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9、そして面接へ

 ――そして一日がすぎて今、デアは面接を受けようとしている。


 室内は薄暗かった。意図的に開ける窓の数を制限して、わざと暗くしているのだ。

 こちらを向いて三人の女性が並んで椅子に座っているが、逆光で顔はよく見えない。


 メイドは部屋の隅で待機する。


 三人に向かい合う位置に椅子が据えられている。廊下の椅子より小さくて豪華感は薄い。あれに座れというのだろう。デアは歩く。もちろん自宅のように床板がきしんだりすることはない。


 邪魔にならないようスカートをまとめて、デアは着席した。途端に、


「勧められてもいないのに椅子に座りましたね」


 向かって左の女性から叱責が飛んだ。


 なんだと、とデアはひやりとした。そんな礼儀があったとは。さっそくボロが出てしまった。いちおう突貫で礼儀作法のレクチャーは受けたが、表面を指先で触れた程度のものだ。完璧にこなすなんて無理に決まってる。


 叱責した女性はデアを厳しく見据えている。


「貴女の家ではわがままが通ったかもしれませんが、ここではそうはいきませんよ」


 どうやら、作法を知らないのがばれたのではなく、お嬢さまのわがままと受け取られたようだ。セーフ。デアは人知れず安堵の息を吐いた。


「イバ先生、あ、あまり脅すようなことは……」


 向かって右の女が、左のイバ先生とやらにおずおずと意見した。


「最初から厳しくいかなくてどうするのです、スーニァ先生。ここは娯楽施設ではないのですよ」

「はい……そうですね」


 スーニァ先生はすごすごと引き下がった。


 だんだん暗さに目が慣れてきた。左側のイバ先生は口調にふさわしく、荒く彫った彫刻みたいに鋭い顔をしていて、眉がキリリと上がっている。四〇歳には届いていないだろうに、髪は大部分が白髪に変わっている。


 右のほう、スーニァ先生はイバ先生より若い、というより世慣れないように見えた。眼鏡の位置を、落ち着かないようすで何度も上げ直している。


 中央でまだ一言も発していないのは、老婦人という言葉がぴったりの、ふくよかな女性である。一見、穏やかな笑顔でこちらを見守っているだけのようだ。


 だが、デアは彼女に対しての警戒度を上げた。こいつが一番危ないな。微笑んだ目の奥でしっかりこちらを観察している。


 スーニァ先生が気を取り直して、眼鏡も直して、こちらを見た。


「そ、それでは、はじめましょうか。面接といっても、試験とか、そういう堅苦しいものじゃないのよ。新しい生徒である貴女をよりよく理解しようというものなの。あまり構えずにね」


 構えずに? そいつは無理だ。地が出たらそこでおしまいだからな。デアは内心皮肉な笑いを浮かべた。


「貴女、返事をなさい。うなずくだけでは伝わりませんよ」


 ましてや、このイバ先生みたいにガミガミした相手や、中央のばあさんみたいに油断ならないのがいるとなっては。テシオのやつめ、面接があるなんて言ってなかったくせに。デアは、緊張をテシオに責任転嫁する。


 デアはせいぜいしとやかに、はい先生、と返事をして、次に備えた。はたして、どんな質問が待っているのか。


「まず、貴女のお名前をお聞かせもらえるかしら」

「アデリア・トリアトリーです」


 テシオ・シーブルーが用意した偽名を、デアは口にした。


「ラファミーユ学園に入学しようと思った動機は何かしら?」


 動機? 内心焦りながら、デアはなんとか答えをひねり出す。ええと……


「忍耐を学ぶため……?」


 意外な答えだったのか、スーニァ先生の眉がひそめられる。


「忍耐、ですか?」

「人生には頭を垂れて、他の人の手で事態が収まるのを待つ、といったことも必要なのだということを学ぶためです」

「貴女にはそういった短所がおありなのかしら? 落ち着きがない、というような?」

「好奇心と向こうっ気が強いらしく、それを抑えて生活できればと思います」


 何せ、命がかかってるからな。おとなしくするつもりだ。


 スーニァ先生が言葉を探しているうちに、イバ先生が次の質問を飛ばしてきた。


「その髪はなんです? 淑女にふさわしいとは思えませんが、何か理由でもあるのですか?」


 さっきから、自分の頭部に三人の目が集中していたことは知っていた。


 デアの髪は短い。肩に届かない短髪は、女性としては奇妙だとされている。特に、上流階級の人たちにとっては。


「実は旅路の途中、馬車の車輪に髪が巻き込まれてしまいました。ですので、切らざるを得なかったのです」


 と、デアは用意していた答えを返した。


 大事な髪を失った少女にしては淡々としすぎだったかもしれないが、愁嘆場を演じる気力はなかった。すでに事故から時間が経っており感情は整理された、というように取ってくれるだろう。


