52、ナイフ還る
ハウスへ戻ると、マリューは、デアを引きずるように自分の部屋へ連れ込んだ。
扉を閉めると、静かにデアへ向き直った。
「心配なの?」
「は!?」
「彼女のこと」
「バカか」
「理由はどうでもいいわ。いずれにせよ考えは変わらないということでいいのかしら」
マリューの眼光が鋭い。立てかけた剣を一息で手にできる位置にあることに、デアは気づいた。剣舞のサークルに入っているというのは口実で、実際は武器を持っていても怪しまれないためであることも同時に悟った。
腕ずくでも止める気か?
瞬間、マリューの体から殺気が放たれた。訓練されたプロの殺気は明確に対象に向かう。周囲に無駄に撒き散らされたりはしない。マリューの殺気は、二つ名にふさわしく剣のごとくデアへ切っ先を向けていた。
やる気か。デアもすっと半眼になった。二人の殺気が交錯する。
マリエーリュスの部屋は二人の殺気で満たされていた。何か一つ事態が動けばそれがこぼれ、即座に戦いが開始される状態にあった。
ところが殺気は唐突に消えた。消したのはマリューだ。忌々しそうな顔で、吐息を一つ。
どうやらデアが本気かどうか試したということのようだった。
「こんな茶番やってる暇はない。あたしは行くぞ」
と言ったデアに向けて、マリューが何かを投げつけた。とっさにつかみ取る。
柔らかい。布だ。
それは、服だった。暗色のコートに、同色のパンツ。薄手のマフラー。男ものである。意図がつかめないデアはマリューを見やった。
「学園の生徒が夜の町を駆け回っていたなどという話が流れたらたまったものではないの。制服で行動させるわけにはいかないわ」
「は?」
「ついでに、ユニオンにあなたであることがわからないよう、かつらも貸してあげるわ」
言葉とともにダークブラウンの髪の毛が飛んできた。
「これから生徒たちで手分けをして学園内を捜索するように提案するつもり。そうしたら、少しの間は、あなたが学園内にいなくても気づかれないでしょう」
「……なんで?」
なぜ、急に協力的になったのか?
ぽかんとしているデアに、むしろ苛立ったように、
「じゃあ、やめろと言ってやめるというの?」
マリューは、手振りで早く着替えろと指示した。慌てて脱ぎだしたデアを睨むようにしながら言葉を継ぐ。
「快く送り出すなんて思わないでちょうだい。言うこと聞かないならせめてユニオンに損害を与える選択を取るということよ」
マリューはユニオンを嫌っているらしい。ギルド所属の殺し屋にしてみれば商売敵であるから、それ自体に不思議はない。警告の手紙も、デアを気遣ったというよりユニオンが嫌いだからということなのだろう。
デアは着替え終わった。わずかにサイズが小さいのは、マリュー用の服だからだろう。デアのほうが(一部を除いて)体格が大きいのだ。かつらをかぶり、顔の下半分をマフラーで覆うと、もう誰だか判別がつくまい。女性だとも思われないだろう。
「言っておくけれど、朝になれば貴女がいないことが知れわたってしまうから、それまでに戻ってこなければ、正体をバラしてガルチアーナ・ピットアイズ誘拐の罪をかぶせるわよ」
「好きにして」
そんな事態にはならないし、なったとしたら学園には戻ってこない。デアはこの部屋の窓枠に足をかけた。そこで思い出したように振り向く。
「かわいそうってなんだ?」
マリューは怪訝な顔になった。デアが何を言っているのかわからないのだ。
「ガルチアーナのハウスに行って、なんであんな態度を取った?」
あれは常日頃の態度からして明らかに不自然だった。あれがなければ、ガルチアーナも無理にお茶会の日程をぶつけたりしなかっただろうし、彼女の評判がここまで落ちることはなかったはずだ。
デアはそれを責めているわけではないつもりだ。不思議だと思ったから聞いたまでだ。
「だって、お祖父さまが亡くなったのよ」
「だから?」
「かわいそうでしょう。わたしなら耐えられないわ」
ごく真面目な顔でマリューはそう答えた。では、何らかの思惑があったわけではなく、本当に真情の発露だったということだろうか。マリューは祖父に何らかの思い入れがあり、それをガルチアーナに投影しているらしい。
理解しがたい。聞かなきゃよかった、時間の無駄だったと思いながら、デアは彼女に背を向けた。
「待ちなさい」
「まだ何かあるの?」
うんざりしたデアに、マリューはまた何かを放った。受け取ったそれが何なのかわかって、デアは瞠目した。マリューを見やる。
「おまえ、これ……なんで?」
「姉だから。わたしが管理する名目で先生がたから預かっておいたのよ」
受け取ったそれ、愛用のナイフを、デアは腰の後ろに装着した。
ふん、とマリューは鼻を鳴らした。
「"黝"の顔になったわね」
デアは今度こそ、ハウスの窓から、先の見通せない暗闇の中へ、体を躍らせた。




