第05話/彼が「神矢零司」の名を得るまでのこと
なんとか11月03日中に1話分を上げたかったので。
「白の刻」へと視点は戻り、神矢老師と、彼の名前の変遷の話が続きます。
――座標軸:「白」の刻/約10年前
「師匠」の名は、神矢タカフミと言う。
彼と同じく、人類の大半を構成している「魔力無し」。そして武道家だ。
師匠はこの和国、いや、世界にもその名が広く知れ渡っている人物だった。
神矢師は、若い頃には和国代表としてオリンピックに出場し、複数のメダルを獲得している。当時は世界大会を総なめするほどの勢いのある武道家で、長いこと世界の第一線で活躍し続けた。そして現役を退いた後は、弟子を数多く取り後進の武道家を育て続けていた。
自身の武道の腕だけではない。神矢師は、他者の中に潜む武道の才能を見出し、育て、開花させることにも長けていた。その指導は実に確かなもので、後輩たちの中からも世界選手権での覇者やオリンピックのメダリストを何人も輩出していた。
この神矢師の身につけた武道は、「拳道」と言う。
元は和国の伝統的な武道である。類似の武道を言うならば、空手がそれに近いだろうか。
しかしそれ以上にこの「拳道」の特徴を言うなら、和国内に住む「魔女、魔力持ち」が昔から熱心に取得に取り組む武道でもあった、ということだ。
和国でも長いこと、魔力無しと魔力持ちとの間には諍いがあった。世界の他の国や地域と同じこと、似た歴史的背景だ。そうしたわけで、和国内に住む魔力持ちの間では、自衛的な意味も込めて、他の武道に比して特にこの「拳道」の取得が地味かつ広く、当たり前とされていた。逆に言えば、和国とはそうした風潮のある地でもあった。
元からの拳道の才能に恵まれた神矢師は、若い頃からそうした魔力持ちの武道家たちに揉まれて武術の腕を磨き上げてきた。魔力持ち、魔力無し、そうした垣根を越えて、自然と両者がつき合い当たり前の隣人として暮らす。そうした営みが物心ついた頃から当然という環境の中で育ち、武道の腕を磨き上げてきた。そういう男だった。
加えて、神矢師の両親、また祖父祖母も、近隣に魔力持ちの集落がある地域で商売を行うなど、元より武道以外の面でも接点が多数あった。商売上手だった彼の祖父の代から、仕事上のパートナーの中には魔力持ちが何人もいたという。
そうした意味でも「魔力のあるなしで人間にそう大差は無い」ことを、当然の空気として生きてきた。そういう男だった。
彼の知る神矢老師はそういう人物だった。国内外を問わず、魔力無しも魔力持ちも分け隔てなく隣人としてつき合い、また弟子に迎え入れていた。
そうした暮らしの中で、まだまだ格差も差別も残る「魔力無し」、その社会的な地位向上に尽力するようになるのは、神矢師の中では自然なことだった。
そうして武道家として後進を育てる一方で、彼は「魔女、魔力持ち」の権利獲得の為の社会的な活動も当然のように行ってきた。
主には、自身が拳道の道場を持っているこの雨音郡、西乃市を中心にした活動だ。地元に軸足を置いた地域密着の取り組みを、そう無理もせず焦ることも無く、しかし粘り強く続けていた。
どこか飄々とした風体の神矢師は、その見た目通りの飄々とした振る舞いのままに、魔女の人権獲得の活動を行っていた。自然体のままで。
そうした自然体という在りようが周囲の共感を呼んだのだろう。彼の、地域における政治力は思いの外、大きいものとなっていった。オリンピックのメダリスト、世界でも名の通った武道家、といった肩書の部分も勿論あった。だが、それ以上に、その人柄とどこか人懐こい表情、真面目なのに茶目っ気のある立ち回りが人の目を惹いた。彼がゆっくりと穏やかに、そして朗らかに話すことで、多くの人が「魔女、魔力無しと言ってもやはり同じ人間なのだ」というごく当たり前の考えに頷かされていったものだ。
それは、時代もあった。
現在は21世紀である。世界的に見ても、魔女狩りのような、20世紀以前の古臭くて野蛮な習慣を持つ地域はぐんと減っている。黒人の民権運動、女性の社会参画、子どもの権利保障、第三世界における貧困の解消や各種資源の平等の分配、などなど。これらのものと並ぶ社会的な課題として、「魔女、魔力持ち」との共生は、殆ど、生きる上での常識となりつつあったのだ。この地球、この世界、そして勿論この和国でも。
法整備があと少し整えば、今は和国の二級市民扱いである「魔女、魔力持ち」も、一般的な市民として大手を振って歩けるのだ。和国の国内外で、世論も概ねこの2種類の人類の共存に肯定的な空気が醸成されてきていた頃だった。
