第17話/彼の中にある風見ヒカリ殺害の裁判、その記憶
お久しぶりです。続きです。
前回の引き、少女の死の、その経緯の開示編となります。
今回は、彼の目を通しての、裁判の話から。
――「黒」の刻/02月26日
朝も昼も、食べるものを口にすることなど、とてもではないができなかった。
ここに来てからの日課、もとい時間を有効に潰す為の行為であったトレーニングも、行う気力が一切湧かなかった。
ただひたすら、彼は自分に問いかけ続けていた。
本当に「彼女」を殺したのは、一体誰なのだろうか、と。
――「白」の刻/5年前、夏から秋へ
後にも先にも人生の中であれほど泣いたことはないだろう、というくらい、泣いた。
当時の彼は、親しかった子どもが死んでしまったという悲しみの深さと、加害者への激しい憎しみ、その2つの感情に支配されていた。それだけしか考えられなかったと言ってもいい。
そのくらい、当時はその2つの感情に囚われていた。囚われ続けていた。
――「黒」の刻/02月26日、午後・1
午後になっても、何も手につかなかった。独房の中で一人、力無く座り続ける。
辛うじて、午前の内に、半ば習慣となっていた和語の新聞を取り寄せることだけはしていた。だが、目で追えどもおえども、そこに書かれている内容は彼の頭に全く入ってこなかった。文字は、読めているにもかかわらず。
そしてまた、彼は考える。
「彼女」を。風見ヒカリを殺したのは、本当は誰だったのか、と。
――「黒」の刻/02月26日、午後・2
いや、彼も知っている。知っていた筈である。何せ彼は、ミツル父さんと同様、その裁判を欠かすことなく全て傍聴し、被害者側の参考人として2度も証言台に立つ経験すらしているのだから。
けれども。
あれは、本当に、彼の体験したことなのだろうか。
ひょっとして、あれは。あれこそは。彼の、都合のいい空想か何かではないだろうか。
それこそ「ここの世界」のように、本当は……風見ヒカリを手に掛けたのは彼自身ではないのだろうか、と。
そんな妄想すら、浮かんでは消える。
鉄格子の嵌った窓の外。しとしとと、冬の終わりの冷たい雨が降っていた。
――「白」の刻/5年前、秋
「私は魔女が嫌いだ。大嫌いだ」
男は、自分が魔女排斥主義者であるのだ、と。そう、証言台で胸を張った。
純然たる和国人。
背景も何も無い、単独犯。国内外の魔女排斥組織との繋がりは無いとのことだった。
年の頃は、見たところ30前後といったところだった。若者と言うには老けて見えるとも、年が嵩んでいるとも取れる。かといって分別のある大人、中年として扱うには妙に青臭さがつきまとう。裁判では、28歳だということだった。
証言台までの距離感をもって、彼は加害者たる男を眺めることとなった。和国人としても小柄だった。というよりも単純に、当人の持つ本来の小物臭からなのか、あるいは姿勢の悪さからなのか、男は小さく見えた。立ち姿は肉づきが薄くヒョロヒョロとしており、実在感が欠けている。
声は、男としてはやや甲高く、どこかしらスーハーと息が抜けるような締まりのないしゃべり方をしていた。運動を行って体を作ってきた人間ではないことが、顔を見ずともその姿勢と声だけで、彼にも理解できた。
ざっと見た感じは、そんな男だった。
その後、彼がよく観察していくと、男の顔の左半分が大きく歪んでいるのが解った。その理由は裁判ですぐに明らかになったが、男の右側に傍聴席、左側が裁判官席という立ち位置から、暫くの間、彼は男の顔半分の歪み具合に全く気づかなかった。
男の声に締まりがないのは、ひょっとするとその顔の怪我の後遺症もあったのかもしれない。彼にはよく判らなかったが。
そんな男が、ヒカリを、刺した。
背中から、めった刺し。
小さなヒカリはかわいそうに、恐ろしさに震えながら、頭を抱えて、うずくまってこの狂人をやり過ごそうとしていたのだ。そんな弱者たる彼女に、加害者の男は容赦なく刃物を何度も突き立てた。
何度も、何度も。
彼女が「魔女」だというだけで。
