第13話/彼が本当は和国の大学2年生である、ということ。あるいはその背景
お久しぶりです。予定では「事件」までもっていくハズだったのですが。
それ以前の、ちょっとした背景を埋めていくことにしました。
今日のお題は「おべんきょう」です。
――座標軸:「黒」の刻/02月25日
目を皿のようにして、新聞を読み続けていた。
昼、の筈だった。だというのに室内は相変わらず薄暗く、外の天気はまるで判らない。独房で、彼は寒さだけを感じていた。
午前の早くに、彼は「弁護士の交替」に関する事務処理を済ませていた。
事務処理といっても簡単なことだ。要は、和国の「国選弁護人の選定のやり直し」に関する依頼の書類を何枚か提出する、といったものである。書類そのものは元からのフォーマットがあり、空欄にサインをする。それだけだ。
独房にやってきたのは2人の刑務官。一人が書類と通訳担当、もう一人がその補佐、もしくは何らかのトラブルに備えたもの、といったところだろうと彼は見て取る。
外国人である「クローアー・ロードック」は和語の読み書きがほぼできない、と。ずっとそう見做されていたからだろう。刑務官たちはその前提のもと、書類の説明を開始した。
だが、ここにいる彼は本来の「クローアー・ロードック」ではない。和語は読みも書きもできる「風見レイジ」である。だから彼は、英語で書類を説明しようと四苦八苦していた通訳専門らしい刑務官に、先に和語であれこれと質問をしながらその手間を短縮してやることにした。
その刑務官たちは、急に和語が達者になったどころか、普通に和語の書類を読み解くことができるようになっていた彼のことを、えらく訝しい表情で見つめていた。その視線と態度は彼が「ここ」に来た初日、5日前の再現に近い。2人は彼に聞かれていることが解っていながら、それでも時折隅に退いてはひそひそと和語で相談する、といった有り様だった。
この2人は彼にとっても初顔だから、きっと2人の普段の仕事場、担当部局が違うのかもしれない。それゆえ、彼に関するここ数日の情報を持っていなかったのだろう、と。彼はそう推測する。
彼は刑務官たちの所作にも目線にも無頓着なまま、早々と弁護士の交替についての手続きを進めた。基本は、書類の数カ所に署名がいるというだけの話なのだから、と。
片方の、そこそこ英語のできる刑務官……というよりも専門の通訳なのかもしれないが、彼にはそこまでの区別はつかなかった……は、最初から最後までかなり大雑把な調子で書類を英語で説明していた。実質的には重要であろうことも平気ですっ飛ばして適当に訳してきている。英語がそこまで得意でないのか。あるいはただ単にやる気が無いだけかもしれない。
だが、今の彼であれば、和語の書類に目を通すことはそこまで理解が難しいことではない。大抵の漢字も、その意味が把握できる。刑務官からの説明の文言以上に、彼は書類の理解ができていた。
ただ、幾つかの高度な法律上の専門用語はまるで彼の中には無い概念だった。それに関してのみ、英語も和語も遣いながらどんどんと質問をし、彼は淡々とその処理を終わらせた。
刑務官は2人とも、不審だと言わんばかりの表情のまま、それでもその書類をあっさりと受取り帰って行った。面倒ごとを避けたのだろう。そう彼は思った。
それから、彼は例によって和語の新聞を受け取り、新聞を隅から隅までずっと読み解き続けている。元の世界に戻る為の何かの、ほんのわずかのヒントでも得られないか。そう思って。
新聞にせよ、法的な書類にせよ、彼が和語の読み書きについてここまで慣れることができたのは、彼が和国の大学への進学を決意して、それを為し得たこと。それが大きい。
そう。本来の彼は、社会人大学生。年齢は27歳と11カ月。だが、大学生としては2年目だ。単位も順調で、すぐに来る4月には、彼が3年へと駒を進めるには何の問題も無い。
そんな、2月末。その筈だったのだ。
――白の刻:6年前、秋
