58、絶体絶命
デアはナイフを突き込む。
更に相手に近寄ると見せかけて、距離を取る。デアのフェイントだ。
その間に合わせて男が踏み込んできた。完璧なタイミングだった。
デアはさらに飛び退こうとして、なびいたマフラーを掴まれた。
しまった! 普段は身につけないから、マフラーの分の距離を計算していなかった。この間合いでは相手の手が届くのだ。
一気に引っ張られる。マフラーで首を絞めてくる。
「かっ……」
呼吸ができない。足が宙に浮いている。
サイールはそのまま彼女の体を背負って、地面に叩きつけるように投げつけた。
頭から落とされる直前、デアは手にしたナイフでマフラーを断ち切る。拘束から抜けだし、背中から落ちて一回転。立ち上がり、地面を滑って勢いを殺したときにはすでに戦闘態勢を取っていた。
デアは二つになったマフラーの片方を剥ぎ取って捨てた。同時に男が、手の内に残ったマフラーのもう一方を放した。両方とも夜風にさらわれて飛んでいく。
やっぱり強いな。
男が再び前進してきた。
デアは間合いをとろうとして咳き込む。思ったより背中を打ったダメージが大きかったらしい。
男が蹴りを放った。デアは地面を転がって避ける。起き上がると同時に、自分の頭に手をやった。
投げつける。かつらを男に向けて投げた。ばさりと髪が広がり相手の顔を覆う。
さすがに意表を突かれたサイールはとっさにかつらを振り払った。その隙にデアはナイフを構えて踏み込む。
必殺の突き。胸を狙ったナイフの閃光を、サイールは腕で防いだ。左腕にナイフが突き刺さる。
狙いは外したがダメージは小さくないはずだ。デアは再び距離を取ろうとした。
だがナイフが抜けない。締まった腕の筋肉に挟まれて、動かないのだ。
なんて筋肉だ。
デアは一瞬動きが止まってしまった。男は片腕一本でデアを吹っ飛ばした。デアは地面を擦り、井戸に激突。側頭部を強打した。くらくらしているところ、男に両手で胸ぐらを掴まれた。
ぐいと引き上げられ、デアは男の意図を悟った。
あたしを井戸に落とすつもりか!
井筒の高さは膝上程度。デアは必死に抵抗する。だが、少しずつデアの体は井戸の中へとずれていく。
こいつの体は岩か、鉄の塊か。力の差が歴然としている。
男は怪我していない方の手をデアから放すと、もう一方の腕に刺さっていたナイフを抜き取り、後ろへ投げ捨てた。
怪我した片腕だけならなんとかなるだろうと、デアはもがいた。しかし間に合わなかった。男は再び両手でデアを掴む。
もはや助かる望みはないように思えた。
……ここまでなのか?
更に、井戸の中へと、じりじりデアの体が動く。デアは力を振り絞っている。しかし効果がない。
なぜかこんなときに、ふっとガルチアーナの顔が浮かんだ。
あいつはちゃんと逃げられたかな?
いや、そんなことを今気にしてどうする。こいつを殺して帰ってこの目で確認すればいいだけだ。
デアは男の腕にしがみつく。落とされなければチャンスはある。
振り払おうとする男に抵抗するデア。その視界の端に、信じられないものが映った。
は?
目を疑ったが、見間違いではなかった。デアの心に怒りが満ちる。
馬鹿か!
男の背後から近寄る、それはガルチアーナの姿であった。




