第07話/彼と、「クローアー・ロードック」と呼ばれる「彼」との相違
彼から見た、この異世界の「クローアー・ロードック」の、大まかな軌跡です。
――座標軸:「黒」の刻/02月21日(日曜日)15:00
独房に戻される。昼食も食べていなかったが、状況が状況なだけにすっと彼は空腹を感じなかった。感じる感覚が麻痺しているのかもしれなかった。水だけは、差し出される分を拒むことなく何とか飲んではいたが。
独房に戻る頃には、夕刻とまではいかぬとも、日がぼんやりと傾き始めていた。移動、裁判、打ち合わせ。意外と時間がかかっていたのだな。そう、彼は思うともなく意識する。この状況に陥ってから、そうやって時間の経過を認識するのは、初めてのことかもしれない。そう彼は気がついた。
時間。
ここで言う「時間」とは、一体何だろう。彼は、考える。
当然、そのような問いに回答は得られない。
それでもこの一日に関しては、この借り物の体に対しても、どうやら均等に流れているものらしい。
しかし。
その理は、一体どうした物理法則に基づくものなのだろうか。
彼の身に起こったことは、ただの過去への逆行ではない。過去の事実そのものが、彼の居た世界とは異なっているのだ。根本的に。
まるで、全く別の次元の、たまたま似た肉体に憑依したかのように。
そして世界は、彼の事情など一切無視して、その「時間」を刻み続けている。恐らくは、均等に。
そうして、彼は途方に暮れながらも、それでも彼がこれまで知り得た、この世界の彼、クローアー・ロードックの行動を振り返ってみる。
――座標軸:「黒」の刻/遠い昔
魔女狩人であったクローアー・ロードックは、何ら躊躇うことなく、風見の家の「3人」に銃を乱射、発砲、殺害した。
風見の家は、住宅街の中でもやや奥まった、少し離れた場所にあった。正確には、魔女の集落と魔力無しの一般家庭との境界の辺りに家があった、と言ってもいい。少し離れた隣の家が神矢家であったという判決文のくだりから推測するに、彼が知っている中野町と配置に関する大きな違いは無いようだ。その半端な位置関係から風見家の襲撃は最後となり、手の空いた「彼」が一人、その家に押し入った。
それ以前の時点で、作戦上、中野町の魔女コミュニティは壊滅的な破壊を受けていた。端から舐めるように、チームの皆で、その町の魔女たちの家々を壊し、確実に殺して回った。
勿論、「彼」もその中の一員だった。
実際のところ、「彼」の殺害人数は、風見家の3人に留まらない。
それ以上の直接的な殺害人数は不明。間接的な人数ならば、数えられる範疇でも93人もの中野町の魔女、魔力持ちの殺害に関わっていた。
更に言えば、魔力無しの周辺の住民に対する大きな被害も与えていたという。こちらは死者こそ出なかったものの、火事が起こされた影響で2桁台の重軽傷者が出ている。
同時に捕まった他の「魔女狩人」からだとされる話も、裁判では差し挟まれていた。判決文には別のハンターと思しき名前が時折差し込まれ、そちらの裁判で判明したとされる事実にも触れられていた。聞き覚えのある名前。初めて聞いた名前。それら複数の魔女狩人の犯罪行為の記述が、「彼」ことクローアー・ロードックの犯した罪の重さを別の角度から照射していた。
しかし彼の思考能力は、それ以上の情報を受け入れることが難しくなってしまった。話を耳にしながら、彼の心は、止まった。
そのあまりの被害の大きさに。
そして何より。
ここの世界のクローアー・ロードックが、風見家の3人をその手で殺害したという「事実」に。
父を。
母を。
そして。ナミの最愛の、妹を。
手に掛けたという、その「事実」に。
彼は我を失い、途方に暮れた。
――座標軸:「黒」の刻/02月21日/夜
更に時が経ち、食事が運ばれてきた。だが、彼はとてもではないが箸をつける気にはなれなかった。
