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31、ちゃぶ台返し

 それから一旬が過ぎた。ガルチアーナの催促をのらりくらりとやりすごしつつ、あと数日で一ヶ月というところまでやってきた。このままスパイ活動はやらないで逃げ切るつもりだ。


 そしてようやく、待っていたものが来た。


 ジャクトからの知らせがあると、テシオに呼ばれたのだ。


 今後どうするかの打ち合わせが必要だ。デアにとって学園から抜け出すのは造作もないことだが、テシオにとってはその後の処理が必要となる。大騒ぎとなって街じゅう捜索隊が出たりすることになってはまずいし、テシオを通さずにトリアトリー家に問い合わせなどされたら、さらにまずい。


 書信室で、テシオはデアを前に苦い顔だ。デアと話すのは、足を洗ったはずの黒い過去と対面するような気持ちなのに違いない。


「勉強はちゃんとしているか?」

「前置きはいいよ」


 テシオは意味ありげにデアを見た。


「ジャクトから知らせが来た」

「だから前置きはいいって」

「おまえを狙う相手の正体がわかった。つまりバルザイム殺しの依頼者だが、それはバルザイム・ノッティングラムの姪、リッジェーリ・ノッティングラムだ」


 デアの脳裏に、あの夜に井戸の近くで見た、金持ち風の女の姿が浮かんだ。


「バルザイムの子はすべて死んでいて、姪がノッティングラム家の相続権一位だったんだが、バルザイムは外孫に家を譲る気だったらしい。姪はそれを撤回させようとしたが、それができなかったため、ユニオンの殺し屋を雇ったというわけだ」


 デアの仕事はバルザイムの政敵からの依頼だった。二つの依頼は完全に無関係で、それが偶然同日にバッティングしたということになる。


 なんという間の悪さだ。一日でもずれていれば今ごろデアは自宅でゴロゴロしていたはずなのに。


「だがバルザイムが死んでも、遺言書が残っていた場合は、孫が相続してしまう。そこで、死を確定させないために行方不明ということにした。行方不明になって一年経った場合、相続は国の決めた法に従って行われる。遺言書の意向ではなく」


 なるほど。だから死体を隠す必要があったのだ。


 で、それを目撃してしまった運の悪い、好奇心が仇となった愚か者が、あたしだ。


 そりゃ命を狙われるわ。


「でも事情がわかったってことは、ジャクトの調べはうまくいったってことだよな?」


 ということは依頼人の姪にも接触して、デアの身が元通り安全となるように交渉したのだろう。


 言ったとおり、ジャクトは一ヶ月でそこまでやったのだ。


 いよいよ学園からもおさらばというわけだ。


 重い荷物を下ろしたみたいに背筋を伸ばすデアを眼鏡のレンズ越しに見て、テシオは重々しく口を開いた。


「ここからが本題だが」

「ん?」

「…………」

「言えよ。だんまり決め込むのが本題か?」


 軽く促した。


「先方の反応は敵対的で、現状において建設的な交渉は不可能」

「は?」

「『おれも身を隠す。おまえはまだ学園から出るな』とのことだ」


 テシオは虫歯をこらえているような顔をしていた。


「つまり、バルザイム・ノッティングラムの姪リッジェーリ……」

「名前はどうでもいいよ。そいつがなんだって?」

「そいつはおまえを狙い続ける。狙う動機がなくなるまでな。それまで隠れていろということだ。残念なことだが」


 本当に残念そうに、テシオは深くため息をつき、語を継ぐ。


「つまり――」


 デアは手を挙げてテシオを止めた。


「ちょっと待てよ、動機がなくなるまで?」

「そいつが家を相続するまでってことだ。つまり」

「いやいい。それ以上聞きたくない」

「一年間。あと一一ヶ月ということになるな」

「聞きたくなかった!」


 デアはがばっと天井を仰いだ。


そんな馬鹿な(ビッグスリーフールズ)! 一年間!? 冗談だろ?」

「声が大きい。外に漏れたらどうする」

「でかくもなるわ。ジャクトのやつめ。一ヶ月と思ったら一年だっただと? そいつは、バルザイム・ノッティングラムを殺せって言われて行ってみたら同姓同名のバルザイムが一二人いたみたいな話だぞ。嘘だろ、もう」


 感情のほとばしるままによくわからない比喩を使ったデアは、反っていた背を丸めて、額を机に打ちつけた。


「良家の子女らしくない動きをやめろ。廊下から見られる」

「勝手に学園から出てやろうか……」


 低い声でつぶやきながら姿勢を戻す。


 テシオはそんなデアをじろりと見やって、


「相手はけっこうな人数を雇ってるらしい。学園の外でいつまで逃げ隠れできるかな。まあ、わたしとしてはそれでもかまわんが」

「だったら、学園を出てもいい、ってジャクトの知らせを捏造すればよかったのに。そんで何も知らないあたしが学園から出るのをただ見送ればいい」


 そうもいかないことをわかって、デアはテシオに皮肉を言う。そうなったらジャクトがテシオをどんな目に遭わすことか。テシオは雑草を頬張ったような渋い顔をした。


 自分より困っている人を見るのは心の慰めになるが、それでデアの状況が好転するわけではない。


 一年間、学園内で生き延びねばならない。そのために対策を練る必要がある。


 そこで、デアは重要な懸念事項に思い当たった。


「待てよ。テストで悪い点を取ったら放校……とか言ってなかった?」

「学問のエリートを養成するのが目的ではないが、最低限の学力は必要だろうな」

「次のテストまでは……?」


 と、恐る恐る聞く。


「およそ半月だ」

「どうすんだよ! 無理だろ」

「だから言っただろう」


 テシオは暗く笑った。


「勉強はちゃんとしているか、と」


 心の慰めを必要としているのはお互い様のようだった。

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