2,Big Three Fools
「なんてこった」
屋根の上でデアは、息を潜めているのも忘れて思わず声を漏らした。
呆然とした。
呆然とするしかない。
依頼がバッティングしたのか? たまたま二人が同じ日に同じ人間を殺そうとしていたなんて、そんなことがあるか? ひどい冗談だ。こういうのを防ぐために同業組合があるんじゃないのか。思わず天を仰ぐ。
今回の仕事は失敗……になるんだろうな、やっぱり。
今から出ていってもう一回殺させてくれというわけにもいかないし。
せっかくの大仕事を不意にされてしまった。なんだよ。デアのやる気は風船みたいにしぼんでしまった。
その眼下で、執事は持ってきた毛布を広げ、バルザイムをその上に寝かせた。毛布でくるんで縄で縛る。倒れた椅子を直し、書類をまとめ、まるで何事もなかったようにその場を整えた。
殺す時の手際といい、後片付けといい、この執事は素人ではない。明らかに訓練されたプロだ。本物の執事が実は殺し屋だったのか、殺し屋が執事に化けてこの場に登場したのかはわからないが。
毛布にくるまれた死体を担いだ――と思うと、男は急にこちらを向いた。デアは慌てて死角に飛び退いた。
気配を感じたのだろうか? 見つかりはしなかったはずだが……。
再びそっと部屋を覗くと、男は死体を担いだまま部屋を出ていってしまった。
どうするよ? 夜空を見上げながら、デアは迷った。このまま帰ってジャクトに報告していいのかどうか。
何せはじめての失敗だ。ジャクトの期待を裏切ったことになってしまう。
いやいや、とデアは頭を振る。失敗といっても、こいつはあたしのミスじゃない。殺しの依頼が重なってたんなら、ギルドが悪い。それにけっきょくバルザイムは死んだんだし、あたしが悪いことなど何もないはずだ。
と屋根の上で腰を浮かしたところで、死体を担いだ執事が屋敷から出てきたのが見えた。デアはとっさに身を沈めて様子をうかがう。
誰もいない裏庭を奥へ歩いていく。裏庭といっても、旧光爵の大邸宅である。並の広さではない。林があり川が巡り、バルザイムの趣味なのか、奇岩が立ち並んでいる。
デアは少し考えて、自身も屋根の上から裏庭へ降り立った。男に感づかれないよう距離を取り、木や岩に隠れながら、足音と気配を消してつけていく。
死体を運んでどうする気なのか、という点が気になったのだ。
それに、このままただ引き下がっては、夜風に吹かれ損だ。何か情報でも掴めば、多少は獲物を横取りされた憂さ晴らしになるだろう。
男は観賞用の庭を通りすぎ、忘れられたような林に入った。ここしばらく手入れがされていないようで、雑草が伸び、道が落ち葉や苔に覆われかけている。雨でもないのにじっとりと湿っているような感覚をおぼえた。
林の奥に古井戸があった。石材で蓋がされていて、もう使われていないやつだ。
そのほとりで、一人の女が待っていた。手にした扇で半ば顔が隠れているが、歳は四〇くらいといったところか。うら寂れた場所に似つかわしくない、明らかに上層階級のいでたちだ。
女は、やってきた執事の男と二、三言葉を交わした。声が聞こえるほど近寄れないのが残念だが、下手に動くと物音が相手の耳に入る危険がある。隠密の心得はあるが、相手もプロとなると慎重にならざるを得ない。
女に何か言われた執事の男が肩の荷を下ろして、毛布をめくった。女はちらりとそれを見た。死体の顔を確認しているようだ。すぐさま扇で顔を隠すようにして、目を背け、毛布をかけるよう手で指示した。
この女が依頼人らしい。同じ敷地内にいるということは、バルザイムの身内か?
執事の男は井戸の蓋に手をかけた。石でできている分厚いものだ。かなり力を入れて少しずつずらしていく。上流階級の女はもちろん手伝いなどしない。
ある程度蓋が開くと、死体を担いで井戸の中へ投げ入れた。落ちた音はしない。少なくとも離れたデアの耳に届くほどの大きさではない。かなり深いようだ。
そして男は再び全身の力を込めて蓋を閉めた。
二人の顔は覚えた。こちらへ戻ってくる前に退散したほうがいいだろう。デアはわずかに身じろぎした。ほとんど聞こえないほどの葉音が足下で鳴る。
瞬間、執事の男がこちらを見たかと思うと、足下の落ち葉を巻き上げる勢いで駆けてきた。
――見つかった!?
デア本人の耳にすら微かにしか届かなかった葉音に感づいたというのか。まっすぐデアのほうへ向かってくる。完全に見つかっているようだ。隠れてやりすごすことは無理。やばい。デアは身を翻して逃げ出した。