その話を聞くと、彼は嗚咽が漏れ、胃がひっくり返ったようになり、怒りに我を忘れ叫び出しそうになった。この場が裁判所の中であることを忘れそうになることもしばしばだった。
もしも自分が魔力持ちで、更に「魔眼」持ちであったのならば。この瞳だけで射殺してやりたいものだ、と。傍聴席に座った彼は、心の中で毒づいていた。
因みに魔力持ちの中における「魔眼」持ちは、「時間識り」「時間詠み」程ではないにしても、滅多にいない特性になるとのことだ。中野町の仲間にも、北の魔女コミュニティの仲間にもおらず、隣の東乃市の魔女仲間の中にそうした魔眼持ちがいることはいた。そんな話だった。
「魔眼、ですか?」
「そう、魔眼」
ミチ母さんがそう答え、隣でミハル叔母が大きく頷く。彼の向かいに座るナミも知っていることのようで、少女の青い瞳は母の声に諾の視線を優しく返していた。
あれはまだ、春の候。ヒカリが元気にピアノのレッスンへと通っていた頃の、ちょっとした雑談の時間だった。3月末に引っ越しを控えた辰巳家のミハル叔母が挨拶に来ていた、そのときのことだったか。
「魔眼、ねぇ……」
そう彼が呟き返すと、母は、
「まあ、滅多に無い特性よ。魔女であれば隔世遺伝で出るとも出ないともいわれるくらいの確率だし」
「そうそう」
姉の声を引き受けて、ミハル叔母が続ける。
「流石に『時間識り』や『時間詠』程じゃないけれども、あまり多くいるってわけじゃないわね」
「そうよねー。だいたい、この中野町にだって魔眼持ち、いないじゃない」
と、母。
「そうだっけ。あれ、孤狼の魔女姉さまは?」
そう、ミハル叔母が自身の姉へと問いかける。因みに、孤狼の魔女姉さまは、「姉さま」と呼ばれてはいるものの、実際の年齢は恐らくミチ母さんよりもミハル叔母よりも若い筈だ。彼は実際の年齢は知らなかったし、そも当人自身があまり若々しさには縁のない外見ということがあるものの。
ナミも魔眼に関してはあまり詳しくはないからだろう。この辺りの話になると、母と叔母との会話のキャッチボールを、「うん、うん」「コロウの魔女姉さまはちがうとおもうよ~」と小さく可愛く頷きながら、目をくりくりとさせて聞いていた。
「まあ、『魔眼』持ちの使える魔力も、大分アレだものねぇ」
「何よ姉さん、アレって」
言葉足らずの姉の話に、叔母はカラカラと元気よく笑った。一瞬、ミチも不本意だという表情で妹を見遣ったが、あまりに毒も無く笑う妹に釣られて、自身もコロコロと若々しく笑い出す。
やがて姉妹はそれぞれの笑いをゆっくりと収めていきながら。
「まあ、呪いだとか、隠し事を暴くだとか、暗示をかけるだとか、いろいろ人によって使える魔力もそこんとこ結構変わってくるし……」
そう、母さんは話をつなぐ。
「それに殺傷能力のある呪いって、相当でしょ。当人だって命がけじゃないと」
「まーそーよねー。人を呪わば穴二つ、ってことか」
と、ティーカップを手にとりながら、ミハル叔母が、彼が最近漸く理解ができるようになったことわざや慣用句を使って説明を続けてくれた。
「まあ、魔眼による殺人だとか呪術って、現在だとまず聞かないものね」
と、母さんが妹の話を引き継ぐ。
「実際にはね。やっぱりできることは相当限られると思うわよ。魔力の消費的な問題で」
そう、ミハル叔母も、姉のことばに頷きを返した。
母さんも、ミハル叔母も、自身がそうでもなければ直接の知り合いにもいないからだろう。どうしても伝聞調となり、どこか歯切れが悪い。
そうやって4人、のんびりをお茶を飲んでいた。
「あー知り合いに一人でもいればねー、もうちょっと『そうだったのか!』ってカンジになるんだろーけども」
ややぞんざいな声色で、ミハル叔母が言うと、
「北のコミュニティにはいないけれども……あ、東乃市の南乃団地の魔女コミュニティにはいるわ」
何かを懸命に思い出そう、といった表情だった母さんが、閃いた、とばかりに表情を変えて、思い出したことを口にする。すると、
「ああ、水無瀬さんの一族ンとこの……」
「うん、そう」
叔母からも具体的な名前が出て、姉たる母さんは頷きを返した。
