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60、それは夜露

 ガルチアーナが意識を回復したのは、井戸周辺に静けさが戻って少し経ったころであった。


 ぼんやりした意識を徐々に明瞭にしながら、周囲を見渡す。


 正視しがたい、二人の男の生首。いまだ気絶したまま、せっかくの豪華な衣服が夜露に濡れているであろうリッジェーリ。枝に引っかかって揺れているマフラー。激しい戦いのために乱れた草むらと地面。そこに落ちているかつら。


 夜の静寂と、自分の白い息。


 その場にいるべき人の姿がないことに彼女は気がついたのだろう、口からぽろりとその名がこぼれた。


「デア?」


 ガルチアーナは立ち上がった。ふらりとしたが、そのままくるりと回って視線をあらゆる方向に飛ばした。


 デアの姿は見えない。


「デア」


 ガルチアーナはその場で必死に呼びかけた。動かないのは、どこへ向かえばいいのかわからないからだろう。


 両手を胸の前でぎゅっと握り、背を丸めて小さくなったガルチアーナは、まるでおびえる子供のようであった。


「どこにいるの、デア!」


 だんだん呼ぶ声が大きくなる。視線はあちこちに飛ぶ。まるで夜の闇をすかして彼女の姿を見ることができるかのように。


 何度目かでガルチアーナの声がぴたりと止んだ。逆に彼女は虚空に耳を澄ますような恰好で動かなくなった。


 その耳が何かを聞きつけたのか、はっと顔を上げる。


「デア?」

「……っち、こっち」


 声がする。


「デアなの?」


 ガルチアーナは転がるような勢いで井戸に駆け寄った。中を覗きこむ。


 デアは、上から覗いてくるガルチアーナの顔と相対した。


 綺麗だな。夜空を背景に、丸い井戸のかたちを額縁に、ガルチアーナがこちらを見ている。まるで偉い画家が描いた絵のようだ、とデアは思った。顔はいいんだよな、こいつ。


「デア!」


 のんきなデアの感想を切り裂くみたいにガルチアーナが悲鳴をあげた。


 デアは片腕でぶら下がっている。その手はナイフの柄を握りしめていた。


 サイールの脚に刺さったままのナイフを、もみ合い落ちながら取り返し、井戸の内壁に刃を深く突き立てて、デアは九死に一生を得たのだった。


「殴られたところ、無事か?」

「何を言っているの?」


 下から声をかけたら、罵倒が返ってきた。


「あなた、自分がどんな状態なのか理解していないのではなくて? そんなことを言っているうちに力尽きて落ちた、などということになったら許さないから。学校じゅうにあなたの正体をバラすわよ」


 大丈夫、帰らなかったら正体をバラすのはマリューがやってくれる。


 そろそろ腕がきつい。引き上げてもらいたいと声をかけようとしたデアの頬に何かが落ちてきた。指の腹で頬を撫でる。


 デアはため息と一緒になったような笑いを吐き出して、


「泣くなよ」


 ガルチアーナは首を横に振った。


「誰が? ……それは夜露よ」


 デアは彼女の強情さに呆れるしかなかった。


「なるほど、夜露ね」

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