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54、ガルチアーナの意志

 デアは、木々に隠れながらじりじりと近づいていく。何を話しているのか、意味が聞きとれるようになってきた。


「しらを切るつもりなの?」


 苛立った高い声はバルザイムの姪のものだ。癇に障る声だ。


「遺産よ、貴女は王家の遺産のありかを知っているのでしょう」


 なんだ、何を言っている?


「こちらは伯父さまの日記を読んだのよ。ごまかせるとお思い?」


 リッジェーリは何重ものペチコートの上に長いスカートをかぶせ、腰をコルセットでくびれさせた、いわゆる上流の淑女といった出で立ちで、その上に防寒用の上着を羽織っている。毛皮の襟巻きをもさもささせて居丈高にガルチアーナを見下している。ガルチアーナの服は対照的に地味なラファミーユ学園の制服で、夜の野外では寒いだろう。実際、小刻みに震えているようにも見える。


「王家の遺産が貴女の元にある、と書いてあったのよ。伯父さまが妄言を日記に書くような人でないことはわかるでしょう。だからしらを切っても無駄なの」


 ふふん、とリッジェーリは鼻で嗤う。


「だいたい、そんな特別なことでもなければ、他の家に行った孫に相続権が渡るわけがないものね。自分が相続すれば、その遺産でノッティングラム家をより繁栄させるとでも言って伯父さまを抱き込んだのでしょう?」


 バルザイム・ノッティングラムは体制が変わる前、王の下で国務大臣をつとめていた。三〇年前に革命が起きた際、ギリギリまで王家に仕えたのち、間一髪のタイミングで革命政府へと転身した。王家に忠誠を尽くした他の貴族には滅んだ家も多かった。そんな中、バルザイムは共和政府のもとでも国務卿のポストに収まった。その変わり身があまりに見事だったので、彼を裏切り者と呼ぶ声はほとんど聞かれなかった。


 つまりノッティングラム家は、現存の旧貴族の中では旧王家とのつながりが深いのだ。だから王家の遺産の話が出てきても不思議ではない。だが、遺産のありかを知っているというのならばバルザイムその人ではないのか。外孫であるガルチアーナが祖父を差し置いて遺産を手中にしているというのは考えにくい。


 それに、すべてを自分の力で成し遂げようと思っているガルチアーナだ。他者の目からはどうあれ、祖父の後ろ盾すら拒否していた彼女だ。そんな遺産があったところで、自分のものにしようとするとは思えない。


「ノッティングラム家の繁栄を盾にとって、相続権を私の目の前からかすめ取ったというわけね」


 だがリッジェーリはガルチアーナの矜持を信じない。皆が自分と同じように、有る財産は欲しがるものと思っている。


 ガルチアーナは無言である。


 草むらの闇に潜みながら見ていたデアは、次の瞬間思わず飛び出しそうになった。リッジェーリがガルチアーナの頬を張ったのだ。


 だが飛び出さなかった。まだどう動くべきか方針が決まらないのだ。どうすればガルチアーナを無事に救出できるか。


 男たちの力量が大したことがないのは見ればわかる。ユニオンといっても下っ端のほうはごろつきと大差ないようだ。個々人が自力で仕事を行なう必要があるギルドに比べて、ずいぶんと質にばらつきがあるということか。


 一息で殺してやろうと思えばできないことはない。しかし、二人いるうえにガルチアーナと密着しているとなると、万一ということがある。


 もう少し隙をうかがおう。デアは草むらの中から目を光らせる。


「まだですかマダム?」


 男がぞんざいな口調でリッジェーリを促した。早く殺す命令を出せというのだ。


「おだまり」


 ぴしゃりと男を黙らせておいてリッジェーリはガルチアーナに目を据えた。


「もっと痛めつけさせることもできるのよ」


 腕組みをして脅しつけるが、ガルチアーナはやはり何も言わない。


 いったいどんな表情をしているのだろう、とデアは彼女の背を見やっている。


「おまえが遺産を独り占めしなければ、伯父さまを殺す……行方不明になっていただく必要もなかったというのに。おまえが欲をかくから……おまえがいるから」


 リッジェーリの口調は徐々に暗い炎を纏うようであった。目は吊り上がり、過敏な精神状態にあることが見てとれた。物事が思うように運ばないのが我慢ならない性質のようだ。


 うつむいたガルチアーナが何か呟いたようだ。リッジェーリが眉をひそめた。


「なんですって? はっきりおっしゃい」

「うんざりだと申し上げましたわ、叔母さま」


 ガルチアーナは昂然と顔を上げた。その声音は、デアを手玉に取っていたときと変わらず、命の危機だというのに笑いすら含んでいるかのようだった。


「わたしは王の遺産など知らないし、あってもほしくはありません。リボンをかけてプレゼント差し上げてもよろしいくらい、もしあるのならばね。第一神の叡智にかけて、叔母さまはもう少し現実を見たほうがよろしいわね」

「私に命令するつもり!?」

「わたしはガルチアーナ・ピットアイズ。ガルチアーナ・ノッティングラムではないの」


 きっぱりと言った。


「何を、意味のわからないことを言っているの? ごまかすのはやめなさい」


 デアはリッジェーリの感情的な反発にうんざりしている。自分が上位であることを疑わない、旧貴族の傲慢さが浮き彫りになっている。


 リッジェーリはもう一度ガルチアーナをぶった。ガルチアーナの顔が横を向く。が、すぐに彼女は正面に直ってリッジェーリと相対した。デアからは背中しか見えないが、ガルチアーナが強い意志を持ってリッジェーリを見据えている、その目が容易に想像できた。


「ぐっ……もういい。頑迷な娘、王家の遺産はおまえが第三神の腕に抱かれた後に探せばいいわ」


 忍耐も足りない。感情によって行動する。とうてい大きな事を成し遂げられる人物ではない。デアは、彼女を当主と戴くことになるノッティングラム家の行く末が見えた気がした。まあ、旧貴族がどうなろうが、デアの知ったことではない。


 殺害の宣言を受けても、ガルチアーナの声は静かだった。


「わたしのことが気に入らないから殺すというわけね」

「今さら怖がっても無駄よ」

「そっちのほうがありがたいわ。王家の遺産のために生かす、ノッティングラムの相続のために殺す、なんてよりは。少なくとも今の叔母さまの目はわたしを見ている。わたしの背後ではなく」

「また、訳のわからないことを……時間でも稼ぐつもり?」


「自分の背後を振り返ったこともない叔母さまにはわからないでしょうね。わたしの背後だけしか見ない人より、わたし自身を見ながら話してくれる人のほうがどんなに好ましいか」


 ガルチアーナは男の拘束に逆らうように背筋を伸ばした。ひときわ強い口調で、堂々と言い放つ。


「それがたとえ、笑い顔が嫌い、なんていう憎まれ口でもね」


 デアは、なんとも言いがたい顔になって、それを聞いている。


 一陣の風が周囲の草むらを揺らした。

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