彼が学問というものの大切さを意識し始めたのは、出所から半年近く。神矢家で拳道の門下生として寝食を頂きながら、一方で風見家へと頻繁に出入りするようになって数か月を経た、秋の頃だった。
9月に入ると夏休みが終わり、ナミもヒカリもまた学校が始まった。和国の平均的な小学生というものをよく知らない彼であったが、それでも4年生のナミも、2年生のヒカリも、適度に忙しくしていたと思う。
しかしその合間を縫って、拳道の稽古やその手伝いの必要の無い日の夕方の一部の時間帯に、彼は風見家へお邪魔して、和語の勉強に通うようになった。
使っているテキストはナミ、そしてヒカリが過去に学校で使っていた国語の教科書である。
昨年、ヒカリが1年生のときに使っていた教科書やドリルを教材の中心に据え、主にナミが先生役となりながら、和語の基本的な読み書きを学習する、といったものである。秋口にはすっかりそのような流れができていた。週に1日か2日、その内の短い午後の時間のことだ。
ことの発端は、ミツル父さんだったのではないかと、彼は思っている。
2人は本当によく一緒に出歩いていた。そうした折、美術館や博物館の展示の和語、また食事を摂りに入った店のメニューなどの書きことば、電車の切符売り場や掲示板、などなど。英語はさておき、和語のみの表記となると、彼はそれらが読めなかった。
但し大抵の場合、それらのものには英語の表記も併記されていた。また和語の表記のみでまごつきそうなときも、彼はつい見栄を張って、そういう不便は無いのだという顔で通していた。そうした誤魔化しは彼には得意のことだった。
しかしミツル父さんは、そうした彼のことに気がついていたのだろう。それを気にかけてくれたのだろう、と。そうしたところは、4兄に似ているのだ、この人は。そう彼は思った。
しかし実際にコトを推進したのは、風見ミチ。母さんだ。
夏の終わりに、母さんが、
「ヒカリやナミの古い教科書があるわ! あれを使えばいいじゃない!」
と、軽やかに、にっこりと微笑むものだから。
ナミもヒカリも、母さんお手製のポテトサラダを頬張っていた。
ゴクン、とナミがその細い首を鳴らしてポテトを飲み込むと、
「3年生までの教科書はもう使わないから。兄ちゃんが勉強に使うんなら、いいよ。あげる」
そう、母の提案に軽々と乗ってきた。
それどころか、ナミは。
「一度、先生、やってみたかったのよねー」
と、あっけらかんと言い放つと、あっさりと家庭教師役を買って出た。それを言う青い瞳が妙に強い色に輝いていたことを、彼は忘れない。
一方のヒカリは、「私のおふるのきょうかしょでいいの?」と申し訳無さそうな顔をしながら、上目遣いで彼に頷く。
「拳道の師匠って線もいいけど、和語の読み書きがしっかりできるようになれば、レイジ君の職業の選択肢がうーんと広がるわね」
と、母さんは我がことのように張り切って。
「それに、レイジが希望するのならば、学問をもっと究めてもいいんじゃないかな。大学の社会人枠かー……倍率は高そうだけど、難易度はどうだろう……うん。よし、俺が調べておくよ」
と、ミツル父さんは更に夢のような可能性を口にしたのだった。
その最後の一言はしかし、彼にとっては小さな、大事な「種」となった。
食事のあと、すぐに彼は姉妹2人が昨年度まで使っていたという和語の教科書や参考書、ドリルの類をどっさりと受け取って風見の家を辞した。神矢家の彼の部屋へと戻ってすぐ、それらの点検に入る。
この時点で和語が読めない彼は、どちらかというと練習帳にあたる「ドリル」に興味を持った。日々使うのだとしたら、これを埋めるのだろう。そう思って。
ナミのドリルは、全てが書き込めるだけ書き込まれていた。しっかり勉強をした跡のあるそのドリルは、参考程度にはなるものの、実際に彼が書き込んで使う分には厳しい状態であった。見本としてのみ活用ができる。そんなところだ。
だが、どうだろう。ヒカリのドリルは大して使われていない。どのチャプターも最初の方が数行埋まっているだけで……そしてそれは大抵の場合、全てに正解を意味していると思しき丸がついていた……まだドリルを埋めていくことが十分可能なレベルで、解答欄に空欄がたっぷり残っていた。
