王様という人物
ふふん♪と鼻歌を歌う王様。有名なアール・テコ模様の壁紙が貼ってある優美な廊下。シックな小さなテーブルの上には年代物の壺が飾ってある。王様の格好はパッと見は背景である廊下に馴染んでいる。だが、じっくり見るとどこか安っぽい。王様が安っぽく見えるのだ。くまちゃんのアップリケがそれを助長させる。
こちらのもの言いたげな視線に気づいた王様。頭1つ分低い位置から茶色の目をじろりとこちらに向けた。
「なんじゃ?何か言いたいことがあるな?どうせ娘が心配だから、離れたくないのじゃろう。大丈夫だ。きちんと代わりの護衛を置いてきた」
再びふふん♪ とスキップしだした王様。それを見た黒髪黒目のやや鋭い顔つきのすらっとした体型の18歳の少年フェルディは無表情に呆れた。
いや、違うんだが、確かにクシェルから離れるのが心配ではあった。代わりの護衛がいるのは知っている。この王様は末っ子の姫をほったらかしにしているようできちんと守っているのだ。娘にはそれを隠している。なんて素直じゃない親なのだろう。
廊下の先に煌びやかなドレスを纏った側妃がいた。黒に近い髪色に瞳。フェルディに負けず鋭い目をしている。白い肌に映える真っ赤な口紅を塗った口は弧を描く。王様に妖艶に笑いながら淑女の礼をした。
「ご機嫌麗しゅう陛下。今日はいい天気でございますね」
側妃の視線に留まらないようにフェルディは王様の背後の廊下の隅に寄った。
「おはよう。そうだな。今日は良い天気だ」
王様は鷹揚に頷く。側妃との会話もそこそこに再びふふん♪ とスキップしだした。側妃はそれを見て見ぬフリをして逆方向に侍女を連れて優雅に歩き出す。
側妃の内心では王様を罵っているであろう。スキップもくまちゃんのアップリケも王としてあり得ない。文句を言っても良いと思う。側妃の忍耐強さに少し感心した。
* * *
王の執務室。棚の中から一冊の太い本を取り出してフェルディに王様は渡した。
「これをやろう。大切に読むのだぞ」
渡された本の表紙を見ると刺繍の基本と書かれている。男が刺繍をする事はまずない。いるとしても少数派だ。私はその中には入っていない。姫様に渡せってことか?
「中を見てご覧。君にぴったりの内容だろう」
私のなんだ。がっくしと肩を落とした。柔らかい質感の紙のページを開き驚いた。目を見開き王様を見るとどうだ、気に入っただろ?と和かに笑っていた。
これはカバーで隠しているだけで、中身は帝王学の本だ。本来なら王太子や王太女が持つべき物だ。だから、唯の護衛が待ってはならない。
突き返そうとしたが阻まれた。
「大事に持っていて欲しい。たかだか刺繍本なのだから良いだろう?」
「では、姫さまに贈って下さい誕生日ですし、それがいいです」
きっと、役に立たないと一蹴するが、私が口酸っぱく言えば少しは勉強するだろう。
「ならん。いやいや勉強しても知識にならない。だが、お主は違う。しっかりとした王子だ。儂はおぬしと末っ子が結ばれたらいいと思う。どうじゃ?」
この王様とは自分が12歳より前からの顔見知りである。自分が隣国の王子だとこの王様は知っている。
「王様は私が拾われた時に言いました。無知の子供が他国の民を引き取っても、それを育てても何も知らない。末っ子が勝手に知らずに育てているだけだと。私と結婚すれば戦争になります。もう無知ではいられないです」
仮にクシェルと結婚するとしよう。地味な姫だが、相手が何者だと注目されて検索され、身元がバレる。王子が生きていると叔父上に知られたら、匿ったこの国にいちゃもんをつけて戦争を仕掛けるだろう。
「お主の叔父が儂は大嫌いじゃ。お主の親御さんとは親友だった。叔父を引きずり落としたくなったらいつでも相談に乗るぞ」
王様はほっほっほっと笑う。
叔父から逃げていた時は確かに復讐をしようとしていた。だが、あれから6年も経ち成長して分かった。自分はあの頃無知であった。復讐するには人脈がいる。多大な犠牲を払う事になる。もしも失敗すればこの王様とクシェルに迷惑がかかる。自分は今、温かな居場所がある。それで十分だ。
「お心遣いに感謝致します。ですがその時はこないのでこの本はお返しします」
王様は残念そうな目をした。
「いや、お主にあげた。それを読んで末っ子を教育してくれ。あやつにも必要な知識になる」
「それは、どういうことですか?」
「末っ子が将来困らぬ様に頼むぞ。ほっほっほっ。戻ってよいぞ」
結局真意が掴めないままフェルディは追い出されてしまった。
あの王様には兄がいた。当時財政難で困窮していた国。兄は国民が飢えて苦しんでいても御構い無しに贅沢の限りを尽くしていた。兄は王太子だったが、当時の王が怒り王太子の座を剥奪し今の王様に王太子の座を渡した。そして、現在に至る。贅沢三昧していた王様の兄は病死している様だが、恐らく闇に葬り去られたのだろう。
あの王様の貧乏癖にもきっと深い理由がある筈だ。とフェルディは考えている。多分あのくまちゃんにも何か理由があるのだ。
実のところそれは唯の考え過ぎなのだと後にフェルディは思い知らされる。