチパチパチ。七、八回、まばらな拍手が起きた。秋穂はケータイから視線をソラへ移してキョトンとしていた。武内は黒板の前でデカイ顔を真っ赤にして頼りなく俯いている。まばらな拍手はクラスの動揺の表れだな。ちなみにあいつの趣味はカフェ巡り、好きなものはアイスクリームです。
「へ〜、ソラさんは意外と探究心が旺盛なんだね、佐々木くん」
隣の吉田君に関しては間に受けてるじゃないか。まぁそれもそうか。これはソラなりの『私に関わるな宣言』なのだ。変わった趣味や好きなものを提示して引かれる事で、他人が自分を避けるように仕向けている。ちなみに大正時代にポルノ雑誌なんてあったのだろうか、ちょっと気になるな。まぁ、とにかく、クラス分けされたばかりの今の時期は口数が少なく冷たい雰囲気を出すソラでも、たまに話しかけられることがあるんだ。彼女はそれを警戒している。去年は確か、
──『最近叔父の勧めでフンコロガシの生態調査にハマっています。興味がある方は是非お話ししましょう』
とかだったな……たしか。俺も最初は衝撃的だったよ。結局吉田君のように間に受けた一人が勇猛果敢にフンコロガシの話題作りをしてソラと話そうとしていたが、アイツが一切興味を示さず撃沈していたな。あの男子生徒、元気にしてるだろうか。しかし流石に一年も経つとソラの人嫌いを知ってる生徒もいるのかクラスの半分はそんなに驚いていなかった。去年A組だった『トネリ』と『サエ』もだな。まぁ去年俺たち『1-A』で起きた出来事はここでは関係ないので省かせてもらう。一応隣の吉田君にはあのソラの自己紹介は嘘であることを伝えるか? いややっぱいいや。ソラの次は後ろの吉田君の番だしな。秋穂の目の色が変わったのは俺の席からでも見えた。
「えー、一年時はE組でした、吉田です。このクラスには僕の仲のいい友達も、部活の友達もいないので是非仲良くしてもらえると嬉しいです。一年間、よろしくお願いしま──」
「はーーーーーいっ、是非仲良くします。今、仲良くしますっ‼︎ 秋穂ちゃんですっ」
「コラァッ‼︎ 秋穂ォ‼︎ お前は相変わらず、本当にうるさい奴だな‼︎ 自分の自己紹介は適当だったくせに! 吉田の邪魔をするなァ!」
相変わらず、と言ったか? 武内は秋穂を知っているらしい。まぁ、あんな存在を今年まで知らなかった俺の方が問題か。うるさいやつがうるさいやつにうるさく注意したお陰で、ソラの作った謎の気まずい空気が少しは吸えるものになった。吉田君は苦笑いで席に座った。あぁ同情するよ、あんなに友達がいる吉田君がクラスにはたまたま知り合いすらいなくて、数える程の友達しかいない俺に去年の知り合いが一人、いや『トネリ』と『サエ』も一応入れると三人もいるのは不公平だよな吉田君。さて、そろそろ俺の番だが物語の書き手であっても主人公じゃない俺のシーンは不要だろう。ここでは省かせてもらう。決して緊張で噛み倒して、ソラや秋穂に笑われた俺の自己紹介を描写するのが恥ずかしいわけではないぞ。
自分の生涯の記憶を一つだけ消せるとしたら、きっと俺は、このホームルームでやった自分の自己紹介の記憶を消すだろう。
「ぷぷぷっ、佐々木、最高だ。やっぱりお前、向いてないよ、ああいうの」
「名前以外嘘しか吐いてないお前にだけは、言われたくないな」
「んふふっ、結局佐々木は私と同じなんだねやっぱり、うんうん」
ソラはさっきの俺の自己紹介をブルーレイにして悲しいことがあれば見たいそうだ。親が死んでも乗り切れるらしい。どんな笑いだよ、まったく。ただソラのいう「私と同じ」というのは少し違う気がする。昨日の事があり、吉田君や秋穂という人間に少し関わる事で忘れていたが、結局俺という人間は単純に「下手」なんだ。人間関係の構築が。ソラのようにあえて人を避けてるわけじゃなく、ましてや吉田君のように自然と周りに人が集まることなど絶対にない、ただただコミュニケーション能力がないダサい人間なんだ。それが答えなんだろう。別にいいがな、そんなこと。長い時間肩を揺らして笑ってたソラは落ち着くと、ふと、こんなことを呟いた。