そうやって、彼が知らない隣市の魔女コミュニティとそこの人物なりの話が出る。表情からすると、この辺はナミもまたよく知らないことのようだった。
一方、話し手であるミチとミハル叔母は、彼とナミ、2人の表情から、東乃市の魔女コミュニティの話題はあまり興味が無いとみて取ったのだろう。彼らの興味に合わせた話題を探るかのように、2人して数秒、ことばを止めた。同じ西乃市の、北の魔女コミュニティは付き合いも深く、ナミも彼もその顔触れはある程度は把握できる。だが東乃市ともなると、付き合いは限られてくる。少なくとも子どもであるナミや、魔力無しの彼にするとわかり難い話題であることは確かだった。
だがすぐに、ミハル叔母が話を継いだ。
「あ、でも魔力無しの中にも、ごくホントに、たまーにだけれども、魔眼持ちが出ることは出るって話、聞いたわよ」
「私も聞いたけれども、実際に見たことは無いわねー、魔力無しの魔眼持ち」
と、ミチ母さん。
「まあ、魔女・魔力持ち同士で結婚して、子どもを産んだら子どもも魔力持ちになれるけれども、ハーフだったりクウォーターだったりすると、魔力無しじゃない。だけれども、半端に魔女の血筋が残るから。そういうのじゃないの?」
「ああ、そういう影響かもね。魔力無しの中で突発的な魔眼持ちが出てくるって」
「うん。まあ一説だけどね」
裁判のその日。ほぼ半年近く前の平和な時分の会話を思い出す。
犯罪者の立つ証言台を向いて、彼は、自分がそんな「魔眼持ち」であれば、と強く呪いの目で男を睨み続けていた。
「本当はもっとたくさんの「魔女」を殺すつもりだったんだ。畜生め。失敗しちまった」
そう、裁判で加害者はうそぶいた。
被害現場となった店舗は魔女、魔力持ちの「活動家」が集まるところとして有名だったのだ、と。加害者の認識としては、そうなっていた。だから、魔女たちをいっぺんに八つ裂きにするには丁度いい場所だ。だとか、なんとか。軽く、ヒューヒューと空気が漏れるような締まりの無い声で、男はそう証言をしていた。
実際に死亡した被害者は、ヒカリ一人だけだった。重軽傷者はあと3人。この3人の被害者は魔力無しの人間で、お店の客と店員だった。尤も店員の方は、自身は魔女、魔力持ちではなかったものの、親の片方が魔力持ちで、その関係でこのお店に勤めていたとのことだったが。
それら被害者の内、2人の被害者が証言台に立った。
身体につけられた、加害の傷。治りきらない傷跡に、続く痛み。心に残った強い恐怖心と、日々の暮らしを阻害するかのように様々に表出してくるPTSDの症状。そんな辛い話がたくさんもたらされた。
だが、加害者は裁判が進行しても反省する様子は一向に見せない。
「殺害が達成できた魔女が一人だけだったのが残念だ。本来ならばもっと沢山殺せた筈だったのに」
「薄汚い魔女を庇おうとするヤツも同罪だよね。人類を名乗らないでいてほしいレベル」
そう、吐き捨てるように証言した。
彼も、証言台に立った。
過去、魔女狩人だった彼は、そこから更生した人間として、被害者側の参考人となった。
証言は2回、機会があった。彼も後年知ったことなのだが、和国の裁判ではどうも、一般的な参考人が複数回の証言をすることはあまり例の無いことだったらしい。どうやら彼の得たこの特例は、加害と被害、両方を経験しているという、彼自身の珍しさが大きく作用してのことらしかった。
彼はだいぶ上達した和語で、余すことなく自分を語った。
第一回目の証言は、彼が魔女狩人だったころの経験を中心にした。
かつての魔女排斥主義者としての自分の気持ち。貧しさと教育の欠落、そうしたものと差別主義温存の関係性。更に魔女狩人になってからの視野狭窄した世界観と、当時の「仲間」たちの持つ歪な人間観。
そうした愚かな過去を、しかし今証言することで和国内での魔女たちの立場を変えるのだ、と。そう思いながら、恥を忍んで証言をした。自分の無様さごと伝えようと、腹を括って。
ナミとの出逢いのくだりは、かなりぼかして、避けて話した。