 イバ先生もさすがにそれ以上追及する気は無くなったようだ。


 それからしばらくは、本当に堅苦しくない話が続いた。デアがなりすましているアデリア・トリアトリーについての簡単なプロフィールの確認などだ。


 アデリアは、共和国東部地方に土地を持つトリアトリー旧団爵の娘である。トリアトリー家は、国家中央部とはあまり交渉がない、辺境の旧貴族であるが、アデリア本人のたっての希望で主都のラファミーユ学園へと編入することになった。


 ここまでは事実である。トリアトリー家も実在するし、アデリアという名の娘もいる。本人が編入を希望したというのも本当なのだ。


 本物のアデリアが事情があって主都に来られなくなったので、デアが彼女になりすましたという寸法だ。


 デアは予習した知識を動員して、なるべく馬脚をあらわさないよう、当たり障りなく、言葉少なに応答する。


 身振り手振りにも気を遣わなければならない。デアは、テシオに習ったことを内心で復唱する。膝を開かない。背を丸めない。急がない、慌てない。常に余裕を持って。


 おかげで、会話がスムーズに流れていく。これはひょっとして、うまくできているのではないだろうか?


 このままなら面接を乗り切れそうだ。内心安堵していると、


「貴女の好きな章句を言ってごらんなさい」


 と、イバ先生が言った。


「……は?」


 ショーク?


「貴女はどの言葉で神をたたえるのですか?」


 どうやら、祈りの言葉を言えと言っているようだ。ショークなんて小難しい言葉を使われたので焦ってしまった。なんだよ。


 といっても、さすがに『大いなる三馬鹿(ビッグスリーフールズ)』なんてお嬢さまが口にするはずないし、ここはもう少し格調高く……


「三神に感謝を」


 そう言うと、イバ先生は虚を突かれたような顔をした。とっさに言葉が出ないようだ。右のスーニァ先生も、中央の婦人も程度の差はあれ驚いている。


 うっ、何か失敗したか?


「わたしは章句と言ったのですよ」


 イバ先生はきっと眉を吊り上げた。


 どっと冷や汗が出てきた。あたしは何を失敗した? やばい? バレる?


「貴女、まさか『讃えの書』の章句を一つも知らないというのですか?」


『讃えの書』、あれか! 教会に置いてある本だ。三尊教の根本教典だ。


 貧民街では持っている人のほうが少数派だ。なんせ文字が読めない人のほうが多いのだから。あれは教父が読むのを聞くものだ。

 字は読めるが、敬虔な信仰を持つなどとはとうてい言えないデアは、もちろん持ってない。まともに内容を読んだことも聞いたこともなかった。


 進退窮まったデアは硬直してしまい、額からは汗を流している。三人の視線が、こちらを疑っているように見えてくる。


 頭の中で、どう弁解して挽回するかぐるぐる考えを回す。


「それはですね……えー……」

「不明瞭な言葉を言ってはなりません」

「ち、父の教えです。信仰は内心の問題で、言葉が立派かどうかには関係がないと。『讃えの書』を持つことができない貧民でも、心が信仰であふれていれば、それは裕福な者の空虚な祈りにまさる、と」