「ふふ、だから私は、お前といるんだ」
なんだ、そのキラキラした瞳は。普段口元一つ動かさないお前が、にやにやしがやって。でもなソラ。お前がそういうことを言うせいで、俺はまたこれでいいんだ、と思ってしまうんだ。このコミュニケーション能力のなさ、そして日々への無気力、これらの改善や追求をやめてしまう。そうやって俺を縛るくせに、ソラ自身は類い稀な才能をいくつも持っている。というのは、彼女は人との関わりを好んでいないが学力はかなり高い。去年の期末テストは全科目、学年トップだった。それに、ソラは夢だって持ってる。去年の冬だった。数える程しかない『二人で一緒に下校した日』、そのうちの一日。雪が夜に舞う、冬の日のことだ。誰にも言わないが夢があるんだと、白い息と少し赤くなった頬をマフラーから出して俺に言った。あの時の声は覚えてる、ソラにしては珍しく大きな声だったから。
──『私は、私はね、自分のカフェを持ちたい! 小さな、小さな場所で、メ、メニューも少ないけど、いろんな人がきて、笑って、ゆっくり過ごせてさ、そんな時間を提供する、素敵なカフェを開くんだ‼︎ 私の夢は私だけのもの、でも佐々木には教えとく、から。サエやトネリ、みんなに笑われてもお前がこれを知っていてくれたら、私は、私はそれでいいから……大丈夫だから』
あの日のソラの目は、なんというか本気だった。硬い氷が一気に熱されて、溶けて落ちる水滴が下の火種に衝突し、ジューッ、ジューッと何度も音をだすように、何かを訴えかけるように、彼女の声が、真っ暗な雪の降る夜空へ溶けていた。
「うるせ」
ひとこと、俺はソラに返した。あの日の事をなぜか思い出した、とか言ったらこいつはなんて言うかな。
その後の委員会の割り振りは本当に酷いものだった。武内の話もそうだが、書いても面白味がなく、さほど必要でもないが念の為書く、そういった描写はなるべく淡々と終わらせた方がいいと、『あの人』から教わってるからそうすることにする。まず学級委員だが……結論から言うと、吉田君と秋穂になった。もちろん学級委員やりたい人〜と聞いて手を挙げたのがたまたまあの二人だけだったということではない。まずクラスの誰一人として学級委員には立候補しなかったんだ。しかし武内がポリポリと頭をかいて困っていると、助け舟を出したのが秋穂だった。秋穂は、
『はぁーいっ、ウチが学級委員一人目ね! どうせみんなやりたくなさそうだからウチが指名してさっさと進めていいっしょ⁉︎ でしょ⁉︎』
と、半ば強引に武内とクラスを説得して流れ作業のように吉田君を指名していた。その前に少し誰にするか考えてるフリもしてたな、それが一番腹が立ったぞ、俺は。そして吉田君が引き受けると、他の吉田君ファン達が猛反発で内戦が起きた。秋穂率いる『ヤバ女』以外にも吉田君ファンの別グループがあったらしい、五人程の女子達で泥沼の消耗戦が始まった。俺は防空壕に隠れるように、また『瞳の架空登下校』を始めた。しかしまぁ、予想通りというか……秋穂の圧倒的武装勢力を前に、勝てる相手はいなかった。吉田君への愛とその他への耳を塞ぎたくなるような暴言はクラスを超えて廊下に響き渡っていた。口から泡を吹いて倒れた女子生徒もいたな。担任の武内は最初こそ止めようとしていたが、ヒートアップする『吉田君奪還戦 in 2-F』を見ていて、最終的には、休日にテレビをつけたら、たまたまやっていたアメリカンフットボールの試合があまりにも激しい戦いをするので、テレビの前で見始めてしまった、そんなおっさんのようになっていた。そして、二年F組の学級委員二人がめでたく誕生したわけだ。吉田君は最初こそ戸惑っていたが、持ち前の明るさと優しさでうまくクラスを回していた。秋穂は結局、吉田君に言われた事を嬉しそうに黒板に書いていただけだったな。目がハートマークの人間を俺は現実で初めて見たよ。ちなみに俺は図書委員になった。