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第18話/彼の中にある、風見ヒカリの葬儀の記憶

「黒」の刻における2月26日編、その弐にあたります。

今回は全て回想回となります。

主役の身体は「黒」の刻側にいますが、回想なので意識は全て「白」の刻側です。


――「白」の刻・5年前、夏


 珍しいイリスウェヴ教の教義に則った葬儀のことを、彼は殆ど覚えていない。ヒカリの葬式に関する彼の中の記憶は、どの記憶も断片的だ。それが悲しみの深さからなのか、泣き過ぎた為なのか、加害者を憎みすぎたが故なのか。理由は彼にもわからない。

 

 葬儀の最中、涙が止まらなかったのは、彼だけではなかった。父も母も、そしてナミも、また多くの魔女仲間も同様だった。そのことは、薄ぼんやりとだけ覚えている。


「ああ、なんということだろう! 連れて行かないでくれよ。連れて行かないでおくれよ。イリスウェヴの神姉さまよう。あの子はまだたった9年しか生きていないんだ。たったの9年だよ。なんと短いことだろう! あんな小さな子を選んで、御許に引き留めようとしなさんなよう。あたしが行くよ。あたしが代わりに行くからよう。この老いぼれ婆が代わりになりますからよう。この婆めが、神姉さまのどんな我が儘も言いつけも、ちゃんとこなしてみせますからよう。あの子はどうか、どうか両親のもとに返してやっておくんなましよ。ああ、イリスウェヴの神姉さまよう……」

 高齢であった大婆さまが、さめざめと大泣きをされてイリスウェヴの神姉さまに長々と慈悲を請うていた。今にも倒れそうな様子だった。その介抱がかなり大変であったことに気がついたのは、彼も大分あとになってからのことだ。


 春先に中野町から引っ越し離れていた辰巳家の皆が一時的にこちらへと戻り、ミハル叔母を中心に、涙しながら裏方で必死に支えていただとか、そういった断片的な記憶もある。


 普段は気丈な姉御肌のスズノハも、人目を憚らずに大泣きしながら、それでも親友である母親のミチの肩を懸命に抱いていたことも、辛うじて思い起こせる。変な話だが、黒一色の喪服は、この2人の魔女を大層美しく飾っていたことを、彼はおぼろげに意識してもいた。「喪服が一番女を美しく見せるのよ」と言っていたのは、彼の血を分けた姉のことばであったのだが。彼はそのことを、2人の美麗な母魔女の泣き姿を見て思い出した。


 中野町の魔女仲間の中で一番寡黙であった孤狼の魔女姉さま……彼はこの、自身の姉と同じ世代の女性の名前を知らない。知っているのはこの敬称だけだ……その彼女が、オイオイオイと、まるで「泣き女」のようにして号泣していたことも。このことは彼の中で妙に強く、印象に残っていた。


 ……オイオイオイ……オイオイオイ……


 ああ。あの大きな泣き声は、本当によく覚えている。

 ひょっとしたら、ヒカリの葬儀に関する記憶のなかで、一番大きな比重を占めているかもしれない。


 また、ヒカリの通う学校の、同じクラスの子どもたちが大勢参列していたことも。子どもの数があれだけたくさんありながら、どの子も悲しみに打ちひしがれ、静かに、騒ぐことなく列席していたものだ。

 

 葬儀のことはずいぶんと記憶に抜けが多い。それでも、そのくらいのことは彼も覚えていた。


 特に、母さんは。

 そう。母さんは。風見ミチは、とてもではないが、一人では立っていられない程に混乱し、衰弱していた。傍らのミツル父さんは、そんな妻と、そして上の娘であるナミを支えることで辛うじて自我を保っている。父さんのいつもの素直な表情、隠し事などできないその貌から、そう彼は見て取った。



 ナミは。


 悲しみと同時に、深い後悔を口にしていた。


「わたしが、引き留めていれば」と。


 捻挫の足を引き、慣れない杖で体を支えながら、流れる涙を拭くことも無く、黒い服を身に纏った彼女は後悔し続けていた。

「君のせいじゃない」

 だから彼は、そう口にした。それは慰めではなく、彼の本心からのことばでもあった。

「ううん、わたしの」

 わたしのせいだ、と。彼女は青い瞳に海のような涙を浮かべながら、彼へと向き直って力なく呟いた。

「行ってきなさい、って。言っちゃったんだもの」

 言っちゃったの。いってらっしゃい、って。

 そう言って、彼女は涙を溢れさせると、彼の胸にもたれかかるようにしてしがみつき、静かに、静かに、泣き続けた。



 自分のせいだ、と自身を責めていたのは、ナミだけではなかった。

 父も母も、それぞれが自身の判断を悔いて、やり直せたらと、ああすればよかったと、そうしなければよかった、と。ポツリ、ポツリ、口から後悔を漏らしていた。

「私がね、席を外さなきゃよかったのよ」

「いや、俺だけが行って君を残しておけばよかったんだ。いいや、君に行ってもらって、男の俺が残っていれば、子どもたちを守れたんだ……2人とも行こうと言ったのは俺だ。君は悪くない、ミチ」