 デアはなんとか理屈をつけるために、師匠のジャクトが昔言ってたことを思い出して、とにかく舌に乗せて転がした。


 反応をうかがうと、イバ先生は呆れたように視線を宙に上げた。


「どうやらトリアトリー家はかなり過激な自由典礼主義のようですね」

「し、しかし自由典礼主義も国家に認められていますよ」


 スーニァ先生がとりなそうとする。


「そんなことはわかっています。しかしこの学園に編入しようという以上、それでは通りません。よろしいですか」

「はい」


 何がよろしいのかしっかり理解したわけではなかったが、場の雰囲気に合わせるためデアはうなずいた。


 どうやらジャクトの言葉が、何か別のやつの教え? と一致していた、ということらしい。こいつは運がいい。デアは心の中で拳を握った。


「自由典礼主義が悪いのではありませんが、ただの無知、信仰的怠惰と区別がつきにくいという理由から、不信心者の隠れ蓑に使われることが多いのです」


 はい、あたしは不信心者ですよ。つつましげな微笑みの裏でそんなことを考えているデア。


「我が学園に入ったあかつきには、伝統派の礼式に従っていただくことになりますよ。よろしいですね」

「はい」


 デアがはっきり答えると、イバ先生は承認するようにうなずいた。


「よろしい」


 切り抜けたー。デアは表面上は余裕の微笑みを浮かべ、内心で大きく安堵の息を吐いた。


 そんなデアの油断を見透かしたように、今までずっと、微笑みながら話を聞いていただけの、中央の老婦人が初めて口を開いた。


「聖三尊の教えで、貴女が重要だと思うことは何かしら? それを聞かせてくれれば、わたしたちも安心できるのよ」


 聖三尊の教え?


 引っ込みかけた冷や汗がまたふつふつと出てしまう。


 なんて言えばいい? 三尊教のことなんて大して知らないのに。


 イバ先生は厳しいように見えるが、デアは旧貴族の子女だから不信心者ではない、という前提を無意識に信じている。しかしこの老婦人は、やはり油断ならない。あえてそこを確かめようというのだ。


 先生方三人がデアに注目している。


 重要だと思うこと……


 いや、難しく考える必要はない。なぜなら考えたってわからないからだ。頭を悩ますだけ無駄だ。


 ではここでわからないと言うか? あるいは沈黙を守る? いや両方ともダメだ。不信心者だということがばれる。編入取り消しになるかもしれない。


 わからないなりに正解を導き出さなければいけないのだ。


 三尊教を知らなくても、周りに信徒は多いのだから、デアが知ってる価値観が宗教のそれと一致している可能性は高い。つまりデア自身が重要だと教わったことを言えばいいんじゃないだろうか。だいたい、真理ってのは似たり寄ったりになるはずだ。それでいいと思う、けど。


 ああもう、めんどくさい。


 デアは開き直って、昂然と顔を上げた。


 言ってやれ。


「生き残ることです」


 と。


 これも、ジャクトに教えられたことだ。


「生き残って、情報を伝えます」


 部屋の中は沈黙。旧貴族令嬢の口から出るには、あまりにもそぐわない言葉だ。普段上品な少女たちばかり相手にしているであろう先生方には返す言葉が見つからないのだろう。イバ先生も、スーニァ先生も、理解不能といった顔でこちらを見ている。


 中央の老婦人先生がぽん、と手を打った。


「なるほど。言葉はユニークだけれど、確かに重要なことね」

「学長、彼女の言葉は、まったく聖三尊の教えとはかけ離れているようですが……」

「いいえ、第二神章句三八、まさしくその心ではなくて?」

「『人は生きよ、血が冷めるまで。血を伝えよ、火が消えてもなお』……たしかに、そうも言えるかも知れませんが」


 イバ先生はいまいち納得していないようすだが、しっかりした反論はできないようだ。


 いいぞ、これもクリアできたようだ。


「では最後の質問よ、アデリアさん」


 学長は柔和な顔つきでデアと相対した。


 まだ何かあるのか。心臓に悪いからもう早くしてほしい。そんな思いが思わず顔に出てしまったのか、学長はくすりと笑った。


「これから許可なく敷地から出ることはできなくなりますが、外でやり残したことはありますか?」

「いえ、ありません……え、それって」

「はい。わたしたちは貴女を歓迎しますよ、アデリア・トリアトリーさん」


 学長は両手を広げてみせた。イバ先生はしかつめらしい顔のまま目を閉じ、スーニァ先生はよかったと笑っている。


 デアは思わずお嬢さまらしくもない大きな息を吐いてしまった。先生がたは寛大にも、見て見ぬふりをしてくれた。

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