5、ジャクトの家
「――っていうことがあった」
家に帰ってすぐに、今回の仕事の顛末を、デアは報告した。
ザグビィと一緒に貧民街まで戻ってきたデアは、ザグビィと別れた後、尾行がないことを執拗に確認してから、ジャクトの待つ自宅に帰ってきたのだ。
室内は薄暗い。光量を落としたオイルランプ、ガラスの覆いがひび割れたやつが、机上で淡く輝いている。粗末な机を挟んでデアは立ったまま、椅子に座ってうつむいたジャクトの、半白の髪を見下ろしていた。彼の頭で茶と白とがせめぎ合っている。以前は茶が優勢だったが、年につれて白が勢力を伸ばしている。
「まずいことをしやがったな。何がまずいかわかるか?」
ジャクトは顔を上げた。切れ長の鋭い目がデアを捉える。まばらなひげ、肉のそげた顔、薄い照明のもとでは皺がより深く、彼を老人に見せている。
ジャクトはデアに殺しを仕込んだ師匠であり、依頼を取ってきてデアに斡旋するマネージャーでもある。デアは依頼人ではなくジャクトの指示に従うだけである。
「必要ないのに死体のあとつけてったこと」
デアは渋々自分の失策を認めた。
ジャクトはうなずいた。しわがれ声で続きを促す。
「それから?」
「そいつらは死体を井戸に捨てた、ってことは、殺したこと自体を秘密にしておきたかった。それなのにあたしに見られた」
「で、結論は?」
「まずいモノを見たやつは消さなきゃいけない。あたしはまだこれからも狙われる」
と結論づけて、自分で出したその答えにデアは頭を抱えた。
「……マジか」
「馬鹿はおめえだ」
呆れたようにジャクトが追い打ちをかける。真面目な顔に戻り、
「……その殺し屋だがな、どんなやつだ」
デアは男の特徴を説明する。年の頃はたぶん三〇くらい、背が高く、細身に見えるが鍛えられていて、髪はザグビィに似たダークブラウンで短く刈り込んでいる。顔は四角く、彫りが深くて垂れ目気味、唇はやや厚め。手のひらは柔らかく胼胝や古傷が存在しない。
「……そんで、たぶん素手だとあたしより強かった」
少しばかり声に悔しさがにじんでしまったかもしれない。
いや、武器で戦ってたら勝ってた。石も命中させた。あれがナイフだったらもっとダメージ与えられたし。あくまで、素手という条件では向こうが上かもしれない、という話だ。などとデアは内心で負け惜しみを並べ立てる。
この家の薄い壁を通して、人々の騒ぐ声が聞こえている。酒の香り、名物料理の揚げ魚の匂い、吐瀉物の臭い、ゴミの腐敗臭、さまざまに混じり合った風が、壁の隙間から室内に入ってくる。
家のすぐ隣は酒場、テドリーの店なのだ。貧しい者たちが多いこの界隈では、毎晩のように、刹那的な酒精の誘いに身を任せる者が集まってくる。
「とっさにそれだけ見て取れたならまずまずだが、そいつに心当たりはねえな。おめえより強いやつってだけでかなり絞れるはずなんだが」
「だよね! そうそういないよそんなやつ。あたしの腕前がどんだけ優秀かって話よ」
「いつも言ってるよな? 調子にのんなって。そいつのことを調べて対処しなきゃなるめえが、ギルドに入ってねえやつかもしれん」
「じゃあ野良?」
「おれは野良より弱えやつを育てたおぼえはねえ」
「それもそっか。じゃあ……何?」
「ユニオンかも知れねえ。すると厄介だぜ」
「ユニオンって、田舎の組織じゃないの?」
「最近、主都に進出してきたって噂があってな。もしかしたらその噂が本当だったのかもしれねえ。いや、そう考えて動くべきだな」
主都を中心に組織されている同業組合は、その名の通りそれぞれ独立した殺し屋たちが、仕事の取り合いや同業者間のトラブルを防ぐために設立したもので、歴史は古く王制時代から存在する。いっぽう、ユニオンというのは革命後に誕生した新興の組織である。
これまでは、ギルドの力が強い主都にはユニオンは入っていなかったはずだが……。
「ユニオンだか知らないけど、あたしはあいつを捜せばいいんだな?」
今度はこっちから。雪辱戦だ、とデアはやる気を固めた。
しかしジャクトは首を縦に振らない。
「馬鹿、おめえは潜伏だ。事態のめどがつくまで隠れといてもらう」
「そんなの嫌だよ。自分の失敗は自分で取り返す」
確かに正面からの戦いなら向こうが上かもしれないが、殺し屋の腕ってのはそれだけじゃない。全部を駆使すればこっちのほうが上だと証明してやる。
デアは、あくまで今夜の男とやり合う気であった。
ジャクトはじろりとランプの薄明かり越しに弟子を睨みつけた。
「わかっちゃいねえ、おめえを狙ってくるのは今夜のそいつだけとは限らねえだろうが」
ユニオンにおいては、ギルドと違って個々の殺し屋は独立せず、組織の命令に従って動く。本気でデアを亡き者にしようとするとしよう。その場合、今夜の男一人に限らず、新たにユニオンから増員が来る可能性は高い。そうジャクトは言っているのだ。
「町ですれ違う誰がおめえを狙うかわからねえってことだ」
それでは勝負にならない。そもそも向こうは勝負しようなどと思っていないのだ。こっちはただの獲物ということだ。
デアは不満ながら沈黙した。
「おれが事態を探る。おとなしくしてろ」
ジャクトの命令によって、デアはこの狭い小屋で謹慎となった。