これは魔女コミュニティの皆や支援者である神矢師とも事前に確認をしていたことだ。これ以上被害者の風見家をマスコミが追い回すようなネタを提供しない方がいい、という判断である。
彼もそれには即座に同意し、「ならばワタシがその防波堤になろう」と、それこそマスコミの前で踊る珍獣になる覚悟で彼は証言台に立った。
元は魔女狩人でゴリゴリの魔女排斥論者だった男。そして刑務所暮らしの経験。改悛の情と更生の道筋。そういった印象に引きずられたのか、加害者側の弁護人からは、ナミや風見家に関する話は彼に対してはあまり大きく質問が出てくることが無かった。
風見の件が注視されなかったことに安堵のため息を漏らして、彼は席に戻り座った。証言の後、武道者として体を鍛えている彼であるにもかかわらず、緊張のほぐれからなのか、足が細かく震えて力が入らなくなっていた。そのことに、彼は小さく驚いた。
二度目の証言では、彼はもう少し理論的な内容で話をすることとなった。事前に魔女仲間を含む弁護団との打ち合わせで、その方がいいということに話がまとまったからだ。
弁護団とその支援者の中でも、スズノハは発言も提案も実に活発だった。
「被害者感情という部分では、風見君が遺族として担当するわけよ」
風見君、というのはスズノハによるミツル父さんの呼び方だ。
そうやって裁判に関しての戦略に関しては、弁護士たちもだが、スズノハも大きく関わっていたようだ。老師も多少は、その方向性を正しく手助けしていたのかもしれない。普段の弁護団の会議に加わることの無かった彼は、そこまで詳しくは判らなかったが。
「で、あんたが、加害者から更生した立場の人間ってことで、その理屈をもうちょい展開するわけ。立場のまるで違う人間が2人、同じ結論を示すことで、憎悪犯罪の持つ加害性と被害の理不尽さ、あってはならなさを双方向から炙り出すってことね。第一回の弁論が、あんたのライフヒストリーに偏っていたから、もっとこうなんていうか……」
そこでスズノハは眉を歪めて考え事に耽る顔となる。この美麗な先輩魔女は、表情からその考えが判りやすい。彼はそう思った。
「立ち直ってからのあんたの気づきだとか目覚めだとか、そんなん。そーいうことをちゃちゃっと話ちゃって頂戴」
そうして彼は、魔力無しと魔女との共生の大切さに気づいて、目覚めて、転向することができたことを訥々と、だが力を持って語った。
差別する側から共に立つ側に、教養・学びの獲得と共に立ち直ることができたのだ、と。視界が開け、生きる選択肢が増えた、自らの変化を語った。
スズノハに言われたからだとか、事前の打ち合わせがどうだということではなく、この辺りは彼の本心からのことばでもあった。だから彼は、素直に証言をすることができた。
最後に、彼は付け加えた。彼自身が更生できずこの加害者のような人間になっていたとしたら。あの、過去のままの自分であったとしたら。
「心底恐ろしい」
と。
そう強い口調で加害者を糾弾しながら、彼は証言台で自分の人生に於ける劇的な変化を証言した。
「人は変われるのです」
ワタシがそうだったのですから、と。
――「黒」の刻・02月26日、午後・3
本当だろうか。いや、本当だ。本当の筈なのだ。
自分は、風見ヒカリを殺していない。その筈だ。
少なくとも、「自分の世界」では。
だが。
しとしと、しとしと、雨が降る。
独房内は、やけに寒かった。
――「白」の刻・4、5年前、裁判の頃
ヒカリの裁判では、実質の死者数が一人ということで裁判における求刑は無期懲役だった。
「どうして死刑にできないのよ!」
魔女仲間の中には、スズノハを筆頭に、極刑を求めるべきという議論が巻き起こっていた。実際に、証言台に立った魔女仲間や東乃市の被害関係者の中には、極刑を求める証言を述べた人もいた。雨音地方の魔女コミュニティ界隈で影響力のある北の魔女が極刑を求めていることで、魔女仲間たちの多くがその影響を受けていた、ということもあった。