去年もやっていたんだが人数が多く、図書室の当番はなんと年に一、二回程度。それ以外にやる事もないので本当に楽なものだ。俺とソラが希望者として最初に入り、他は希望の委員会がなかった生徒達でくじ引きとなった。知らない女子生徒と男子生徒が一人づつ、に『トネリ』が入って五名の図書委員の出来上がりだ。『トネリ』か。ちょっと面倒だがまぁ、『サエ』じゃなくてマシだったと考えよう。もう勘弁してくれ……。ただでさえ身体が重いのに、さらに重くなった気がするぞ、くそ。昨日もそうだが高校二年に進級してからの俺の日々はなぜだが疲れることが多いような気がする。はぁ、ため息の一つも出るわそりゃ。まぁでもな、
「誰がソラを、守ってやるんだって話だ」
そして放課後。自己紹介と委員会決めが、まさか俺にとってどちらも地獄になるとは思わなかった。この後は、最初で最後の図書委員の集まりだ。去年も行ったので分かるが実際は図書委員会の名簿作りのために呼び出して、紙切れに学年とクラスごとに名前を書かせるだけのものだ。学級委員や文化祭実行委員なんかと比べれば非常にお手頃なもんだが……今回はヘビーな内容になりそうだな。トネリだ。キノコ頭のさらさらヘアーで、細身の彼は、俺やソラと同じく一年A組だった生徒だ。本来なら、同じクラスだったトネリと俺とソラで他二人をまとめるのが普通だが、この場の沈黙が俺達の仲良し度を表していた。
「………………」
トネリがチラチラと俺とソラを見ている。別に俺は気にしちゃいないが……ソラは不愉快だろうな。しかし、他二人の男子生徒と女子生徒を見てみろよ。誘拐されてきた子供達みたいに黙ってるぞ。気まずい空気もだが、ちょっとした恐怖すら感じてるんじゃないか? 仕方ない。ソラには期待できないので俺が口火を切ろう。
「まぁ、トネリ。くじで決まったことだしな、仕方ない。それに去年も俺は図書委員だったから知ってるんだが、全体の集まりはこれっきりだ。後は個人個人で決まった日の放課後と昼休みに図書室で受付をするだけなんだ。早く行こう」
「ぁ、あぁ、そうだな。すまん、佐々木」
困ってるのはトネリ、お前じゃなくて俺だよ、まったく。俺は四人を引き連れて図書室へと向かった。ずっとソラが俺の制服の袖を弱々しく握っていたが、声はかけなかった。トネリにも言った通り、今日だけだ。今日が終わればお前はこの男に近づかなくていいんだよ、ソラ。
「図書委員担当教員の『平井』です。では、順番にクラスと名前を書いて下さい」
俺がトネリに言っていたことは正しかった。去年と同様、ただ名前とクラスを書くだけのようだった。やる事は簡単だが……ざわざわと図書室が揺れていた。それもそのはず、各クラス五人の図書委員が全学年集められたら百二十名になる。今朝、吉田君に集まった烏合の集よりももっと多い。その全員が入りきってるんだ。この高校の図書室はかなり大きいな。本が多い、というよりは読むスペースや机が多いんだ。俺が入学した時にちょうど改装を終えていたので、去年初めてここを見た時は、高級マンションのエントランスだと思ったくらいだ。長机の他にオシャレなソファやガラステーブルまである。俺とソラとトネリは無言を貫いて、自分たちの名前を書く名簿が回ってくるまでソファに腰を落として待っていた。この人数だしな、さっきチラッと見かけたがまだ一年生達が名簿を書いていた。あの平井先生とやら、頭の良さそうなメガネをかけているが、効率は悪いな。何枚か用意してくれればいいものを、名簿が名前で埋まるまで次の紙を配ることをしないらしい。何やら三年生達と話し込んでいるぞ。なんてこった、しばらくこのままだなこれは。そしてこの凍った空気がその他二人を仲良くしたのか、残りの名前も知らない同じクラスの図書委員二人は少し打ち解けて会話をしていた。よかったよかった、気を使う必要はなさそうだな。すまんねお二人さん、俺たち三人は御察しの通りワケありなんだ。しかし、安心していた俺を邪魔するようにトネリが俺の隣にひっそりと座っていたソラに声をかけやがった。
