第七話
「んっ…」
目が覚めると、自室の天井が映る。
一瞬、自分は何をしていたのだったかと混乱するが、すぐに記憶が蘇る。
もう帰る事の出来ない懐かしい場所で、現実を生きるための話し合いをしたこと。
(夢だけど、夢じゃない……ふふっ、どこかで聞いたような台詞ね。)
クスリと笑いながら起き上れば、まるで示し合わせた様にシアが朝の挨拶と共に入室の許可を求めてくる。
それに応えれば朝の支度が始まり、身嗜みを整えれば朝食となる。
昨日の時間稼ぎが思いのほか効いていたらしく、三人とも殿下は勿論、婚約のこの字すら口にはしないので正直有難かった。
いくら子供と言えど、貴族である以上あの時間稼ぎは長くて一日が限界だからだ。
というか、家族が愛情を持って接してくれていなければそもそも使えない手でもある。
(冷静になって考えれば、私は恵まれているわね。ラスボスでも家族は優しく、殿下と言う理解者も居る…)
昨夜の会議は、お互いの情報の擦り合わせや現状確認が主で具体的な方針は愚か、作戦も何も定まっていない。
このまま何も成せずに王妃にでもなって、日陰の身となったなら目の前の家族はどう思うだろうか。
無能な娘と蔑むのだろうか?それとも、娘を蔑ろにした王族を憎むのだろうか?
後者であれば正直、嬉しい…でも、もし前者なら私はこの国での居場所を完全に失う事になる。
(そうなったら殿下にお願いして隣国にでも逃がしてもらおうかな。私の目的は生き残る事だけで、それはこの国じゃなきゃダメと言う事はないのだし!)
脳裏に浮かんだ悲しい光景を振り払うように、無理矢理明るい方向に思考を持っていく。
「メリンダ、どうしたんだい?」
「ごめんなさい、お兄様。ちょっと考え事をしていて。」
こちらを心配そうに見つめるお兄様に疎まれる未来があるかもしれない。
明るい方に持って行った思考が、また後ろ向きになり始める。
こうなると大抵の場合、思考はドツボに嵌ってどんどん良くない方へ沈んでいくものだ。
そういう時は、全く別の事をして切り替えるに限る。
心配する兄を何とか交わしてさっさと朝食を済ませ、その足で書庫へと向かうと小難しい学術書でも、楽しい小説でも、何でもいいから本を片っ端から読んで思考を染め上げてしまう。
これは前世の頃からの習慣だ。
嫌なことがあって落ち込んで元気がない時や考えすぎて心が疲れ切った時に、こうして本の世界に逃げ込んでいた。
本の世界はとても広くて、自由で、何かに羽交い絞めにされていた私をいつも解き放ってくれるから。
「お嬢様。家庭教師の先生がお見えになりました。」
「ありがとう、シア。」
本を閉じれば、ジェットコースターに乗った後の様に気分も思考もクリアになる。
そうすれば、また前に進める。
「今日は確か、ジュディア先生だったかしら。」
「あ、いえ。急遽、予定が変更になりまして本日はレノール様がいらっしゃっております。」
「レノール先生が?確か、隣国に赴いていたのではなかったかしら。」
「昨夜帰国なさったそうです。」
「そう、なの…」
*
「やぁ、メリンダ嬢。久しぶりだね。」
「お久しぶりです、レノール先生。」
扉の先には、長い茶髪を緩く三つ編みにした男性がこちらをにこやかに出迎えた。
彼の名はレノール・グランツ。
私の家庭教師の一人で、主に各国の情勢や地理等を担当してくれている。
