11、リーリア・ハウス
いったん職員棟から外に出ると、正面にはデアもさっき通ってきた正門がある。門を入ってすぐの建物が職員棟ということなのである。職員棟は外部から来た人の応対にも使われる、いわば学園の表部分だ。生徒たちが暮らす奥へは許可なく出入りできないし、正門からは職員棟が壁になって奥が見えないようになっている。
ニニーに先導されて職員棟の脇から奥へと向かう。
花壇に縁取られたきれいな石畳の道を歩いていく。職員棟の脇を過ぎるとまた別の棟が現れる。二階建ての大きな建物だ。生徒たちが勉学に励む校舎である。
校舎の反対の、デアの左手は林になっている。
「そちらには敷地を囲む塀があるのですが、むきだしだと殺風景ということで、木を植えてあるのです」
「隠れて忍び込みやすそう……」
デアははっとして口を押さえた。
やばい、思わず感想が声に出てしまった。
「そんなことをおっしゃる方は初めてです」
このお嬢さまは妙なことを言う、という顔を一瞬で引っ込め、ニニーは安心させるような表情を作った。
「大丈夫です、塀の外を警備が見回りしています。昼夜ずっと」
「ああ、そうなの。それなら安心」
デアは林の奥の煉瓦塀を透かし見ながら、にっこり笑ってみせた。
「ハウスの区画までもう少しです。姉妹の皆様がアデリアさまを歓迎してくださるはずですよ」
姉妹とは? また新ワードが出てきた。
「外部の人にはよく誤解されるのですけれど、ハウスというのは一つの大きな建物ではないのです」
「はあ」
つい先日まで、デアには誤解するほどの知識もなかった。
「二〇軒の家が立ち並んでおりまして、一つのハウスにそれぞれ四から六名ほどのお嬢さまがたが生活なさっています。同じハウスに暮らすかたがたは家族と同じということで、姉妹と呼び慣わされているのです」
デアは内心の酸っぱい気持ちが顔に出ないよう我慢した。そういう濃い人間関係、強いつながりはデアにとっては不必要なものだ。できるだけ人付き合いは薄くして、ただ一ヶ月をやり過ごすつもりだというのに。
「アデリアさまはリーリア・ハウスにご入居なさるので、リーリアの姉妹ということになりますね。リーリア・ハウスは今は四名、アデリアさまが新しく入って五名になります。アデリアさまより年齢が上のかたが二名、下のかたが二名いらっしゃいます」
やはりニニーは頭の回転が速い、デアはそう思った。楽しいおしゃべりより実際的な知識のほうをデアが喜ぶと見て取ったのだろう。そのような話し方になっている。
「そして私ニニーは、リーリア・ハウス付きのハウスメイドです。今後ともよろしくお願いいたします。あ、ここを曲がるともうハウス区画ですよ」
ニニーは曲がり角に立って、デアを招き入れるようなポーズを取った。
デアの視界に見えてきた。四列五行に整然と並んでいる、二〇もの家屋。細かな違いはあるが、ほぼ同じ形同じ大きさだ。主都ではもう滅多にお目にかかれない、レトロな木骨作りの家である。
これ、学園というか、もう町じゃん。
デアは開いた口が塞がらないというようにその光景を見やった。ニニーは後ろに控えているから、間抜けな顔は見られなかったはずだ。
東二列と西二列を分けるように、中央が幅の広い通り道になっている。デアは左右をキョロキョロしながら歩く。
「自分のハウスの場所を憶えるまで大変そう……」
「実際、間違える方も多いのですよ」
デアは、何か周囲の雰囲気がおかしいことに気がついた。
妙に静かなのだ。他の人たちの姿がない。
少女らが百人以上も暮らしているという区画なのに、森閑としている。今日は休日のはずだ。だから校舎で授業を受けているわけでもないだろう。
デアの怪訝な表情に気づいたニニーが、
「安息日礼拝の時間なので、皆さま礼拝堂なのです」
そんなのもあるのか。イバ先生は伝統派の礼拝に従えとか言ってたから、デアも今後は参加しなければならないのだろう。めんどくさい。
あと、この学園内には百人が入れるような規模の礼拝堂があるということが今の話でわかった。
「リーリア・ハウスのかたたちは第二礼拝堂のほうだと思いますよ」
しかも、二つも。町じゃん。
やがて一つの家の前でニニーは振り返り、手を広げた。
「リーリア・ハウスです。アデリアさま、ようこそいらっしゃいました。今日からここが貴女の家です」
ハウスは腰までの低い柵で囲まれていて、ほんのちょっとした前庭がある。建物は二階建てで、一般的な市民の家……例えばテシオの家よりも一回り大きい。手入れがよく行き届いているようで、外観はさっぱりと清潔感がある。
これが、一ヶ月過ごす場所か。建物からどことなく威圧を感じるのは、デアが緊張しているせいだろう。
「それでは、中へどうぞ」
覚悟を決めてデアは家の中へ入った。考えてみれば、他の生徒がいないうちに家の中を見られるというのは悪くない。
玄関を入ったらまずホール。すでにホールだけでジャクトの小屋くらいの広さがある。
「こちらがダイニングルームです。姉妹の皆さまのお食事はここになります」
ニニーの案内にしたがって部屋を巡る。
一階には他に小さな図書室、それにサロンがあった。
そして二階が各人の寝室となっている。
「狭いとは思いますが、皆様同じ大きさの部屋ですので……」
デア基準で狭い部屋というと脚を折りたたまないと寝られない大きさなのだが、どうせそうじゃないんだろう。
階段を上がると、廊下が奥に延び、左右にそれぞれ三つずつ扉が並んでいた。
「こちらになります」
「ありがとう」
右の一番奥がデアの部屋だ。
開けてみた。
やっぱりデア基準では、全然狭い部屋などではなかった。
正面奥に窓がある。右手にはベッド、相当大きいものがデンと鎮座している。貧民街にある雑魚寝宿屋なら、一〇人がいっぺんに寝るくらい大きい。
左手には一人用の机と椅子が置かれている。それから、両手を広げたほどの幅があるクローゼット。こんなに大きくて何を入れろというのか。制服しか着ないんじゃないのか?