また世論も、ここ数年でだいぶ魔女への差別感情が減ったことや、一番惨い被害者が9歳の少女ということで痛ましさに共感が集まったこと、加害者がまるで反省を示さず魔女への差別をむき出しにしていることなどから、極刑を求める声が多く聞かれた。
人口比だけを言えば、魔女を含まない、魔力無しが圧倒的多数。そんな和国である。それでも、魔女を殺すことに正義を見出す人間は既に殆どいなくなっていた。
とはいえ裁判の構造的なものとして、憎悪犯罪という問題点は大きくあるものの、被害者が一人では極刑を求めるのは難しい、と。検察側も厳しい顔で判断を示していた。
彼自身は、その件に関しては立場を保留にしていた。これは、法律の順守を貴ぶ神矢老師の影響もあった。
「いや、あの非道を絵に描いたような輩でも、ひょっとすると更生する機会があるかもわからない。償いを始めるかもわからないだろう」
2人きりになって、師匠はポツリと、漏らした。それはまるで独り言のように彼の耳には響いた。
「それが今ではなく、遠い未来、死ぬ直前であるかもわからんけれどもな」
まあ、この話はここだけにしておこう、レイジ君。師匠はそう言って話を終えた。
あとは、神矢老師はこのことに関しては、魔女コミュニティの面々にあまり強く主張することは無かった。
遠い未来であっても、更生することがあるかもわからない。
そう呟いた師匠のことばに、彼は少しば心が揺さぶられた。
確かに、自分がそうだったのだ。自分の場合は、小さなナミと出会ったその日の内に気づきを得ることができた。
だが、この加害者の場合、それを得られる機会が未だ無いだけなのだとしたら? 彼にとっての「ナミ」にあたるような「何か」と、いつか出会う未来があるのだとしたら?
理屈では、彼はそう思うこともあった。
しかし、感情は、理屈と全く別ものだ。
彼の中では、加害者への激しい怒りの感情は抑えようが無かった。被害者であるヒカリの幼さ、純真さ、将来の希望や成長の楽しみ、等々。それらが全て喪われてしまった無念といったものも、その感情を後押ししていた。
普段の魔女コミュニティの皆との会話でも、あるいは裁判での証言台の上でも、彼はその怒りを抑えきれずに、つい憎々しげな目線で、口調で、振る舞うことが殆どだった。怒りがあまりにも強すぎて、感情の制御ができなかったのだ。個人的には、復讐したいとい、自分の手で首を掻き言ってやりたいとすら想い、実際に口にすることもした。
それが、彼の本心でもあった。
――「白」の刻・5年前、夏
風見ミチは、沈んでいた。
娘の死の直後から、彼女は社会的にも表に出ることができなくなっていた。塞ぎ込み、家の中で泣き続けているか、たまに夫に付き添われて心療内科へと出かけるか、イリスウェヴ教会で祈りを捧げるか。彼が風見の家を訪ねたとき、メンタルを維持する為だという相当量の薬を飲んでいるところに出くわしたこともある。以前の、快活で若々しい彼女の欠片も見当たらない状態だった。
ともかく、裁判へ出ることは体調的にも心理的にもとても無理だった。
まして外に出れば、被害者の中でただ一人殺された子どもの遺族としてマスコミにも注目される。追い回される。それは避けたい、と。ミツル父さんと彼、そして中野町の魔女仲間もスズノハたち北のコミュニティの仲間も、弁護団を構成する良心的な弁護士の面々も、その辺りの意見は一致していた。
裁判でも、またマスコミ対策としても、この辺りは風見家の人間の中ではミツル父さんが立ち回るしかなかった。自身も愛娘の喪失に傷つき、悲しみに沈んでいるにもかかわらず、である。
彼は、そうしたミツル父さんの力になりたいと願い、時にはマスコミを自分へと誘導して父への注目をそらすようなことすら画策した。魔女仲間たち、そして時には神矢師匠も、その辺りを深く心配し、手を回していた。
そうやって彼もまたしばしば、そうした「転向した元・魔女狩人」として、マスコミの都合のいい取材に巻き込まれることが多かった。それはどこか、彼にとっては座りの悪いことでもあった。ときには不必要な程の美化の見られる記事などもあって、そうした脚色がどこか薄気味悪くも感じたものだ。彼自身は、そんなにマスコミが描くような正義感に溢れた人間などではなかったのだから。