「な、なんというか、ソラさん、去年はいろいろあったけども、まぁ同じクラスになったわけだし。その、あれだ、サエもいないわけだし仲良くやろう、と、思うんだが……どうかな?」
「佐々木、先に私たちの名前は書けないの?」
おーーい、ソラさんや……。話しているのはトネリさんだぞ。向こうがそう言っているんだから別に愛想よくしてもいいじゃないか。まぁ、もし俺がソラの立場だったら、たぶん同じことをしていたけどな。ほら、気まずそうにしていたトネリの感情が怒りへと変わって俺たちに降り注いでいるぞ。まぁ、あっちがアイツの本性なんだろけどな。そんな目で見られてもなぁ。去年の俺とソラならまだしも今は何も思わないさ。とりあえずソラの質問に答えておくか。また不機嫌になられたらたまったもんじゃない。
「いや、無理だな。そもそもあの一年の人混みをかき分けて俺たち二年が名簿を奪い取るっていうのはあんまりよくない光景だろ。それにどちらにせよ、全員の名前が書かれるまで委員会は終わらないぞ」
俺がそう言うと、ソラは露骨に嫌な顔をして溜息をついた。答えても不機嫌になるのかコイツは。頼むから、いつもお前がやるスッと消えるのだけはやめてくれよ。俺だってトネリと二人きりは、それはそれで嫌なんだ。まぁ、さっきからなぜこんなにもトネリという男子生徒を俺たち二人が避けているのかは一言では説明できないし、面倒なのでここでは書かない。前にも書いたと思うが、それはあまり物語には必要ないしな。簡単にまとめておくと、俺とトネリは仲が悪い。そしてソラとトネリはすごーーーく仲が悪い、とでも覚えておいてほしい。ではなぜ、そもそもこの図書委員の集まりを描写しているかというと、その理由は俺たち二年F組にようやく名簿が回ってきた、その瞬間にあった。
ソラの不機嫌を抑えようと、今日俺がやっていた『瞳の架空登下校』について話したが、和むどころかソラの「くだらない」という一言で終わった。トネリが血迷ってソラに話しかけてから何分くらい経ったろうか、もうすでに時間の感覚なんてものがなくなっていた頃、突然、何人かの名前が入った図書委員会の名簿が俺の視界に入ってきた。
「お待たせしました。これ、名簿です。二年F組の方ですよね? どうぞっ」
とても、心安らぐ声だった。やさしく渡されたその名簿を受け取りながらも、俺の目は渡してくれた女子生徒のほうを見ていた。俺は、彼女を知っている。声を聞いたのは初めてだったが、なんとなくこんな声なのだろうと思っていた。いや、その想像を遥かに超える綺麗で優しさのある声だった。にこやかに俺に微笑むと、その人物は自分のクラスの図書委員達がいる場所へと戻っていった。ありがとう、の一言も言えなかった俺はそのまま左手で受け取った紙にゆっくりと目を落とした。すでに二年A組から二年E組までの図書委員達の名前がそこにはあった。これを持ってきてくれたということは最後に名前を書いたのが彼女だったんだろう。
『2-E 小池』
名簿の最後には丸みを帯びた可愛らしい字でそう書いてあった。昨日の放課後、グラウンドの水道で顔を洗っていた、あの、彼女だ。ギャルギャル秋穂ちゃんが小池さんは転校生と言っていたが、すでに彼女には四人のクラスメイトが周りを囲んで、楽しそうにしている。それもそうか、あの見た目と声に親切な心まで持っているのなら、自然と人が集まるだろうな。女版の吉田君という感じだ。どうせ一年遅れでこの高校に入っても、俺よりはマシな高校生活を送れるんだろうな……。ん? なんだろう、この気持ちは。この虚しさは。俺は昨日の放課後、グラウンドで一人顔を洗う彼女を見た時、転校してきて友達もおらず、一人孤独と不安でいっぱいになっている姿を勝手に想像していた。たけどそれは、俺の勝手な妄想だったのだ。和気あいあいと話をする彼女はすでにこの学校で一年間を過ごしていた俺よりも高校生をやっている。まだ転校してきて二日目だというのにだ。彼女にとっての二日間は俺が去年過ごした空っぽの高校一年よりも濃密なものなのだろう。