朝昼の2食すら何も口にしていない。本来ならばここで少しでも食事を摂って体調を整え、状況をより良い方向へと向けられるように努力するべきなのだろう。神矢老師に9年間、拳道の教えを受けてきた武道者としての彼は、理性的にそう彼自身に訴えかける。しかし今の彼は、そうした理性的な判断に従えない程に意気消沈している。結局丸1日、彼はこの日の食事をそのままそっくり省くこととなった。
ひょっとしたら、身体は空腹なのかもしれない。しかし彼の認識は、そうした身体の声を掬い上げることは無かった。
朝、4人の看守が「風見」の名前を出した途端に見せた軽蔑のまなざし。その理由を、今の彼は漸く思い当たる。この世界では、彼は風見家の3人を殺した殺人犯なのだ。
それ以前に、母国、そして他国でも魔女を殺害してきている。根っからの、殺人者。
更にこの和国では、中野町での複数の破壊工作を行い、確認の取れないものの2桁オーダーの殺害に大きく加担している。そこで亡くなったのは、中野町の魔女仲間たちの殆ど、ということらしい。「彼」の所属していた魔女狩り組織の人間たちと手分けをして、殺して回った。同時に、ただの魔力無しへの周辺被害も。
そこに「らしい」ということばが何度もつく程、これらは彼には実感の無い話であった。
しかしその実感の無い話がこの世界の事実であり、それを要因に、彼は死刑を宣告されている。
この身体から逃れられない以上、その運命から逃れようが無い。
彼は頭を振って、もう一度、これまでに得た情報を整理し直す。
ともあれ。その中で一つの救いがあるとするならば、「彼」は、ナミにだけは手をかけなかったことだ。
そう。彼女は生きている。
この世界では丁度7歳。事件の起きた当時は5歳と9カ月といった、幼い「風見ナミ」が。
そして。
雨音郡西乃市中野町に存在していた小さな魔女コミュニティの生存者は、彼女ただ一人。
他の町の住人は、全て惨殺されている。
もう、この世には、存在しない。
少なくとも、この世界、ここの時空では。
何よりも。
あの深くて暖かい声の持ち主である父を。
柔らかな手でおにぎりを握りフライパンを揮う母を。
そしてナミの愛し抜いた幼く無垢な妹を。
それらの人びとを「この手」が殺したのだとしたら。
それを思い、彼はおののく。
身体に力が入らない。
更に。馴染みの魔女仲間たち。中野町のあの人、この人。
恩義のある、あの尊敬すべき老魔女。
風見の母の実妹にあたる、気のいいあの魔女とその夫君、その愛娘。
拳道の道場仲間の魔力持ちのみんな。
風見の姉妹を妙に気に入っている様子の、しかしいつも不思議な雰囲気を持つあの無口な姉魔女。
一緒に釣りだなんだと遊びに行ったあのやもめの魔力持ち。
その人達は、皆、この世界には存在しないと言うのか。
この火傷だらけの身体で、その加害を推し進めたとでもいうのか。
判決の内容を、心痛む思いで彼は思い起こす。自分が為したことでは無いと認識をしつつも、彼はその事実に恐れ、打ちのめされていた。同時に、強い罪の意識を喚起されてもいた。
この身体の持ち主は、本当にそのようなことをしでかしたのだろうか。嘘であってくれ。そう、強く望みながら。
裁判の記録では、「彼」、この世界のクローアー・ロードックは最終的には自首、出頭したとなっている。少なくとも、彼が判決文や弁護士のことばの切れ端から確認したことは、そうなっている。供述内容も、その判決文に近いものらしい。
「やはり、殺したのだろうか」
思わず、声が漏れる。なぜかそれは、和語でも英語でもなく、彼の郷里の方言、彼の母語であった。
ここ数年、口にすることすら無くなっていた、母国の少数民族の間でしか話されないそのことば。それを、彼は口にしていた。
風見の家の父を、母を、懐かしくも幼い下の妹の顔を思い浮かべながら。頬に何か水分が伝っている。でも、そんなことはどうでもいい。
「この世界には、あの人たちはいないのか」と。彼は、己の声が掠れるのを耳にする。この手が為したのか、という次のことばは、続かなかった。ひゅーひゅーと掠れた音が漏れ、消えた。
同時に。
唯一、生き延びたという、ナミのことを想った。
風見ナミ。
中野町魔女コミュニティ、唯一の生き残り。この世界の今の時制では7歳丁度の女の子のことを。