そして。それを後押しする事件が起きた。
「その年」の10月31日。10月の最終日、そして明日から11月が始まるというこの日。
赤銅色の肌を持つ、たどたどしい和語を少しばかり喋る外国人の青年が、雨音郡、西乃市、中野町の交番に「ワタシはテロ活動を目論んでいる」などと言いながら、自首をしてきた。
初めは何を莫迦な、と真面目に取り合わなかった警察官も、彼が所持していたパスポートが偽造品であること、更には和国では正規ルートで決して見ることのできない銃器を保持していることを認めて、その場で彼を緊急逮捕した。
その外国人は18歳。当時の名前をクローアー・ロードックと言った。偽造品ではない、本来のパスポートに載るべきだったのは、その名前だった。
彼が自供したことは、「国際組織である魔女狩り団体が、この雨音地方、西乃市で武器弾薬を大量に使用した魔女狩り、実質的なテロ行為を行う予定である」といった内容であった。
ロードック青年の自供の前に、警察はある事実を一つ掴んでいた。「和国の有名な武道家にして魔女の人権運動の旗振り役」でもあった西乃市の中野町に住む神矢タカフミ氏に、その国際団体から深刻な殺害の脅迫が続いていた、といったことである。マスコミには厳重に伏せていた内容だった。
このロードック青年の逮捕により、和国に密入国をしていた多くの魔女狩り組織の人間たちが、大量の武器弾薬と共にそっくりそのまま逮捕された。
それらの被疑者からはロードック青年も知らない内容の自供も為され、その話から総合される事実に、和国中が恐れおののいた。
無理も無い。
和国の警察ではとてもではないが太刀打ちできないレベルでの、大量の近代兵器が持ち込まれていた。そして逮捕された魔女狩り組織の人間の中には、魔女殺害歴が2桁オーダー、否、3桁にもいくという殺人鬼が、ゴロゴロと含まれていたのだから。
その魔女狩り組織のこれまでのやり口、その残虐性も明らかになっていった。周辺被害に対する配慮は皆無。つまり、魔女狩りを最優先とばかりに周囲の「魔力無し」を巻き込んでも何とも思わない、といった手法。そうした巻き込まれ被害の甚大さのあれこれ。対象たる魔女・魔力持ちへの虐殺の酷さ。諸外国で起こされていたそういった行動が、この和国でも数日後に予定されていたのだ。
もしこの雨音地方で。西乃市で。中野町、あるいは北の魔女コミュニティ界隈で、そうした魔女狩りが実際に行われていたとしたら。そしてそれが和国の他の地域へと広がりでもしたら。首都圏でテロ的に繰り広げられたりでもしたら。マスコミはこぞってそのシミュレーションを行い、平凡な市井の人びとの恐怖心をかき立てた。
魔女に対して元から共生は当然と思う人も、あるいは多少の「サベツ」は仕方がないと思う人も、自分が巻き込まれることも前提条件とされるテロなどを許すことは無い。
同時に、そこまでして狩られなければいけない「人間」などいる筈もない。多少の魔力を持つといっても、彼ら彼女らもまた「人間」なのだ。そうした理解は、あっという間に和国全体へと広がっていった。
内心では不本意もとい魔女への嫌悪を抱いていても、それを口にするのは非人道的で頭の悪い、多文化共生の流れから取り残された古臭い差別主義者のたわごとだと笑われるようになっていた。
世の中の変化は早かった。そうした「共生」への理解は、あっという間に「常識」だと言われるようになった。
意識は広く共有されて、「魔女は殺されても仕方のない人類である」というようなことは口が裂けても言えなくなるような、そんな気風が世に醸成されてきた頃。
このきっかけとなった事件、その最初の自首をしたロードック青年の裁判が始まった。
彼の母国の扱いは、冷たかった。加えて郷里の家族も親族も、彼のことを見捨てたどころか謀反を糾弾するかの如くの厳しい態度を通してきた。
しかし、その彼の内部的な変革を救世主だと受け止めた一派もいた。
その中に。
初老の域に差し掛かっていた武道家、神矢タカフミ氏も、存在していた。
――座標軸:「白」の刻/約9年前
彼を担ぎ出した、というわけではなかったのだろう。牢獄の中で、彼はそう判断をしていた。
しかし結果的に、彼は獄中に居ながらにして、和国の魔女の人権運動へと深くかかわる、そんな立場に立たされていた。
彼は只のきっかけ、最初の火種に過ぎなかった。しかしそれは、大きな銃爪でもあったのだ。少なくとも、ここ和国に於いては。