さぁ、ようやく回ってきたわけだし俺たちの名前を書こう。俺はソラに一度名簿を渡してから自分の名前を書いた。そしてトネリに渡し、あいつが女子生徒へ、そしてその隣の男子生徒も名前を書き終えた。F組五人の名前が並ぶと、最後の彼が三年生へ名簿を渡してくれていた。俺がそれを確認して目線を戻した時、また、小池さんと目が合ってしまった。彼女がその愛らしい顔でまた微笑んで、会釈をしてくれたので、俺も軽く頭を下げた。俺は小池さんという人間に何を期待していたのだろう。自分と同じように、高校生活という青い春がモノクロの冬の景色にでもなっていてほしかったのか? 俺の周りにいる華やかで個性的な人間達。吉田君や秋穂、トネリ、サエすらもそうだ。あいつらは普通、またはそれ以上に、高校生活をしがらみや喜びと共に謳歌しているのだろう。ソラだってそうだ。あいつは自分のアイデンティティを理解し、それに従って生きる、その強さを持っている。そんな彼ら五人とは違う、普通よりも少し下ぐらいに位置する、サイコロの目で言えば数字の「二」くらいの、そんなキャラクターに小池さんにはいて欲しかったのだろうか。実は、正直な話、俺は今日、小池さんの人気ぶりの片鱗を見るまでは少し、ほんの少し、スパゲッティを茹でる時に鍋へ入れる塩くらいの量だが少し、『期待』していたのだ。俺自身と俺の学校生活の革命を。だってそうだろ? 去年ソラくらいしか友達といえる友達を作れなかった俺が僅か二日間で吉田君、秋穂、そして小池さんという存在に出会えたんだから。少しは胸を熱くしていたんだ。あの小さい森の通学路に感動を覚える程、普段の退屈な生活にあぐらをかいてた俺だが、そんなことをしながらも、この生活の変化をどこかで望んでいたのかもしれない。いや、きっとそうだ。でもそれは結局のところ『期待』に過ぎなかったんだよ。『期待』というのはだいたいの場合、裏切られるのが常だ。俺もそのくらいは分かるさ。はぁ、なんだろう身体が重い……。帰ったら昨日買った『ゲリゲリ君』でも食おう。母さんが食ってないといいが。
「佐々木、お前の図書委員の受付当番は『十一月四日』らしいよ、聞いてるの?」
ソラの声が少し遠くに聞こえた。あぁ、もう図書室当番の日程まで決まったのか、随分早いな。それに、俺の番はいつだって? 半年以上先の「十一月」。図書室当番のことは覚えていても、おそらくそれをここに書くことはないだろうな。ちなみにソラは来年の「一月八日」らしい。俺が自分自身の深層心理の探求に明け暮れていた間に名簿は出来上がり、当番の日程も組み終えていたらしい。図書委員長、副委員長などは、俺たちが名簿を書いている間に平井先生と三年生達で話し合って決めていたんだそうだ。
「あぁ、帰るか」
残念俺、もうソラの姿はそこにはなかった……。あいつに向けて放った言葉は虚しく本棚にぶつかった。いつ帰ったんだよ。というか、いつソファから立ち上がってたんだ? トネリもさっさとペンを筆箱にしまうと黙って図書室を出た。他の二人も愛想笑いを俺にして小走りで図書室のドアを開けて、逃げるように去った。名簿であの二人の名前を見ておけばよかった。結局その他二名のままだったなあいつら。まぁ俺の中でその他二名のままでも、あの二人が困ることはないだろう。俺だって彼らからすれば、「関わりたくない気まずいクラスメイト」の一人にすぎないのだろうからな。机を一つ挟んで向こう側では小池さんが一人残って図書委員の仕事内容などをメモしている。本当に真面目な子なんだな。この図書委員の仕事なんてメモを取るほどのものでもないし、彼女は昨日のグラウンドに体操着でいたはずだ、部活もあるだろうに。自分の図書室当番もきっちりと自分の予定帳に写している。それが終わると、カバンを置いて立ち上がり、一冊の本を持って戻ってきた。『ストゥームの冒険』というタイトルの本だ。二巻を持ってきたということは一巻は読んだのだろうか。