――座標軸:「黒」の刻/02月21日/夜、続き
ナミについての話は、裁判終了直後の弁護士との打ち合わせで、ある程度確認することができた。彼にとって、それは大きな幸運だった。
判決を言い渡され刑務所へと戻る前の僅かな時間だった。彼はそれまでの混乱する頭を必死に落ち着かせ、なんとか回転させながら、通訳、そして弁護士の男性へと叫ぶように問いかけていた。
ナミは、無事なのですね、と。
その声を聞いた瞬間、2人の男性、特に和佐田と名乗った通訳の男の表情が優しくなったことを、彼は今ならば思い出すことができる。弁護士も、少し。
「あなたは、やはりいつもそれですね」
そう、和佐田通訳は穏やかな声で、彼に返した。弁護士も、彼が和語でそう問いかけたことそのものは不思議そうなニュアンスの目線ではあったが、彼がナミを気にかけているということは特に疑問とは思わなかったらしい。彼の目にはそんな素振りに見えた。
「大丈夫ですよ。変わりなく」
弁護士よりも先に、和佐田通訳から英語の声が返る。
隣の弁護士も、
「スズノハさんも、特に風見ナミちゃんの状況に変化は無い、元気でいると言っていました」
と和語で言い、念のためにと通訳にその通話を頼んでいた。和佐田通訳も、
「そう言えば、今日はスズノハさんが傍聴席にいませんでしたね、珍しい」
そう弁護士へと零してから、弁護士の言い分を彼へと英訳し始める。
会話が続けられるなら、と彼は使用言語を咄嗟に英語に換えて、通訳に再度根掘り葉掘り尋ねる。ナミが今いるのはどこなのか。スズノハとは、あの北の魔女コミュニティの「紫鈴の魔女」のことで間違いが無いかどうか。等々。
先程法廷の傍聴席で見た神矢老師の姿、そして、7歳だという風見ナミ。更に、ナミを保護しているという北の魔女、スズノハ。彼の本来の世界でも知っている人物の名前と現状が、ここで3人分、一挙に明らかになった。彼は思わず嬉しさに眉が歪む。安堵の、音にならない声が漏れる。
「紫鈴の魔女」の敬称で知られるスズノハは、ナミの母、風見ミチの親友だ。
同じ西乃市に住み、中野町から小一時間程奥の山側へと入ったやや大きめの魔女コミュニティに暮らしている。30代か40代か。外見だけはやたらと若く、しかし声はやや深く、どうにも年齢が掴み難い。その卓越した魔力量と人望で数百人が暮らすコミュニティの実質的な長として活動をしている。美麗な姉御肌の女性だ。
あの人に今、七歳のナミが預けられているのであれば安心だ。少なくとも先程の判決文から推測するに、ナミはこの魔女狩りにおいて傷等は一切負わなかったらしいから。魔女狩りが展開されず一切の襲撃を受けなかった北の魔女コミュニティはそっくり無事で、紫鈴の魔女も生きている。ならば、そこは問題無いだろう。
ああ、それにしても。
この世界は、一体どこまで、彼の知る世界と一緒で、どこまで彼の世界とは違う事実を抱えているというのだろう。
――座標軸:「黒」の刻/02月21日/深夜
既に外は暗く、食器はとっくに下げられていた。
看守からは放っておかれているようなものだった。理由は分からなかったが、今の彼にとってはありがたかった。
そうしてまた、彼は、これまでに得られた情報を頭の中で整理していく。
吐きそうな、おぞましい、この世界の「事実」とやらを。
「彼」が模範囚だったという理由もはっきりしている。「彼」は、反省をしていたのだ。心底から。
そもそも、自首をしたというのも、その罪を償いたいからというのが最大の理由だ。裁判の調書も、判決文も、そこは認めている様子だった。
目の前、手の届く範囲での直接的な殺害は、そのときが初めてだった。そう、この世界のクローアー・ロードックは供述していたという。それまでは遠距離での殺害が中心だったのだ、とも。
父は即死。しかし母と、ヒカリ……風見家の下の娘である……は、辛うじて、息があった。
それまでの生存が、18歳と数か月。あと半年足らずで19歳になるクローアー・ロードックは、自分が殺した乃至は殺しかけていた魔女と相対するのは、それが最初の機会であったらしい。