「ううん、でもね、あなた」

 父も母も、お互いを庇いながら、しかし自分の判断が拙かったのだ、と。その後悔ばかりを言い募った。

「ああ、私がヒカリの代わりに刺されていればよかったのに」

「ああ、俺がヒカリの代わりに刺されていればよかったのに」

 父も母も、同じことを口にした。尤もそれは、ナミの前ではさすがに口にしなかったけれども。


 ヒカリが命を落としたその瞬間、2人は少しばかりその場を離れていた。それが命運を分けた。庇うことも守ることもできなかったのだ、と。2人の後悔の大きさは、その不運な事実に根ざしていた。

 行きつけの店であるという安心感もあった。店員も店主も顔見知りどころか、付き合いの長い、仲の良い、同じ魔女仲間だ。短時間、すぐそばの東乃市イリスウェヴ中央教会へと行ってくるだけである。大丈夫、と。

 それに……


 ほんのちょっとの偶然が悪い具合に重なった。

 その僅かのタイミングに、暴漢はやってきた。


「この世の魔女を、全て殺してやる! みんな八つ裂きだ!」


 そう、叫びながら。


 実際に死んだのは、9歳の子どもの魔女、風見ヒカリ一人だった。




――「白」の刻・5年前、夏、葬儀直後


「わたしといっしょに今日は家に残ってちょうだい、ってゴネてればよかった。ものわかりのいいお姉さんぶらなきゃよかった。そうしたらきっと、ヒカリちゃんは優しい子だから、おうちに残ってくれて、ポポさんのお店には行かなくて、痛いナイフにも刺されなかった……」

 でも、わたしが、行ってらっしゃい、って言っちゃったの。

 事件当日、警察からの帰りとなる車の中で、彼は隣でうずくまるナミを抱きながら、自身もまた涙が止まらないことを意識した。風見の両親の消耗もひどかったが、ナミも涙にくれていた。

「でも、ナミは悪くない。悪くないよ」

「うそ……うそよ……う、うそだ……」

 語尾は途切れ、そのあと、彼女はことばを紡ぐことが叶わなかった。


 それから数日の間のことは、彼の中では記憶が途切れがちだ。

 彼が最後にはっきりと覚えているのは、イリスウェヴ教の教義に従った葬儀がすべて済んだあとも、どうしてもナミが泣き止まなかったこと。そして泣き続ける彼女に付き添っている彼自身もまた、涙が止まらないということだった。



 いつしか2人、本当の兄妹のように、泣きながら眠りに落ちてしまった。



 ……彼が風見家で夜を越したのは、この日がたぶん初めてだったのではないだろうか。彼の記憶が確かならば。


 和国で主流の仏式の葬儀ならば、葬儀が終わったその日に家の人間以外がその場に残ることは好ましくないと忌避されるものだ。

 しかし風見家は魔女教会ことイリスウェヴ教の信徒の家であり、葬儀もまたその儀式に則って行われていた。

 泣き疲れてナミと共に眠ってしまった彼を起こすにはあまりにも忍びないと、風見の両親も、また神矢の老師も思ったらしい。彼の体躯が関係者一同の中でも一番大きくて重たいという、実に単純明快な物理的理由もあった。何より、両親は大変疲れており、自身の悲しみで手一杯でもあった。

「それにな」

 翌朝。憔悴した貌のミツル父さんが、少しだけ表情を緩めながら、起き抜けの彼に語ってくれた。

 ナミの手が、彼のシャツを離さなかったのだ、と。

「本当にな、何か大切なものを掴んで離さない、って。そんな感じでなぁ」

 君のシャツからナミの手を離させるのが忍びなかったんだ、レイジ。そう言って、父さんは力のまるで無い、「笑い」に辛うじて近い表情を浮かべた。

「ヒカリがイリスウェヴの神姉様の御許に行っちまったんだ。それを引き留めたいというナミの気持ちが、きっとあの子の手に籠っていたんだろう。まあ、手の先にあったのは、レイジ。君の礼服のシャツだったんだけどな」