爵位などは知らないが、どうやら名のある貴族らしく家庭教師の他に各国に赴いて仕事をしているらしい。
なので一定期間居ない事はザラで、帰国するとそれまでの遅れを取り戻す様に一気に授業をするのだ。
だから今回も後れを取り戻すために他の授業の調整をしたのだと、いつもの私なら思っただろうし現にそう思ってはいるのだが、何故か今回は少しだけ違和感を感じた。
「急な帰国でしたが、どうかしたのですか?」
「ああー…ちょっとキナ臭い事があってね。巻き込まれら事だと、厄介になる前に戻ってきたんだ。」
「キナ臭い事?」
「ん~…」
言いにくそうというか、言い渋っている様子のレノールに違和感は当たっていたことを知る。
レノールが赴いていた隣国の名はメンシス。
クレッセント・ドロップにも登場するこの国は、軍事力が高い事で有名だ。
だが、メンシス国の王族は皆穏やかな性格で民を守る事を第一としているので侵略とは縁遠いが、民や自国を害そうとする連中には容赦がない。
数世代前にメンシス国を手中に収めようと、愚かにも攻撃を仕掛けてきた国を地図から綺麗に消したほどだ。
そんな国から不穏な気配がするなんて、由々しきことだ。
もし何かの間違いでメンシス国と戦争だなんてことになったら、我が国に勝ち目はないかもしれない。
(ん?待てよ…仮に恰幅のいい貴族が絡んでる騒動に関係する隣国がメンシス国だったなら存亡の危機だ。前世の私がアンシュルグッジョブ!と親指を立てる事にも納得できる。逆にメンシス国じゃない国だったなら、どうだ?)
取引の内容は思い出せないが、ろくでもないものであることは確かだ。
もしその内容がポロス国と隣国の関係を破綻させかねないものだとしたら、現実的なダメージがより深刻なのは軍事力の高いメンシス国だろう。
もう一つの隣国との関係が悪化しても確かに痛手だが、アンシュルが帰国したことでご破算になる様な取引ならメンシス国の方が考えやすい。
「……もしかして、我が国とメンシス国の関係を壊そうと誰かが考えている、だなんてことはありませんよね?」
「!どうしてそう思うんだい。」
「メンシス国は軍事力が高い国で有名ですが、王家は無益な争いを好まない方々ですが侵略者に対する報復は苛烈を極めます。もし、メンシス国に我が国が侵略しようとしている等と言った嘘の情報を流せば国交に影響を及ぼします。」
「確かに、そんな嘘を流されたらたまったものじゃないね。でも実際、ポロス国はメンシス国と事を構える気はさらさらない。メリットが無さすぎるしね。それにあちらの王族も馬鹿じゃない、出所も不明の情報を鵜呑みにして意地悪をしてくるような人達じゃないし逆にそんな嘘をついたと怒られてしまうかもしれない。二つの国を怒らせればどれほど怖いか、メリンダ嬢なら分かるだろう?」
「それは、そうですが…」
「キナ臭いと言ったことで不安にさせてしまったかな?でも大丈夫、まだそんなことにはならないよ。」
(まだ…?)
それはつまり、可能性はゼロではないということ?
ポロス国とメンシス国の国交は結ばれてまだ間もない為、付け入る隙はある。
でも、レノールが言っていたようにポロス国もメンシス国もお互いに不仲を望んでいない、逆に両国が仲違いをすることで利を得る国があるとしたら?