とにかく開けてみると、中はスカスカ、制服が数着かかっているだけだ。
あっ、多分私服をどっさり持ち込むやつがいるんだ。デアはそう推測した。
デアは制服を手に取ってみた。装飾は少なめだがいい布を使っている。肌に触れる感触が快適だ。
夏でも風邪を引きそうなペラペラな布、大量の虱で二割がた重さが増しているような毛織物、そんな貧民街でよく見る服とは大違いだ。
「さっそく制服にお着替えになりますか?」
「そうする」
いい加減にこの重い服を脱ぎたい。
「地味でご不満かもしれませんが、当学園では平等の理念のために、お召し物から筆記具、食器など、身の回りの物は基本的に学園支給の物を使っていただくことになっています」
際限なく贅沢しようってやつが出るのを抑えるためだな、きっと。デアとしては、揃えてくれるというのならそちらのほうが都合がいい。無用な出費が抑えられる。
「しかし、ご将来において着こなしの心得も必要であろうということで、休日の外出の際には私服の着用ができますので、どうかそれまでお待ちいただければ」
「なるほど、外出ね」
「それでは、お召し物をお脱がせいたしますので、うしろ失礼しますね」
「は? ああ、そういうアレか」
ニニーが手伝うのか。どうりで、着替えると言ってるのに部屋を出ていかないと思った。
だが、それはよくない。デアは手を振ってそれを断った。
「いや、自分で着替えるから大丈夫」
デアの背後に回りかけていたニニーは意外そうな顔をした。
「当学園では自主自立の理念のために、二日目以降はご自分で着替えていただくことになっておりますが、一日目からそうおっしゃるかたはさほど多くありません。素晴らしいです」
なんと、甘やかされて育ったお嬢さまの多いことよ。
「では、ごゆっくり。私は他のお嬢さまがたをお呼びしてきますね。そろそろ礼拝が終わる時間のはずです!」
ニニーは一礼して部屋を出ていった。
「別に呼ばなくてもいいのに」
というデアの呟きは、ニニーの耳には届かなかった。ニニーは早足で階段を下りていった。
それを確認して、デアは肩の力を抜いた。危ない、危ない。
本当は、着替えの手伝いは欲しいのだ。今朝の着付けも一人では着られず、テシオが手配した着付けの女にやってもらった。王制時代の貴族みたいに腰をぎゅうぎゅうに締め付けられて、あばらが折れるかと思った。抗議してゆるめさせたけど。
そんな思いをして着たこの服、脱ぐだけでもけっこうめんどうだ。
なのに、なぜニニーの手伝いを断ったのか。
デアは服を脱いだところをニニーに見られたくなかったのだ。恥ずかしいからではない。いや、それもあるけどね、ちょっと。
デアはレースだのフリルだのの塊と格闘して、なんとか服を脱ぎ捨て、下着姿になった。その右太ももに、ナイフが装着されていた。格闘用の頑丈なものだ。
「これ見られたら大騒ぎだからな」
だから、一人で着替えざるをえなかった。
制服はシンプルな構造で、着るのに面倒はなかった。厚手の長チュニックの上に、頭からすっぽりかぶる袖なしの黒ワンピース。その腰のところに紐が通っているので、後ろで結んでできあがり。スカートの裾は長いが、今まで着ていた服に比べると大分軽い。
もっさりと脱ぎ捨てられた服はどうすればいいのだろう? たぶんメイドが洗ってくれるのだろうが、洗濯かごにどさっと入れたりしていいのだろうか。というかそもそもかごがないし。床に散らかしておいたほうがお嬢さまらしいだろうか。
けっきょく、制服の代わりにクローゼットに吊しておくことにした。
これでよし。
しばらくニニーがハウスの住人を連れてくるのを待った。
なかなか来ない。礼拝が長引いているのだろうか。
ここでじっとしているのも間抜けな話だ。時間の無駄だ。
なんかこう、初対面の人と会うのに、相手が来るのをじっと待っているだけという状況が、足の裏がむずがゆいというか、そわそわして、苦手だ。
外を歩くか。学園内の地形を調べておこう。地の利を把握することは殺し屋には必須である。ことに、命を狙われている殺し屋にとっては。
リーリア・ハウスの玄関ドアを開けて、秋晴れの屋外へとデアは踏み出した。