帯には売り文句だろうな、かっこいい俳優かモデルのような男の隣に吹き出しで「世界が認めた天才、エド先生による繊細な表現がたまりません!」と書かれていた。そもそも帯のイケメンよ、お前は文章表現の繊細さが理解できているのか? とも思ったがまぁすごい作品なのだろう。というのも、図書室の入り口に『天才作家エド、緊急来日‼︎』と気合の入ったポップが出され、彼の作品がびっしりと並んでいたのだ。ちなみに俺の母親も一冊、エド先生とやらの短編集を読んでいたことがあったっけ。いや、というか小池さんは部活に行かないのか? 昨日グラウンドで初めて見た姿が体操着だったからか、読書をする彼女の姿はいい意味でギャップがあった。吸い込まれそうな、彼女の大きくて綺麗な瞳は『ストゥームの冒険』の活字を追いかけて上下に動いている。俺は思い切って彼女に声をかえてみた……、なんてことはできず、黙って席を立ち、図書室を出た。小池さんは俺が立つ音にピクリとも反応せずに、夢中になって本の世界に浸っていた。
駅前に着くと俺は少し憂鬱な気分だった。昨日、久しぶりに森の通学路に感じた小さな喜びは、散っている桜と共にアスファルトへ落ちていた。帰りに教室へ忘れた教科書を取りに戻った時、秋穂と吉田君はクラス全員がどの委員会に入っているのかを簡単なポスターにしてまとめていた。なんというか、あんな勢いだけで半強制的に決まった役割のくせに、なぜか二人は学級委員らしく見えていた。二人から聞いたが、結局吉田君が学級委員で秋穂が副学級委員になったそうだ。ほんと、吉田君は災難だな。でも彼は嫌な顔一つせず、むしろ積極的に委員会決めのためにクラスをまとめて、そのポスター作りも熱心にやっていた。秋穂はなんだかとても嬉しそうで、でもどこか気まずそうにしていた。あのうるさく騒ぎ回るギャルは、武器を取り上げられた銀行強盗みたいに大人しくしていた。二人きりになると、恋の気持ちが彼女を一人の十六歳の少女に戻してしまうんだろうな、俺が教室に戻った時、秋穂は怒るどころか少し安心して俺にペチャクチャ学級委員の愚痴をこぼしていた。少し緊張がほぐれて嬉しかったのだろう。二人は、まだ、教室で作業を続けてるのだろうか。吉田君はあれが終わったらすぐに着替えて体育館へ向かうのだろう。秋穂もダンス部だから一緒に行くのか、それとも胸の鼓動を抑えるために、逃げるように『ヤバ女』と合流してから吉田君の後を追うようにして体育館に行くのだろうか。どちらにせよお互いの青春のページには確実に文字が刻まれてるんだ。俺のページは今もまだ、白紙なのにな。
駅のホームでサラリーマンが文庫本を読んでいた。『天秤の重さ』というタイトルだ。あぁ、俺の母親が読んでいたエドの短編集はあれだ。ようやく思い出せた。小池さんがエドの作品を読んでいたり、図書室にエドコーナーができていたりするもんだから、結構気になってたんだ。なんだかスッキリした。それに、自分がずっと抱えていたこの『得体の知れない身体の重さ』もようやく理解できた気がする。高校二年になってからの二日間は、ずっとこの『重さ』を抱えて学校に来ていたんだと思う。きっとこれは俺の近く、もしくは俺の中で、ゆっくりと成長して大きくなっていたんだ。吉田君と出会った時に、秋穂に絡まれた時に、森の通学路を歩いた時に、ソラが俺に夢を語ってくれたあの雪の日を思い出した時も……。ギシギシと音を立てて順調にその重さを増していったんだろう。そして、成長しきったそれは、今日の図書室で、俺の儚くも哀れで小さな『期待』が裏切られた時、顔を出した。重さに耐えきれなくなった俺という天秤は、崩れながらも、自分の上に何が乗っていたのかを、その正体を、さっき図書室で、既に認識していたんだ。そこから今の地点まで、この電車を待ってる駅のホームと小池さんが『ストゥームの冒険』のページをめくっているあの図書室の間でずっと、俺はずっと、見て見ぬふりをしていたんだ。この、目の前の、何処からかやってきた、
──名もなき劣等感を。