「無理はするなよ、レイジ君」
師匠が、ミツル父さんを庇い風見家への防波堤となっている彼のことを心配して、こう声をかけてくれた。
「何かあれば、いつもの呼吸法だ。いいね」
武道者として、体の基本ができている。師匠の念押しは、そういうことだ。彼はそうした面でも、ミツル父さんや、傷つき果てたミチ母さんよりも対応に融通がきいた。年齢も23歳、まだまだ体力もあり、無理も効く。武道で身に着けた身体的な対処は、彼の心の安静にも大いに役立った。
「なあに、『人の噂も七十五日』と言ってな。人びとが飽きてくるまでの辛抱だ。マスコミなんて、すぐに追いかけるのを止めるよ」
それまで、我々も力を尽くす。だから皆で、風見の被害者家族を守り抜こう、と。師匠は彼と並んで中野町の外れで豚骨ラーメンをかき込みながら、労わった。
そういえばあの頃、ミチ母さんは家事が一切できなかったから、食生活も結構大雑把になっていたなぁ。師匠と近所の中華食堂へと出向いたり、適当な出前で済ませたり、いつもとは逆に彼がありあわせのものを見繕って風見の家に差し入れしたり、と。そんなこともあったな、と。
そう、どこか間抜けなことを、この寒くて臭い独房の中で、彼は思い出す。
そうやって彼は、中野町の魔女仲間、殊に大婆様の意向に耳を傾け、またスズノハのやや小言混じりの助言を得ながら、あえてマスコミに晒される立場を買って出た。その分、父さんへのマスコミの集中が減り、父さんは自身の悲しみへと向き合うことや、母さんやナミを守ることに力を注ぐことができる。そう思って。
――「黒」の刻/02月26日、午後・4
……新聞を読んでいた筈なのに、意識はいつしか、ヒカリの事件のことばかりを考えてしまう。部屋の寒さを意識して、彼の思考は「現在」へと立ち戻る。
いや、新聞を読んでいるから、そんなことを思ってしまうのかもしれない。彼がこの独房の中で広げている新聞には、どうということのない泥棒や詐欺、その他諸々の犯罪の話題、裁判の記事が並んでいる。そんなものなのだから。
だが、彼は。
あの頃は本当に怒りに囚われていて囚われていて仕方がなかったのだ、と。そんなことを思い出す。
雨だからだろう。屋内はいつも以上に薄暗く、時間が判り難かった。彼の中の時間の感覚が鈍っているということもあった。思い出に心が囚われすぎているからかもしれない。ブルブル、と彼は頭を振って、鉄格子の外に目を向ける。いつもよりも寒々しい鉛色の暗い空が、のっぺりと張り付いているのが見えた。その色のせいか、妙に肌寒く、体が重たく感じた。
その寒さは、どこか、あの夏の葬儀を思い起こさせた。夏だというのに、暑さがまるで記憶から抜け落ちている。そんな、夏の葬式だった。
――「白」の刻/5年前、夏の終わり
葬儀のあった当時、小さなヒカリのことを想う度に彼の瞳は勝手に涙を流し、あるいは許される環境であれば存分に泣いた。同時に、加害者に対して激しい憎しみを感じていた。
けれども、どうやらこの激しい憎しみを風見の皆と共有できているわけではない、ということに、葬儀の割とすぐあとの頃には彼も気づいていた。
最初それは、イリスウェヴ教の教徒故の「許しを与えよ」といった教えによる浄化作用のようなものだろうか、と思っていた。
「ほんっとあいつ、許せない。存在がここまで許せない、憎々しい人間ってのも滅多に見ないわね」
「クズ・オブ・クズ。ゲス・オブ・ゲス。最悪よ」
「裁判所の中でおんなじ空気なんか吸いたくないわ、正直。なんであいつが空気なんか、酸素なんか吸ってるのよ。贅沢が過ぎるってもんだわ。あの犯罪者には」
そう言ってスズノハは、幾度も幾度も相手を罵倒し続けた。
そうやって加害者を激しく罵るスズノハを見るにつけ、根本は宗教によるものでもなさそうだ、と彼は思い直した。
何せ、北の魔女ことスズノハは、風見の人びと以上に熱心なイリスウェヴ教徒でもあったのだ。かなりの多忙にもかかわらず教会へのボランティアにもよく出かけており、寄付も結構な額を寄せていた。さして親しくも無い彼ですら、そういったことを知っているレベルで。
