12、ガルチアーナ登場
道なりに歩いていく。分かれ道があったら適当に選んで歩く。
ハウス区画の端っこに、木組みの小屋が建っているのを発見した。場違いに粗末なつくりで、少し歪んでいるようにも見える。雰囲気は貧民街のジャクトの家に似ているが、こちらの小屋のほうがサイズは大きい。
お嬢さま学校にもこんなボロい建物があるのか、となんとなく親近感を抱いた。もっともこっちのほうが清潔だろうが。少なくとも犬や酔っ払いが毎日のように壁に小便をひっかけていくなんてことは、ここではあるまい。
デアは微妙に小屋が揺れているのに気づいた。しばらくすると中から使用人らしき男が何かの箱を抱えて出てきた。こちらに気づくと恐縮したように深々と礼をした。
どうやら使用人が使う倉庫らしい。どうりでボロいわけだ。お嬢さまがたが直接使用しない部分にはなかなか金が回ってこないようになっているのだろう。格差だな。
しかし、中で荷物をあさるだけで揺れるほどオンボロだと、そのうち倒れてしまいそうだ。
倉庫の脇を抜け、デアはさらに建物のなさそうなほうへ進んでいった。
開けた草原があった。道はゆるやかに登っていて、小さな丘に続いている。丘の麓には川も流れている。花壇や剪定された樹木などの造形はここにはない。人工的に作られた自然だ。
バルザイム・ノッティングラム邸の庭も広かったが、こっちのほうが更に広い。
丘は南側の角度がゆるく北が比較的急になっている。
もし夜にここに来たなら、北側に位置どるのがいい。姿勢を低くすれば見つかりにくくなるはずだ。ただ草の丈が低い……たぶん頻繁に草刈りをしているのだろう……から、長時間隠れるには向いていない。
万が一学園内に追っ手が来た場合の動き方を考えながらデアは歩いていく。
身を隠すという点では、あそこ。丘を越えた先に小さな森がある。先ほど校舎の脇で見た、壁隠しの林よりも、もっと木々が密集している。今歩いている道はその森へと延びていた。
秋に色づきはじめた木の葉たち。落ち葉が風に舞うと大変だろうが、きっと使用人が掃除しているに違いない。だからハウスのほうには葉や枝や土埃がなかった。
それにしても、この森も学園の敷地内か。ここが主都の中だということを忘れそうだ。
デアは道なりに進み、森の中に足を踏み入れた。
静かだ。太陽が出ているのにこんなに静かなのは初めてかもしれない。都市部ではいつでもどこかで誰かの声がする。例外は深夜だけだ。
夏の威力を失った太陽が、木の合間からこぼれ落ちて、地面に淡い光の模様を描く。ときおり微風が吹いて、しばらくの間森をざわつかせ、また沈黙に戻っていく。
落ち葉に紛れて落ちているドングリを、リスが拾っていくのを見た。
デアになじみ深いのは、木々を伝うリスではなく、街角の壁沿いを走る汚れたネズミだ。ここでは動物さえ違う。
ここなら大丈夫かな?
デアはきょろきょろと様子をうかがってから、
「誰かいませんかー」
周囲に呼びかけてみた。返事はない。
もう一度、もっと大きな声で呼んだが、やはり誰もいないようだった。
よし。
ようやく体を自由に動かせる。おとといはジャクトの家、昨日はテシオの家に籠もっていたし、今日は朝からあの服だ。肩がこるわ。
デアは軽く準備運動をしてから、ロングスカートの具合を確かめて、試しにハイキックを打つ。鋭く黒い半円が空を切った。
そのまま駆け出す。跳ぶ。空中でターン。木の幹を蹴って宙返り。うん、やや布が脚に絡むが、問題なく動ける。スカートの中が見えちゃうかもしれないけど……。
それと、太もものナイフが取り出しにくい。スカートをたくし上げないといけない。実際にやってみたが、やはり即応性に欠ける。
さらに言えば、激しく動くとスカートが太ももに張り付くようになるので、ナイフの形が浮き上がって見えてしまう。これは問題だ。
ナイフの装着箇所を変えるか、いっそ携帯しないという選択肢も視野に入れておいたほうがいいかもしれない。
とにかく、この服に慣れておかないと。
ストレス解消も兼ねて、デアはさらにアクションをひととおり行なった。
体が熱くなりうっすら汗が出てきたところでおしまいにする。ふう。さて戻ろうか。
そこへ、さくさく葉を踏む足音が聞こえてきた。誰かが来る。立ったままでいると、やってきたのはデアと同じ服を着た少女だった。学園の生徒だ。
思わず隠れて接触を避けようとしたが、思い直した。お嬢さまがた相手に上手に会話ができるかどうか、チャレンジする必要がある。その最初の試練が、大勢の目があるところでなく一対一なら、むしろ好都合といえるんじゃないか?
「おはよう」
腹を決めたデアは、ドキドキしながら相手に声をかけた。
何か考えていたのか、下を向いて歩いていた相手は、ここに人がいるとは思ってもいなかったみたいに、目を丸くしてデアを見やった。
顔を上げた少女を見たデアは思わず息を呑んだ。デアはこんなに美しい少女を見たことがなかった。
髪は木漏れ日に輝く、黄金よりなお金の色をしたゴールデンブロンド。繊細で緩やかなウェーブがかかり背中へ流れている。目は大きく、まつげが長く儚げで、深いエメラルドの色をした瞳がデアを見つめている。
背は低めで、体つきは女性らしく、デアとは対照的だ。
これまでデアは旧貴族の娘を見たことがないわけではないが、大半は豪勢な服に負けて本人の印象が薄かった。目の前の彼女は、地味な制服を身につけていてもきらびやかに見える。どんなに盛装しても服や装飾品の従者になることはないだろう。
「あたし、今日からこの学園に編入しましたの」
そう言って、どうだ? と、緊張しながらデアは相手の反応をうかがう。
少女は人なつこそうに微笑んだ。
「ごきげんよう。わたしはガルチアーナ・ピットアイズよ」
特にデアの態度や言葉に不審げな様子を見せることはなかった。
あいさつはごきげんよう、というのか。
「ごきげんよう。あたしはデ……アデリア・トリアトリー」
あぶな、思わず普通に名前を言ってしまうところだった。
「アデリアさん。編入生がどうしてこのような場所にいらっしゃるの?」
「ハウスにいたんだけど、お祈りで他の人がいないから、散歩を少々」
「散歩?」
復唱して、ガルチアーナは少し小首をかしげた。唇の下のくぼみに人差し指を当てて、まるで値踏みをするかのようにじっとデアを見やった。
ただ見られているだけは居心地が悪い。今までのあたしの行動に何かまずいところでもあったか?
空気を変えようとデアが何か言おうとしたところで、ガルチアーナはにっこり笑った。
「それなら、そろそろ戻った方がよろしいのではなくて? みんなハウスに帰っているでしょう」
確かに、この子だって礼拝の時間が終わったからここにいるのだろう。
今の凝視はなんだったんだ? なんでもなかったのか? ただ顔をよく覚えたかったとか……。よくわからないが、忠告に従って、デアは立ち去ることにした。
「それじゃ、あたし行くんで……ごきげんよう」
「ごきげんよう」
にこやかに挨拶を交わす。よし、お嬢さまとのファーストコンタクトは成功だ。
きびすを返したデアは、背中に彼女の視線が注がれているのを感じていた。