死を前にして、下の娘の蘇生に尽力を尽くす母、そしてそれを成し得ずに死んだ母、そしてほぼ見殺しにされ亡くなったとされるたった4歳の風見ヒカリ。その母子の無残な最期の姿に動揺した彼は、他の魔女狩人仲間の放火を契機に、その場で魔女殺しから離脱した。2階、別室にいて魔女狩りに巻き込まれなかった上の娘、5歳の風見ナミを連れて。彼は、逃げた。
自身の焼死に見せかけて、小さな一人の魔女を庇い2人揃って逃げたことそのものを隠蔽しようとしたのだ。
裁判記録では、「人間性が蘇った」なる記述となっていた。
彼が、殺害した母子を見捨てたことに触れた記述での、この世界のクローアー・ロードックの意識に関する記述である。
後悔は、相当のものだったらしい。
それはそうだろう、と彼は思う。彼の意識の中では、昨晩まで一緒だった父と母なのだ。勿論、今の彼にとっては成人してからの養子関係ではある。子どもが抱く父母への親愛とは違うものがあったが、それとは違えども、この彼は風見の父も母も、心から愛し、尊敬をしているのだ。
「無事、なのだろうか」
今度は和語で、するりとことばが出た。
思い浮かべた世界は、昨晩までいた、家族「3人」と彼、その4人が暮らし、中野町の仲間が全て生きている、「彼の暮らす本来の世界」だった。
すると自然と、涙が溢れた。
溢れてくる涙は、しかしすぐに収まっていく。今日は実によく泣いている。彼はそんな自分に呆れながらも、父を、母を、風見の家の、どうということのない平凡な日常を、渇望した。しかし一番大きく彼の心を動かしたのは、昨晩最後に見た、ナミの、彼の妹の、大きな笑顔だった。
「無事、なのだろうか」
もう一度、口にする。今度ははっきりと涙がこぼれる。彼は慌てて、洗面場へと向かう。水場があって助かった。独房というのはこういうところだけは便利なのだな、と思いながら。
消灯が告げられる。
彼はあれこれと考えを止めることができない。かつての3年間の収監の際の習慣が蘇り、彼は看守の言うままに布団をとりその中に潜り込む。そうはしたものの、頭は冴えたままだ。
ああ、それでも。このまま夢に落ちて、また目が覚めたら、どうか元の世界に。27歳と11カ月の、クローアー・ロードックではない、「風見レイジ」でありますように。そう彼は願わずにはいられなかった。強く、つよく。それは、強く。
布団に横になりながら、考えを巡らせる。同時に、彼は強い空腹を感じた。
その身体感覚は、今朝目を覚ましてからというもの、初めての経験だった。
しかしこの身体は、本来の彼のものではない。クローアー・ロードック。この世界の「彼」のものだ。
彼はそこで、別のことに思い当たる。
彼はこの8年このかた、拳道の研鑽を重ねてきた。これはかなり熱を入れて取り組んでいたことでもある。19歳から27の現在まで、8年間。8年分だ。
拳道を習い始めたのは彼がまだ刑務所に収監されていた、その割と初期の頃からとなる。ただその後も研鑽を続けたのは、彼はこの武道とえらく相性が良かったからだと言える。
そう。彼はその間ずっと、懸命に研鑽を積んできたのだ。
しかし、今。果たして「この身体」は、どうだろう。
ふと気になった彼は、布団から起き上がる。独房なのは本当に幸いだ、などと思いながら。
暗い独房の中、看守の巡回はまだ来ないようだと耳をそばだてて周囲の環境を把握しながら、彼は長年に亘り培ってきた拳道の「型」をつけ始めた。
大きい彼自身の身体を、「型」に合わせて更に大きく動かす。周囲へ音を立てないように。殊に看守、それに誰かはわからないが、隣にいるかもしれない別の囚人に気づかれないように。そう意識しながら。
そうして彼は、いくつかの「型」を取る。
他の武道と同様に、拳道でもまた「型」はとても重要な要素を占める。ただの格闘の道具ではなく、拳道は一つの「道」でもあるのだ。その基本が、構えの根本である「型」である。次の動作へと滑らかに動き、より深く自己を研鑽する為の。
そうして、彼はすぐに確信する。
間違い無い。この身体は、本当に、彼……風見レイジとは違う人生を歩んできた身体なのだ、と。