「…密偵…」
「!!」
ポツリと呟いた言葉に、レノールの表情が歪んだ。
当たりだ。
「レノール先生、我が国とメンシス国が仲違いをすることで利を得る国があるのではありませんか?」
「…恐れ入ったな、まだそこまで授業はしていなかったはずだが。」
「単なる推測です。」
凄いなと私の頭を優しく撫でてくれるレノールだが、実際にはクレッセント・ドロップという事前情報があったかこそ導きだせたがそれが無ければ考えつかなかっただろう。
何だかズルをしているような気分で素直に喜べない。
「確かに、我が国とメンシス国が仲違いをすることで利を得る国はある。俺が帰国したのもその国が関係しているが、密偵が捕縛されたから大事を取っただけだ。それにしてもメリンダ嬢がここまで情勢を読めるようになっていたとは驚いた。」
「え、えっと…ほ、本をたくさん読みました!」
「それは良い事だ。なら、今日の授業はその知識に肉を付ける事にしよう。」
「肉、ですか?」
「本から知識を得ることも勿論大切だが、本に記されている事が全てじゃない。実際にその場へ行かないと分からないことが山ほどある。だから、実際に行ってみよう。」
「へ?」
ニッコリと笑うレノールは、私を抱き上げるといつ用意したのか分からない魔法陣の上に立つ。
その瞬間、私の意識は飛んだ。
「メリンダ嬢、目を開けてごらん。」
「…ぇ?……ぇ、ぇぇぇええええええええええ!?」
「あっはははは!!いいリアクションだ!」
恐る恐る目を開けば、そこは上空だった。
物凄い勢いで移動しているのか、強風が身体を打ち付けるがまだ心地いいと感じる程度だった。
だが、驚くべきところはそこだけじゃない。
何故か体が半透明なのだ。
「一体どういうことですかレノール先生!!」
「なに心配するな、危険な魔法じゃない。」
「そう言う事じゃありません!!説明!!」
「ああ、そうだな。今使ってる魔法は”センシション”と言って、追体験が出来るんだ。」
「追体験?」
「術者が体験したことを相手にも体験してもらうって言えば分かるか?」
「はい。」
つまり、今私はレノールの軌跡を追いかけているということ。
で、あるならばもしかして、もしかしてレノールは…
「先生。」
「なんだい?」
「私も訓練すれば空飛べるようになりますか?!」
「おっと、そう来たか…」
興奮気味な私に、レノールは苦く笑った。
*
「さ、ついたぞ。ここが隣国、メンシス国だ。」
「ここが…」
目の前に広がる光景に、私は言葉を失った。
家屋や行きかう人々の服装こそ違うが、直感的に感じた。
似ている、と。
「驚いたかい?メンシス国はポロス国とは全く違う文化を持つ国なんだ。」
「それは、どういう、文化なのですか…」
「そうだね…簡単に言うなら伝統と現代が同時に息づく文化だね。伝統を重んじつつ、革新的な技術や発想を柔軟に取り込んでいる。」
それは、日本文化にとても酷似した考え方だ。
信じられない思いのまま、レノールが歩んで道のりが再現されて行く。
何かの祭りだったのか出店が並び、買ったものを手に人々は楽しそうに笑っている。
手にしているのは大半が料理で、そのどれもが前世にあった食べ物に酷似している。
たこ焼きの様な焼き物に、焼き鳥の様な串物、りんご飴の様な食べ物に、かき氷の様な氷菓子。
見れば見る程、もう帰れない場所に酷似した風景が広がっていた。
「今は、お祭りか何かなのですか?」
「よくわかったね。メンシス国の”花の刻”と呼ばれる伝統行事でね、御神木というメンシス国にとってとても大切な木を祝う祭りなんだ。」
「御神木…」
「ポロス国で言う所の守護神の様なものかな。一日だけ一般公開されるんだけど、とても美しい花が咲く幻想的な木なんだ。」
日本に似た国に御神木、そして美しい花が咲く木…それはきっと、今頭の中に浮かんだの木にとてもよく似ている気がした。
私が最も好きな花、桜に─
「先生。」
「なんだい?」
「私も見たいです、御神木。絶対、絶対に…!」
「ははっ、そうだね。きっとメリンダ嬢も気に入るだろう。」
優しい眼差しで頭を撫でてくれるレノールは、きっと分からないだろうし、幼い子供がただ好奇心に突き動かされている程度にしか思っていないに違いない。
でも、これは好奇心なんかじゃない。
これは間違いなく望郷だ。
「では、いつの日か御神木を見る為にメンシス国について学ぼうか。」
「はい!」
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