そういえば、加害者に対する罵倒に関してだけは、彼とスズノハは本当に息がぴったりと合っていた。
「和国で仇討が許されていないというのは、とても残念なことだ」
「裁判所であの男の顔を見て、声を聴くと、どうしても八つ裂きにしたくてしかたがなくなってしまうな」
「ヒカリと同じか、それ以上の酷い目に遭ってしまえばいいものを。背中を、千の刃でズタズタにされてしまえばいい。本当に刃物を突き立ててやりたくなるな、あの背中は」
それまでお互いにあまりそりが合わないと思い合っていた相手であるというのに。加害者を罵ることにかけて、ヒカリの死を悼むことにかけては、スズノハと彼は、まるで合わせ鏡のように同じ反応を示した。
しかし彼は、じきに、風見の家の人たちが加害者に意識を向けないのは、被害のあまりの大きさ……娘を、妹を、喪ったという事実……そのこと自体に打ちのめされているからだということに、気がついた。
葬儀を終え、中野町の魔女コミュニティも徐々に落ち着きを取り戻しつつあった。
夏が、終わろうとしていた。
「どうしてここに、あの子がいないんだろう、って……思うのよ」
漸く立ち上がれるようになった母さんが、ナミに手伝ってもらいながら台所仕事をしていたときに、ポツリと、声を漏らした。
「おかしいわ。ナミもいるのに。ミツル君も、私もいるのに。あの子だけがいないのよ」
ねえ、オカシイと思わない? レイジ君。
そう続けて、彼女はぽろぽろと泣き出した。ナミは黙って、母の両手を取り、握り締めた。10歳の少女の小さな手が、母のその手を抱き続けた。
――「黒」の刻/02月26日、午後・5
それが、「彼の本来の世界」での話のことだ。
だが。
「この世界」の彼、クローアー・ロードックは、風見ヒカリを手にかけた。
ヒカリだけではない。母さんも、ミツル父さんも、「クローアー・ロードック」が手にかけた。銃を向けた。
直接殺したのだ。
自身の世界の彼、風見レイジは、クローアー・ロードックであったときも、3人には手をかけなかった筈だし、それどころか人殺しの経験すらない。
けれども。
この世界の「彼」は、人殺しなのだという。自首をし、裁判を通してこれまで一切罪状を否定せず、延々と謝罪を続けているということだから、そこに間違いは無いのだろう。
その「彼」と、この「自分」と。更に「自分の世界」でヒカリを殺害した「あの男」と。そこに、どれだけの違いがあるのだろう。
彼は、男の裁判のときに散々言い募ったそのことばを、改めて噛み締める。
確かに、裁判の最中に彼はそう証言台で証言もしたし、その後もそうした話をマスコミからの取材や諸々の機会で話してきていた。
だがそれは、彼が「何もしていなかった」が為の安心感に基づいた、安全地帯からの物言いでもあったのだろう。
ここの。
彼が「風見ヒカリ」を殺したという、この世界の中にいて。
彼は改めて、自分の罪を思い起こす。
彼があの10月最後の日、5歳だったナミと数時間、半日弱、過ごすことが無かったら犯していたであろう、過ちのことを。
(つづく)
どうも。ひと月間が空いた、ヤバイ、と気がついて、必死で自分の尻を叩いていました。
今回は2月26日(黒の刻)の話。本来1話でまとまるかなーと思っていた26日編が、例によって分割です。今回はその第一弾。現状では、26日は4分割を想定して話を組んでいます。
この17話は裁判編です。
次回18話は葬式編を予定しています。分量が今回よりもずっと短いので、基本的には余程のことや何らかのアクシデントが無い限り、明日中のアップを予定して作業を進行しています。
ここまでで、ある1項目を除いて風見ヒカリの死去の経緯が判明する、という構成(の予定)です。
このGW前には26日編を終了したいなぁと思っているのですが、微妙な進行具合です。
でもまあ、頑張ります。
お読みいただき、どうもありがとうございます。どうかぜひ、この次もご贔屓に。
それでは、また。(只ノ)