当然のことだが、まともな「型」など何一つ取ることができなかった。否、意識としては型にしているつもりでも、身体がそれにまるでついていっていない。本当のド素人。こと武道に関しては、拳道だけではなく、根本の動作、所作がまるで身についていなかった。
どうやらこの身体の持ち主は、根本的に彼とは違う人生を歩んできた身体らしい。
しかし、どうやって、そんなことが起こってしまったのだろう。
そして何より、彼の本来の肉体は、一体どうなってしまっているのだろう。あのまま、あの時空で、存在しているのだろうか。
――座標軸:「黒」の刻/02月21日/深夜2
恐怖心に駆られ、彼はそこで思考を中断する。それから体を徐々に落ち着かせて、最後の礼を取り、拳道の型取りを終了した。
いつも通りに、深呼吸をする。完全に身体をクールダウンさせると、再度、彼は身体の点検に入る。
この身体、能力は本来の彼とは大分違う。ほぼ8年、拳道に明け暮れると言える程、彼は体を鍛えてきていたというのに。その努力の成果は、この身体とは無縁である。拳道に必要な所作は一切身についていない。多分、筋力や持久力、耐久力なども、彼本来の肉体とは相当違う筈だ。優位性は、若さがあるという程度だろう。
水場からこっそり水を飲み、彼は看守たちにばれないように音を立てず、また布団の中へと戻る。監視カメラがついていたら拙かったかもしれないが、先程の型取りのときですら殆ど反応は無かった。多分その辺りは、この場所に関しては大きな問題は無いのだろう。そう、彼は見做した。
それにしても。と、彼はまたも昼間の裁判の内容を思い起こす。
射殺、射撃、といった単語が飛び交っていた。通訳も、それは英語で念押ししていた。つまりは、彼……この世界のクローアー・ロードックは、射撃に関しては殺人を犯せるレベルでの習得がなされているらしい。生活、と言うよりも、魔女狩りかもしれないが。苦々しい思いで、彼は内心で呟きを返す。
随分と自分とは違う生活をしていたらしい「彼」。
そんな「彼」のことが、ちょっとだけ興味を引いた。どんな暮らしをして、どんな思いを抱いて魔女を殺して回っていたのか。そして、ナミと出逢う直前までに何をしでかしたのか。何が「彼」の後悔の契機であったのか。
そして。
ナミを連れて逃げた、と言う、「彼」。
そこで彼は、ナミと、5歳児の彼女と、どのような生活を送っていたのだろうか。
けれども。
今の彼、意識でしか存在していない風見レイジの中には、この世界の「彼」とは違う確とした答えがあった。
ナミとの生活は。否、風見の家の暮らしは。
それはそれは、とても素敵なものなのだ、と。
風見の家を恋しく思い出す。思いながら、けれども彼は強く願う。
彼の知る、彼を受け入れてくれた風見の家の人びとを。強い愛情と共に。
どうか。「このワタシ」が違う世界にいることになってしまったのだとしても。元の世界と、時空が切り離されてしまっているのだとしても。どうか。幸せであれ、と。
その世界が、どうか失われることなく、安らかに存在を続けていてほしい、と。
たとえ、その世界の中に、彼、風見レイジがいなかったのだとしても。
「風見の家の、ワタシの家族に。家族の皆にどうか、明日が、今日よりももっと素晴らしい日が訪れますように」
魔女文化に伝わる祈りのことばを、彼は毎晩の習慣と同じく、口にする。
そうして彼は、冷たい煎餅布団の中で、ぼんやりとした眠りに落ちて行った。
(つづく)
夜も更けて、この異世界での1日めはこの07話で終わります。
幾つかの重要な違い、基本的かつ決定的な違いを、主役の彼は把握できたようです。
まだ全部の「違い」が出揃ってはいませんが。
さて次は、なんとか少女降臨へと持っていきたいものです。
次の話までは、割と早い内にアップの予定です。
その次以降に関しては、ちょっとまた予定を組んでからお話したいと思います。
ここまでお目通し頂き、本当にありがとうございます。
ぜひとも次もまたおつき合いください。それではまた。(只ノ)