8、テシオ・シーブルー
テシオは手紙を読んでいる。顔が険しい。
「何て書いてある?」
後ろから覗こうとすると、テシオは顔をしかめて追い払うようにした。
「おまえはまず、服を捨てて体を洗え。家の中に臭いが染みついたらたまらん」
無論、こんな中流の家に専用の浴室はないので、小さい部屋にタライに水を張ったのを用意してもらって、全身を洗う。デアはようやく臭いから解放された。
用意されたテシオの服を着る。ぶかぶかだ。どうやら新品を卸したらしい匂いがする。
元の部屋に戻ると、テシオはデアを睨みつけてきた。
「面倒ごとを持ち込んでくれたな」
「まず、あんた誰なの?」
「そんなことも知らないままで来たのか」
「そんな暇もなかったんだよ」
「言ってみればおまえの兄だ」
嫌そうな顔のまま、テシオはそう言った。
「じゃああんたもジャクトの?」
ジャクトが育てた教え子のことを『ジャクトの子供たち』という。デアが末っ子となるが、彼女は上にどんな人がどのくらいの数いるのかさっぱり知らなかった。
でも、こいつの動きを見る限り、殺し屋には見えない。年齢もいってるし。
その疑いの視線を受けて、
「ジャクトが育てたのが殺し屋だけだと思うな」
テシオ・シーブルーは、社会に潜伏して情報を集め、操作するという技術を教えられたという。
そして、国家書信局に務めた。国じゅうの郵便・通信を取り扱う仕事だ。手紙を自由にできるということは、重要な情報が大量に手に入るということだ。
「もっともわたしは、とうに足を洗って縁を切ったつもりだったがな」
今では国家書信局をやめて、別の仕事に就いているという。
だが、そう簡単にジャクトの蜘蛛の糸は断ち切れなかった、というわけだ。
「こんなやっかいごとを押しつけてくるとは」
うんざりした声だ。
「まあ、気を落とすなよ」
「おまえが言うな」
「一ヶ月この家で隠れてりゃいいんだろ?」
「こんな家が安全なものか。掃除婦も来る、来客もある、周囲の目もある。ジャクトが指示した隠れ場所はもっと安全なところだ。よかったな」
言いながら少しもうれしそうではない。
「わたしにその手引きをしろというのだ。ジャクトめ」
「は? どこ?」
テシオは一回わざとらしくため息を吐いてから、その名を口にした。
「ラファミーユ学園だ」
ラファミーユ学園とは?
王制末期に設立された学校である。これからは女性も学問を! という先進的な思想と、よき妻よき母になるため聖三尊の教えを体現するための修養という伝統的な価値観の両方に乗っかっている……要するに裕福で高貴なお嬢さまがたが教養を身につけるべく日々をお過ごしになる全寮制の女学校なのだ。
国が共和制に変わっても、多少の変化はありながら、今に至るまで学園は存続している。
デアからすれば品性の治外法権、天上の舞踏会。彼女の生活とは雲と泥くらいかけ離れている。お嬢さまというのは外国人の別人種と大差ない。
ああ、それなのに。
「あたしが? ラファミーユ学園に? 編入する?」
「完璧に理解しているじゃないか」
「待ってよ。あたしが! ラファミーユ学園に! 編入する! 無理に決まってるじゃん!」
「あそこは塀で囲まれている。警備の人員もいる。異質なやつが入り込みにくい場所だ。それにまさかお嬢さま学校におまえのようなやつがいるとは考えまい」
「そりゃそうだけど、あたしがお嬢さまのフリするってことだろ? 大体、そんな簡単に編入なんかできるの?」
「国家書信局の経歴を買われて、わたしは今学園の書信係をやっているのだ。ジャクトには知らせていなかったというのに」
むろん、ジャクトが見逃すはずもない。ずっと知っていて、そのことを利用できる時が来るまで寝かせておいたに違いない。
「まあ、おまえがどうしても無理というなら、わたしとしても助かる」
本当に出ていってほしいという口調だった。だが、デアには他に行くところがない。
ため息をついて諦めた。
「わかった。行くよ。しっかりお嬢さまにならせていただきますわよ」
命には換えられない。
ランプの光が薄く感じる。窓から薄く入る光が室内を染める。どうやら、夜が明け始めていた。
「今日一日で最低限の礼儀を覚えてもらう。明日にはおまえもお嬢さまの仲間入りだ」