その違和感は、最初は小さいものだった。
後日、何かの折に、彼は母さんから姉妹2人の成績についての話を軽く聞くこととなった。
「ウチの子たちは、そこまで成績に差はないんだけども。算数も、和語も」
「和語も、ですか」
「ええ」
彼が淹れ方を教えたチャイのようなミルクティーを、今度は風見の母、ミチが彼に振る舞っていた。
「別に学校の成績だけじゃなくってね。赤ちゃんから乳児、幼児、って。どんどんとことばを覚えるじゃない、子どもって。ナミもヒカリも、そこまで極端に違うとか、そういうのは無かったわねー。違いがあまり印象に残っていないっていうか」
「はい、ええ。ああ、やっぱりそうですか……」
「むしろ、ナミの方が要領がいいっていうか、立ち回りがズルイっていうか。ハキハキしてるから、いい面が目立ちやすかったわね、あの子」
ふふっと小さく、母は笑う。
「ヒカリはちょっと内気っていうか……知っていることでも、なんでも、すぐに口に出すって方じゃないから。ワンクッション置いて、よく考えてから口にするか、諦めちゃう」
だから逆に、ナミがやたらと過保護になって、ヒカリをお姫様みたく甘やかすんだけれども。
「確かに」
最後のそれは、彼も大いに頷くところだった。普段のナミは、妹のヒカリを一番かわいいのだから、と公言して憚らなかった。よく褒め、よく庇った。
そのナミ自身はというと、拳道での立ち回りに限らず、日常の会話などを見ていても、その年にしてはむしろ生意気と感じる程、相応に聡く、しっかりしていた。彼の中での主な比較対象は他の子ども門下生であるのだが、彼女よりも年長者の多いその子どもたちと比較しても、それは確実に言えた。決してこれは、風見に対する贔屓目などではない。そう思ってはいたので、このドリルの使われ方の姉妹の違いっぷりが少しばかり意外であった。そんなところだった。要領がや物覚えが悪い子どもであるとは考えられない。
そこで、ドリルのことをナミに聞くと、
「わたしの1年生のときの先生は、ドリルは全部書かせる先生だったよ。しっかりガッツリ、ぜーんぶうめてていしゅつしなさい、って」
と、担当教諭の違いではないかという話になる。今度はヒカリに尋ねると、
「だってもう覚えちゃったんだもの。なんども書くひつようがないよ、お兄ちゃん」
と実に合理的な答えが返ってきた。
だから、これは2人の単なる個性の違いなのだろう、と。この当時の彼はそう思っていたのだった。
そんなわけで、彼は、主にヒカリが昨年まで使っていた小学校1年生時代の国語の教科書やドリルを用いて、和語の初歩の学習に勤しんだ。
「兄ちゃん、話しことばはフツーなのに」
どうしてそんなに何も書けないの、読めないの? と。先生役を買って出たナミが呆れるレベルで、彼は和語の読み書きがゼロの状態からのスタートとなった。
彼の話術は、本当にかなり標準的で、問題が無かったのだろう。それは彼が思っていた以上に周りにとっても自然なことだったらしい。神矢家、風見家で、その数か月間、さして意識されてもいなかった。何かの不便があったところで、その場にいる誰か……多くの場合、それはナミかミツル父さんのいずれか、乃至はその取りこぼしをサポートするミチ母さんか……の多大なるお節介が発令される。
そのくらい、彼が読み書きに不自由であったということは、数か月の間、殆ど誰からも意識されていなかったのだ。
主に刑務所内での実践だったが、それでも3年強は和語だけで生活をし、和語にずっと親しんできていた。そうやって下地のできていた彼は、書き方も読む方も、かなりのハイペースで覚えていった。ひらがな、カタカナ。それらも何度も繰り返し書き込んで、覚えていった。
読むこと、書くこと。出来ることが増えると、彼の行動も少しずつ、変わっていった。その気になれば和語で本や新聞を読むことができるのだという選択肢の広がりが、彼の前に可能性としてもたらされた。