 そこで父さんは声を詰まらせて、何も言えなくなった。笑い顔に近いと思っていた表情が、いつの間にか崩れていた。青めいた深緑の瞳からは、きれいな涙が一筋、そしてまた一筋と、流れ、溢れている。当人は気づいていないのか、父さんはそれを拭くこと無く、まっすぐ前を見ていた。

「それにほら、事件の日から葬儀まで、暑い中、とんでもなくバタバタしたろう。俺もミチも殆ど寝られなかったし。ナミだって。レイジ。君だって」

 彼は、小さくちいさく頷くことしかできなかった。大きく首を振ると、自分の涙も止まらなくなりそうな気がしたからだ。そうやって涙していることに、彼もまた気づいていなかった。


 事件の当日、警察で、子どものナミはヒカリの遺体の確認には参加させてもらえなかった。血縁者でない只の付き添いの彼も同様だ。

 2人は、夏だというのに妙に寒々しい警察署の待合室のようなところで、母と父のことを待つしかなかった。両親は、遺体の傍で、警察からの話を受けていたらしい。時間が長かったか短かったか。彼はその辺りもよく思い出せない。ただ、待っている部屋の寒さだとか、座った椅子の硬さだとか、肩を抱いた小さなナミの頼りなさだとか、自身の心細さだとか、そうした断片的な印象だけがあるだけだ。


 2人がヒカリの死を確認できたのは、きれいに棺に納められた遺体が家に戻ってからのことだ。

 遺体となったヒカリの顔はとても綺麗で、まるで眠っているかのように静かで穏やかな表情を湛えていた。その静けさ、顔色の青白さだけが現実感を損ねていたが、それでも本当にただ眠っているだけのように見えたのだ。

 だから、ナミは、

「ひょっとしたら、ヒカリちゃん、生き返るんじゃないかなあ」

「生き返ると、いいなあ」

「息を吹き返すんじゃないかしら」

「神姉さまの御許に行くには早すぎるわよ。だってあの子、まだ9歳よ」

「そうよ、今は目をつぶっているだけ。眠っているだけなんだから」

「目が覚めたときに誰か傍についていてあげないと。ね。だからわたしがいるわ」

 何度も何度もそう言って、1階の居間に置かれた立派な棺に昼となく夜となく、幾度も足を運んで、花に埋もれた綺麗な少女の死に顔を確認したものだ。

 そんなナミにも困っていたが、父も母もそれどころではなかった。混乱する母は、自分のことで手一杯。父はその母を見て、尚且つ葬儀に関する手配も行わなければならない。何となしに、彼はずっとナミを守るようにつき添って、この数日は眠りも浅いままに過ごしていたのだった。途中で従姉のミツキが手伝ってくれていなかったら、ナミ自身も確実に倒れていたであろう。ミツキの両親、辰巳家の叔父叔母の采配にも大層助けられていた。中野町の魔女仲間の誰も彼も、入れ代わり立ち代わり雑用の一切合切を引き受けてくれていた。そうした各種の手助けがあっても、ナミも、彼もぎりぎりだった。

「君もナミも、疲れていたんだろうなぁ。だから君らは眠りが深かったんだと思うよ」

 父さんが、普段は吸わない煙草を吸いながら、そんな話をしてくれた。

「だから、そのまま2人、寝かせておいたのさ」

 ミツル父さんが煙草を吸っている姿を彼が見たのは、後にも先にもこのときだけだ。その父さんの姿はというと、まるで千年も前からの習慣であるかのように、実に身についた仕草で煙草をくゆらしていた。

 



(つづく)

今回は短いですが、これにて。

短いんで、続いて葬儀後の風見家の話を投下、と思っていたのですが、若干の手直しが入った関係で、次は週明け以降のアップを予定します。

2月26日編、4分割のつもりでしたが、5分割の可能性が高まってきたもので。

次は、「ナミの立ち直り編」みたいな流れですね。まあ、立ち直りといっても傷がすべて癒えるわけもないのですが。


今回、細かな伏線を敷いておりますが、それは次ではなく2つまたは3つ先で回収します。誤字やミスタイプではないので、ツッコミされませんよう、お願いいたしますです、はい。

(普段から誤字ヤベェの人なんですが……すみません)


それではお読みいただいて本当にありがとうございます。できれば次もお付き合いのほどを。

ではまた、次回に。(只ノ)

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