彼、ロードック青年の場合は、他の被疑者と比べれば比較的加害程度の低い犯罪で済んでいた。そうはいっても、パスポートの偽造と銃火器の所有は執行猶予では収まらない範疇の犯罪であった。
そうした彼に対して、和国の魔女人権支援者を中心とした弁護団が速やかに組まれていった。
年若い青年が、魔女差別を助長するような成育環境のもとで育ち、しかしその差別に気がついて脱洗脳を果たし、故郷と決別してまで魔女・魔力持ちの人権を尊重するようになった。そうした彼のヒストリーに共感を覚えた支援者が、続々と彼の裁判支援に加わった。
また彼は、和国はもとより母国の人権派たちの細やかな支援も享受することとなった。母国政府からも扱いの軽い少数先住民族出身者。その民族的な貧しさと虐げられた生活こそが魔女差別を温存する諸悪の根源なのだと、母国で少数民族の権利向上に真摯に携わる人びとが、遠い和国で行われている彼の裁判を支援し始めた。
そうしたさまざまな立場の支援者の中でも、とりわけ人間的に彼に興味を持ち、友情を培うことになったのが、親子程年の離れた拳道家の神矢タカフミ氏であった。
タカフミ氏が現役だったのは、彼の生まれるよりもずっと前のことだ。それでも師は世界的な著名人であった。母国では相当な田舎に育ち、学問も知識も情報も無い彼でも、その名を知っていた程だった。
拳道の武道家と知ると、彼は只の好奇心で老人に「拳道」の伝授を仰いだ。
神矢氏は快く、彼の思いつきをかたちにしてくれた。即ち、彼が収監されている刑務所に、週に一度の「拳道」の指導に通うという方法でもって、ボランティアに通い始めたのだ。
犯罪者の立ち直りの為の支援活動、というのがその口実だった。だが、そうした尽力は妙なところで彼を助けてくれた。
興味を持った一部の人間だけではあるものの、変化の乏しい獄中にある囚人たちも一緒に、その「拳道」の指導の恩恵を受けることができた。武道の稽古への参加がストレス発散になると言って喜ぶ収容者も多かった。獄内の雰囲気も、若干だが風通しが良くなった。お蔭で、そうした機会をもたらした彼の獄中での立場はグッと良くなった。
元からの体格に恵まれていた彼は、囚人たちの中でも比較的早くに拳道の才覚を現した。拳道を身に着けることは、彼にとってはとても楽しく豊かな時間であり、自己研鑽の機会であり、己を見つめ直す場ともなった。他の囚人の中にも、彼と同じような楽しみを見出した者は複数いた。
そうした一方で、彼は自分の裁判を進め、刑期が決まるとその罪を償うべく模範囚として獄中で過ごした。
同時に、和国における魔女狩りを抑止する助力になればと、魔女狩り組織のこと、その考え方といったことを、裁判はもとより和国の人権派の人びと、マスコミ、更には政府の法律関係者にもどんどんと話をしていった。とはいえ、魔女狩り活動自体が短期間であった彼の知ることは、そう多くはなかったのだが。
しかし社会的には、それ以上に「魔女狩り組織から転向した魔女の人権推進派の若者」としての彼が注目を集めていた。和国内でも、海外でも。
その彼が、神矢氏に師事し、師と相談して「神矢零司」、通称「神矢レイジ」に改名したのは、刑期が確定するかどうかといった、自首から割と早い時期のことであった。中野町の坂道を、子どもを肩車しながら登って行ったあの雨の日から、半年程経ってのことだっただろうか。二十歳になっていたか、なっていなかったか。彼は、丁度そんな年齢となっていた。獄中だった。
法的な名前、国籍含めて彼が完全にその名前に移行し、周辺環境も整えていったのは、それからもう少し時間を経てはいる。だがそれでも既にその時点で、彼は「クローアー・ロードック」の名前と決別していた。
そうして彼は、今度は「神矢レイジ」を名乗り始めた。
(つづく)
なんとか(自分の中の)目標であった11月03日の内に上げることができそうです。
次の06話はできれば明日、というのは大きく無理があるかもですが。
06話の推敲が今大分厳しい面もありますが、04日が無理なら近い内にと頑張ります。
次の舞台は「黒の刻」へと戻り、「風見レイジ」ではなく「クローアー・ロードック」の過去が一部明らかにされます。
ガンガン名前の変化する(名前どころか身体も時間軸も変化しまくりですが)主人公ですが、どうかこの男を見捨てずに、おつき合いください。
ここまでのご通読感謝です。では、また。(只ノ)