30、クッキーをくれる子
「見つかっちゃってるじゃないの!」
報告を受けてガルチアーナはデアを叱責した。
「おまえの差し金だってことはバレてないはずだからいいだろ」
「いいわけがないでしょう」
デアは、ガルチアーナが手に持っている物を見た。可愛らしいピンクのリボンでラッピングされた小袋だ。開いた口からは一口サイズの焼き菓子が中に入っているのが見える。デアはいただこうと腕を伸ばしたが、ガルチアーナはもう片方の手でぴしりと叩いた。
「これは妹が焼いてくれたクッキーよ。勝手に食べるなんて行儀のよくないまねはダメ。それより、続きを話してちょうだい」
「別にもう話すこともないよ。いつもみたいにつまらなそうに帰っていいって言われて、おしまい」
「それで? 少しは日記の中身を見たのでしょう?」
「だめ」
デアは首を振った。
たしかにデアはマリエーリュスの日記を読んだ。だが、役に立ちそうな記述はほとんど見当たらなかった。というより、記述がほとんどなかった。部屋の中と同じような殺風景な日記であった。
「日付と、天気だけ。食べた物や人の名前が一つ二つ書いてあれば長いほう」
見られても平気だったのも理解できる。
デアの日記帳はそれを超えて完全に白紙だが、今は関係ない。
ガルチアーナは諦めきれないようすで、
「記述に共通する特徴や、日付について分析すれば何かわかるのではなくて?」
「あたしは学者じゃないぞ」
「あなたって本当、わたしの希望を満たさないことに長けているわね」
ガルチアーナは袋から菓子を取り出してまた一枚食べた。
「でも、今回はあなたのせいばかりとは言い切れないわね。マリエーリュス・ロッカラムがもう少し日記を丁寧につけるかただったら結果は変わっていたもの」
さすがに、分析するから実物を盗んでこいとは言わなかった。
「だろ?」
「仕方ない、次の手が必要ね」
「まだ何かやらせるのか?」
デアは、ガルチアーナの手の動きに合わせて菓子の袋を目で追いながら言った。
「当たり前でしょう。そうね、本人が駄目でも他の人の日記には何か有用な情報があるかもしれないわね」
「また日記かよ」
今回はさいわいに、マリエーリュスがこだわらない人だったからよかったものの、たとえばあの三白眼の日記を盗み読んでいるところを見つかってみろ、一体どうなることか。考えただけでげんなりする。
デアは半ば投げやりになって、
「どうせならもっとエスカレートして、陰湿ないたずらを仕掛けろとか命令したらどうだ? 服を切るとか、飲み物に下剤を混ぜるとか。いっそ殺すとか」
「いくらあなたでもあまりに野蛮な物言いではなくて?」
ガルチアーナは本気で嫌そうに顔をしかめた。
「そんなことしても意味がないでしょう。彼女に同情が集まるだけ。犬はもっと有効に使うものよ。相手を把握するために情報を得る」
「弱味を握るって、はっきり言ったら?」
「相手の得手不得手、長所や弱点を知っていれば、イニシアチブが取れるでしょう」
「あたしにやってるみたいにね」
「あなたにやっているように。わたしは学園で最も信望のある生徒としてリーダーシップを発揮するの。マリエーリュス・ロッカラムの下風に立つわけにはいかないのよ」
またクッキーを一枚食べるガルチアーナ。デアのほうに視線を流して、
「甘い物が好きなのでしょう」
物欲しそうなのを見透かされていた。デアは咳払いする。
「だいたいさ、どうやって一番かどうか決めるんだ?」
「わかりやすいのは、監督生ね」
なんか聞いたことがあるような単語が出てきた。
「それって何なの?」
「生徒のまとめ役として学園側が一人、代表者を指名する制度よ。素行や他の生徒からの信望などを総合的に判断して決めるのだけれど、今はマリエーリュス・ロッカラムがその任に当っているわ。次の指名は春。それに選ばれれば、一番だという証明になる」
ガルチアーナの声にも力が入る。デアにはさっぱりわからない世界だ。
「こんな学園の生徒の間で一番になってどうすんの? 何年もしないうちに卒業しちゃうのに」
素朴な疑問をデアが呈すと、ガルチアーナはふう、と息を吐き、ゆっくり肩をすくめてやれやれとばかりに首を振った。
「そうね、あなたは旧貴族でも新貴族でもないのだもの、仕方がないのよね」
「馬鹿にされてる?」
「学園を出たといって、何も関係がなくなるわけではないの。むしろ付き合いはそのあとのほうが長く続くでしょう。同じ階級、同じ世界にいるのですもの」
「そういうもんか」
「だからわたしは、自分の力で一番になれることを証明しなければならないのよ」
ガルチアーナの口角から笑みが消えた。
「誰に?」
「自分に。そしてわたしを見ている人すべてに。実家の名や経済力、そういった背景がなくとも、自身の実力で上へいけるのだとね。そのためには学園という、ある程度均質な環境で結果を出す必要があるの」
真剣な瞳がまっすぐにデアを射抜く。本気でそう思っていることが伝わってくる。
「てことは、おまえの家は小貴族か」
「ええ、そうよ。ピットアイズ家は、王制時代には無爵の小貴族だった。革命の際に共和政府に功があったので、旧団爵待遇を得たの。貴族だったときには爵位がなく、貴族制が廃止されたあとで、団爵だった家と同じ扱いになったというわけ」
「ややこしいな」
「わたしはピットアイズ家の者。わたしは学園で一番になり、卒業して社交界で重きをなし、ピットアイズ家の名を大きくするの」
毅然として言い放った。それから一転、憎々しげに顔をゆがめる。
「それでここまでやってきたというのに、マリエーリュス・ロッカラムがいるおかげで……!」
「はあん」
親を知らず、名字すら持たないデアにはピンとこない話だ。
「それで旧貴族をまとめて、対抗してるのか」
当然そういうことだろうと思っていたが、ガルチアーナは目をぱちくりとさせた。考えてもいなかったという顔だ。
「いいえ。別に私は旧貴族の派閥を作っているわけではないわ。旧貴族の旗頭になるには、ピットアイズ家の名は小さすぎるもの」
それはたしかに、そうか。旧貴族の家柄をアイデンティティとして集まるなら、大貴族の子が中心になるのが自然だ。
「わたしは自分の力で支持してくれる子を集めたの。旧貴族の子たちばかりなのは偶然だと思うわ」
「それにしても、別にケンカや戦争とは違うんだろ? だったらあたしなんか使わないで自分で直接マリエーリュスと話せば?」
そしてあたしを解放しろ。
デアの単純な提案に、虚を突かれたようにガルチアーナは目を見開いた。
「え……?」
少しの間停止していたガルチアーナは、ようやく理解したというように眉根を寄せた。
「このわたしに、下手に出ろっていうの?」
「下とか上とかなくって普通でいいじゃん。友達づきあいで」
動揺したようにガルチアーナの目が泳いだ。
「そ、そんなこと……無理だわ」
「なんで? 自分からいけば、向こうは断らないと思うけど」
「お黙りなさいっ」
ガルチアーナはデアの口に焼き菓子を押し込んだ。
「犬は吠えるものだけれど、あまりうるさいと処分を考えないといけなくなるわよ」
バターの芳醇な香りがデアの口いっぱいに広がる。
「とにかく、今まで通り情報を収集しながら、他の人の日記を読むチャンスを掴みなさい。妹の焼き菓子にかけて、わかったわね?」
デアは菓子を咀嚼しながらしぶしぶうなずいた。
期限を切られなかっただけましだ。
ありがたいと感謝する気には、もちろんなれなかったが。




