17、初授業
ラファミーユ学園のカリキュラムは、年齢別でなく能力別に初級と上級に分かれ、その中にいくつかのクラスがある。
デアはむろんのこと初級だ。彼女は読み書きと計算が一通りできるくらいでしかないが、実はその程度の学力でも入学してくる者はたまにいるのだという。
ある程度の家柄と寄付金さえあれば、誰でも入学できるのだ。
ただし最低限の質を守るのに、年三回の試験がある。これでひどい点を取ったら、即放校になる。学ばず遊ぶだけで学園に残れるほど甘くはないのだ。
今日は初授業だ。何が起こるか、何をするのか、ここで観察しておかねばなるまい。後ろのほうの席を確保して、デアは最初の文学読解に備える。
使用する万年筆もノートブックも、学園から支給されたものである。
「今日はストンポー『あるいは情熱について』の朗読をしましょう」
先生が黒板に詩を書いて、それを皆声を合わせて読む。
『貴方は風、私は林、林は風が吹けば音を生じ、風が止めば沈黙するさだめ。貴方は日、私は氷、私のかたくなな心は貴方のまなざしで溶けてゆく』
デアは左右をうかがいながら口パクで合わせた。
「さてここでは多様な比喩が用いられています。ストンポーはある物事を別の物で喩える技巧を多く用いた詩人として知られているのですね」
先生は新入りに視線を止めた。
「それではアデリアさん。比喩の技巧がこの詩に与えている効果とは何かしら?」
「は?」
と言ったっきりデアはしばらく黙ってしまった。
様子を見るはずが、いきなり指名されて一番に答えなければならないとは。
難しい言い方をしているが、問いの意味はわかる。たとえ話を使ってるけどどう思う? みたいなことだろう。しかし、どう答えればいいのか。
それを、初参加の気後れと思ったか、先生が助け船を出した。
「詩を味わうのに唯一の正解というものはありません。アデリアさん、貴女が感じたことでいいのよ」
あ、そうなのか。ちょっとほっとした。教養とかが求められるのかと思った。
「なんでもいいんですか?」
「ええ。貴女の思うところを聞かせてちょうだい」
それなら。
「ハッタリです」
「…………はい?」
「好きなら好きと言えばいいのに、多くの言葉で飾り立てるというのは、ハッタリを効かせようとしているということです。だと思います」
教室のどこかからクスクス笑いが漏れた。デアはちらっとそっちに視線をやった。
先生はしばらく言葉を失っていたが、なんとか立ち直った。
「……そ、そう。そういう読み方もある、かもしれないけれど、少し個性的すぎるかもしれないわね」
遠回しにたしなめられた。
どうやらまずいことを言ってしまったらしい、ということはデアにも感じ取れた。憮然としてデアは机上の真っ白なノートブックに目を落とした。
「では、ファルナティさん、貴女はどう思うかしら」
「はい、次々と物の比喩を重ねることで、重層的な映像のイメージを詩の中の『貴方』に、ひいては私たち読者に与えようとしているのではないでしょうか」
「素晴らしい」
回答した生徒は、デアのほうをちらっと見てかすかに笑みを作った。
そんな答え出るわけねえだろ。
忍び笑いはまだ続いている。
さてこの笑いは、単純に面白がっているのか、それとも意地悪な気持ちが含まれているのか。
デアは昨日のお茶会のことを思い出していた。
最初は皆がソーサーから茶を飲むという異常なことになったが、その後は当たり障りのない歓談で、それなりに和やかなムードとなった。
話題の中心となったのは当然ながらデアであった。主に、アデリア・トリアトリー嬢の故郷であるところの東部地方の話を。ラファミーユ学園は主都で生まれ育った生徒がほとんどで、地方の出身者は少ないらしい。
東部地方出身の生徒は一人もいないということだった。
その辺も考慮して、テシオはデアがなりすます相手にアデリアを選んだのだろう。そうでなけりゃすぐボロが出てしまう。
いろいろ聞かれたので、デアはしょうがなく、テドリーの店でいつか聞いた話を適当にアレンジして聞かせた。自称東部出身の酔っ払いが、ろれつの回らない舌で語っていた話だ。
東部では、秋にはロワンの木の紅葉が盛んで、山が全部燃えるようになって……、子供たちはよだれを垂らす。ロワンの果実でジャムや砂糖漬けを作るからだ。
「ロワンジャム! 私の好物よ」「私もですわ!」「東部の名産だったのは存じませんでした」
などと盛り上がるが、実のところデアはロワンがどんな木か知らないし、むろんジャムも舐めたことがない。東部では庶民も食べるが、輸送コストがかかるため主都では高級な食べ物になっているのだ。
小さい子供のころ、収穫前の実を取りに仲間たちと山へ入り、生のままかじり、まだ青いロワンの毒に中って寝込んだ……。
和やかな雰囲気だったので、軽く笑いでも起こるかと思って語ったデアだが、周囲は皆微妙な顔をしていることに気づいた。
たまたま視線が合った生徒は、弱々しい笑みを浮かべて、
「か、活発な幼年時代でいらしたのね……」
しまった、お嬢さまのエピソードとしては不適切だったか。
「い、今はそんなことはないんですよ。あくまで子供のころの話で」
慌てて言い訳する。
「だから髪型もそのようなかたちにしていらっしゃるの?」
「山を駆け回るのに長い髪は不要ですものね」
その冗談口に何人かが同調して笑った。悪意とは言わぬまでも軽くデアを下に見た態度であることは伝わってきた。マリエーリュスの手前、それ以上のことはなかったけれど。
そんなことがあった。そして今も、授業で珍妙な受け答えをして笑われてしまっている。
要するに、デアは学園内のパワーバランスにおいて、かなりの軽量級と見なされているようなのだ。
地方出身でも実力者の娘なら違っていただろうし、小さくとも主都近辺の家であれば違っていただろう。遠い田舎の小さな旧貴族、ということで、家柄としては無視してかまわない程度の存在なのだ。
それを覆すには、デア本人が学園生活で目立った活躍をする必要がある。しかし、デアにそんなことをする気はさらさら無かった。
軽く扱われるとは、逆に言えば脚光を浴びずに済むということだ。正体を隠すにはそのほうが都合がいいではないか。
せいぜい頭を低くして、他の人とぶつからないように過ごしていこう。そんなに難しくもないはずだ。
正体がバレずに一日を過ごせたことで、気持ちにゆとりができ、デアは、二日目にして未来に明るい展望をもつことができた。
このままなら一ヶ月間、大丈夫そうだな、と。
――それは、あまりに早すぎる楽観であったのだが。