その判断の増加は、彼にとっては不思議な光景であり、それまで知ることの無かった贅沢のようでもあった。いきなり広くて明るい道に出た。しかもその道はずいぶんと整っていて、歩き易い。そんな感覚でもあった。
振り返ってみると、彼には新聞を読むような習慣も、読書を楽しむという行動様式も、学問を修めるのが当然という意識も、その全てが欠落していた。両親も兄弟もそんな価値観であったし、村の大部分がそんな感じの中で暮らしていた。祖父祖母に至っては、学校にも碌に通っていなかった筈だ。
彼自身の、それまでの学校での学び具合も、かなりいいかげんであった。だがそれも、周囲もまた似たり寄ったり、といったところでのことだった。
そうした知識だとか教養だとかを身に着けるといった行動様式は、かつての彼の中には存在し得なかった。契機も、発想も、情報も無かった。
それが、徐々に変わりつつあった。和語という、第三の言語を意識すること。その習得によって。
初歩のあいうえおが読めるようになり、またカタカナも含めて読める、書けるようになると、彼の世界は俄然、広がり出した。
外出先での、彼の気づかなかった、それまでせいぜいまごつく程度できちんと意識していなかった「不便」が、どんどんと解消されていった。
コンビニやスーパーの商品展示も、その外袋の説明書きも、読める。神矢の家でTVを見ていても、ニュースの字幕が読める。解るのだ。
彼は、ことばを学ぶ、という知的な喜びに、心が動かされ始めていた。
同じように、神矢家にいるときでも彼は和語の勉強を本格的に進めた。
和語にそこまで不自由していたことに気づかなかったことを詫び乍ら、神矢の老師匠は悟朗や、更に今は大学生となった長男の名前の入った大昔の教材まで引っ張り出してきた。
そして、「時間のあるときに幾らでも使ってくれ。全て、好きなだけ汚してくれて構わない」と彼に全部を譲り渡した。大きなダンボールに2箱、いや3箱はあっただろうか。風見家からのものとは量が違う。長男坊の教科書に関しては、中学校3年生までの9年分の全教科分が一揃いあったのだ。その上の学年の分もあったのかもしれない。とにかく大した量である。
それを彼に渡しながら師匠は、
「国語以外の科目の教科書にもなるべく目を通すようにしてみるといい」
と、にっこりと笑ってアドバイスをくれた。
あとで考えるとこれは彼にとっては実に的確な助言となり、結果、彼の世界を更に広げてくれた。
同時に、神矢師は意識して、新聞その他の読みものを読ませようと、日ごろから彼に細やかにそうした話を持ち掛けるようになった。
かつての彼は、朝に新聞を読むなどという習慣すら珍しいものだった。それはTVのドラマなどでしか見ない、フィクション上でしか存在しない風景で、自分の親や親類といった身近な大人がそうしている姿など見た試しが無かった。「それはそういったことができる、限られたエリートの世界の人たちの習慣なのだ」と、いつしか思い込んでいたのかもしれない。
神矢の家に厄介になってすら、それを行っているのは拳道の師匠で、しかもこの師匠は世界的には有名人であり、彼にしてみたらある意味雲の上にいるような人間である。自分もまた同じことができるのだ、とそう思うことも無かった。
だが、それも一月足らずで自らの習慣となっていった。老師の読み終えた新聞を引き取り、少しずつ、解る文字、読めるようになった単語だけを拾い集めて、広告の裏紙やノートに、ひたすら文字を書き写した。読める文字が増えてくると、今度はその記事の意味を理解するよう、読み込むようにもなっていった。彼は、道場の手伝いや拳道の稽古の合間をぬいながら、午前はずっと和語の勉強の時間へと振り分けるようになった。
老師から引き取った息子2人の教科書やドリルは、教科書への落書きやその汚れ具合の違いにそれぞれの性格がくっきりと出ていた。
今は首都で暮らしている長男坊の神矢治朗は、堅実に勉強を進めるタイプのようで、ものを知りたがる意欲を強く感じた。ドリルの書き込みも実に丁寧、教科書の隅に書き込まれていた落書きの文字も比較的綺麗で、神経質とまではいかなくとも、かなりきっちりとした文字を書くタイプの少年時代を送っていたことが読み取れた。中には、なかなかユーモアのある遊び書きもなされていた。文字が読めるようになってきた彼が解読したそれは「たけやぶやけた」のような回文であったり、何かの替え歌のような笑える歌詞のようなものであったり。意外な独創性をもっていた。
今は大学生となっているこの青年は、その子ども時代も実に学びを楽しんでいたのだ。そのことが、しっかりと伝わってきた。それを眺めながら、彼はこの見知らぬ青年にもまた、ナミやヒカリに感じるような温かい感情、友人のような親しみを覚えたのだった。
ナミの教科書やドリルもそれなりに学びの意欲は感じられたのだが、彼女の関心は恐らく和語や言語などよりも別のところにあるからなのだろう。全ての項目に対してあれこれ面白い書き込みのある神矢治朗の教材の様子と比べると、ナミの場合はやや単調で、必要最低限を要領よく抑えておく、といった感じが見受けられた。忘れやすいもの、覚えの悪いものは重点的に繰り返す、時には欄外も使っている程だったが、そうでないものは一通りで充分といった強弱が見て取れた。拳道での無駄のない所作と同様に、優先順位の立て方や必要不要の取捨選択がきちんとなされている、といったところだった。見知らぬ青年と引き比べた彼女の個性が垣間見られて、彼は自然と頬が緩んだ。
さて一方、神矢家の次男坊である悟朗はというと、実兄や同じ年のナミとも大きく異なり、そういった学問への興味を一切持っていない様子が丸わかりとなった。ドリルの字は4人の子どもの中で誰よりも雑で、教科書の汚れ、使い込まれた様子なども兄貴と比べるとかなり少な目である。
ナミと同じ年ということもあり、教科書やドリルが全て同じ内容なのだが、繰り返しや予習復習に力を入れている兄の書き込み、ポイントをかいつまんで覚えるべきところと力を抜くところの見分けをしっかりしていた様子のナミのそれと比べると、そうした努力の跡が極端に少ない。というか、とんと見られない。教科書を開いていた時間の少なさがうかがえた。和語の教科書に限らず、他の教科も概ね似たり寄ったりといったところだった。
剣道少年である悟朗には、和語をはじめ座学が中心の学問への興味がそこまでないのだろう。普段の少年も、どこかそんな調子で、学術的な興味よりも身体重視といった明るい少年であったから、この教科書の様子は正直とても納得のいくものでもあった。次に顔を合わせたら、その件で少しからかってやろうか、という発想も彼の脳裏に過ったが、悟朗少年の名誉と羞恥心を想像してその実施は見送ることにした。
神矢家の兄弟2人は10歳程離れているということだったし、教科書もそうした年代の違いを反映してか、内容には結構な違いがあった。そして彼にとっては、その年代の違いがいい塩梅に複数の教材として使いこなせることとなり、和語の勉強のアイテムとしては大いに役立つこととなった。
ドリルに関してはナミ同様、神矢家の兄弟の分もどちらもほとんどが埋まっており、回答に空欄が目立つということはなかった。正解を示している丸の数が、兄と弟で大分違うとしても。それでも、勉学を明らかに苦手扱いしている弟の悟朗にしても、ドリルの書き込み部分はしっかりと埋められていた。
最初、彼は「それ」に、違和感は抱いたものの、そこまで不思議だと思うことは無かった。教科書は各種の物を引き比べつつ、ドリルに関してはヒカリのくれたものと自分で書店に出向き買い揃えたものを中心に、自主的な学習を進めていた。
時折、ほんのときたま。ミツル父さんがさらっと口にした「大学」の2文字……最初はそれが「だいがく」の4文字であったのだが……それが頭を過るような、そんなこともあった。
更に。
「レイジ君が学校への入学を考えるんだったら、費用やら時間やら、そういうことが心配しなくていい。大学でもなんでも、目指すのなら私がサポートをするからね」
と。割と気軽な声色で、老師が彼に微笑みかけてくれた。
季節はもう、山を紅葉が彩り、あるいは道で落ち葉を踏みしめる。そんな季節となっていた。
時間のある時は近所にある図書館の中野町分室へ、あるいは駅前の大きな西乃市図書館本館へと出向くことも覚えた。彼が読めるようになってきたレベルに合わせて本を借り、読むといった行動も、頻繁に行うように、意識して彼は選択した。
本の選択を見られるのが恥ずかしいこともあり、これらの行動はなるべく一人で、思いつくままに行動をしていたが、たまにナミが同行したがることもあった。なるべくそうならないように、彼女が学校へと行っている午前中や、彼女が午後の授業の多い曜日に、それらの時間を充てるようにした。
ミツル父さんと母さんからは、隣の、雨音地方きっての大都市である東乃市の大きな図書館のことも教えて貰った。実際に彼がそこにまで足を運ぶようになったのは、年を越してからのこととなったが。
図書館へと通うようになって、彼は別の視点から、自分に欠けているものごとを把握することができた。
特に、根本の学力、本来母国で子供時代に身に着けているのが当然とされるような常識的な知識、英語の細やかな使い方や文法、それ以前の語彙の数、それらを裏支えする概念……そうした幾つものものごとも彼には欠けていたということを、嫌という程意識させられていった。
そうした知的なものごとに関して、彼は22歳がもうすぐ終わるというその年になるまで、それらを学ぶことが必要だと気がつくこともなく、自分の可能性を塞いでいたことに、漸く気づいた。
そして彼は、和語を学びながら、同時に何が自分に必要で、何を学びたいと願い、その力を得た後に社会にどうその力を役立てたいのか……それを考え始めた。
たとえば、適切な学問分野を一つ専攻してそれを極めていく、だとか。ミツル父さんや母さん、そして神矢師も大昔に通ったという、それを。彼はその道筋を、ぼんやりと意識する。
しかし今、彼に必要なのは、やはり和語である程度の読み書きができるようになること。それだった。次のステップへと勉強の駒を進めるのであれば、英語にせよ和語にせよ、基本の言語を真っ当に扱えるようにならなければ、彼にはその知識を読み解き血肉にしていくことができない。そのことも、彼は理解をしていた。無知な己を自覚することで、獲得すべき目標や克服すべき点が彼の中で可視化されてきたといってもいい。
だから彼は、まずは和語の習得に力を入れ、そこに集中することにした。
それは単純に面白く、楽しいことでもあった。
新しい和語の文字や言葉、概念を知るに従って、普段漫然と眺めるだけだった絵画も版画も、彼の興味を惹いて止まない時代劇のような物語も、その他のあれもこれも、彼の中で急速に意味を持ち、理解や納得といった感情を彼の中から引き出した。知的な好奇心が、ことばの獲得から概念の構築へ、更にはその背景となる数学や地理、歴史や未来予測等、各種の科学や文化といったものまで照射しはじめたのだ。
そうした勉強、特に彼の和語の習得に一番役立ったのは、やはりというか、拳道の稽古の無い平日に通った、風見家でのナミの家庭教師による授業だった。
(つづく)
お久しぶりです。本来はこれの3倍程の分量の内容を投下予定だったのですが、
あまりの長さに切りました、分けました。
それでも、本来の「事件」に届くかどうか。
一応は筋に沿っては動いている……と思うのですが。
辰巳の親子も面白いので、もっと語りたかったところ。バッサリと切りましたが。
また、風見ミチスペシャル、も避けました。
ミチさんについては、まだまだ出番があるかと思いますので。
ただ、ロリナミとレイジとのデートシーンが飛びました。ありゃりゃりゃりゃ。
この埋め合わせは、きっと、いつか。
と、次の投下は、比較的早くにできそうです。
それでもおそらく「事件」の前止まりになるかと。
お読みいただき、ありがとうございます。どうか次も、ぜひ、ごひいきに。
それでは、また。(只ノ)