閑話 ST・アンシュル
記憶を取り戻した時、歓喜と絶望が同時に襲ってきた。
俺は生まれながらにして前世の記憶を持っていた。
綺麗な母上と凛々しい父上がこちらに微笑みかけてくれていたが、そんなことに気を向けられる余裕を当時の俺は持っていなかった。
会社で仮眠をとっていたはずなのに、どうしてこんな所にいるんだという疑問とこれは夢かという逃避に、脳が忙しかった。
しかし、夜が何度明けようとも事態は変わらなかった。
そこまで来たら、もう色々と察してしまうというもので、自分はあのまま死に、この世界に転生したのだと理解した。
勿論、だからと言ってすぐに飲み込めたわけじゃなかったけど、拒絶したからと言ってどうこうなる問題でもないと諦めの境地に居た。
そんな俺を奮い立たせてくれたのは、此処がどこなのかを知った時だ。
「今日はご機嫌ですね、アンシュル殿下。」
世話係のメイドが、俺の名を呼んだ。
アンシュル殿下、それは前世の俺がよく読んでいたロマンス小説に登場するヒーローの名だ。
高校生の妹がハマったと布教してきた小説は、恋愛要素こそツッコミどころ満載だが、表現や構成と言った部分がとても細やかで面白く、気づけば妹と並んで読みふけっていた。
(もしかして、ここはクレッセント・ドロップの世界なのか?!)
改めてよく見れば、小説の挿絵にあったような光景がそこにはあった。
好きな小説の世界に転生出来たことに興奮と歓喜が沸き起こるが、急に我に返る。
(いや待て、さっき俺の事をアンシュル殿下って言わなかったか?!)
どうにかして自分の顔を見ようと辺りをキョロキョロして、ようやく窓に映った自分の顔を発見し、絶望する。
そこには、どう見ても小説のヒーローにしてツッコミどころ満載恋愛を強行する王太子の赤子時代の姿があった。
(マジか、マジなのか……え?!じゃあ俺この後、婚約者が居ながら自分の世界に酔った挙句駆け落ちして周りに大迷惑かけたくせに城に戻ってやたら偉そうなご高説垂れ流さなきゃならないわけ!?)
自分の未来に絶望し、赤子の癖に白目を剝いたせいでメイドが悲鳴を上げる騒動となった。
その後、なんとか騒動も落ち着き、同様に俺自身も冷静さを取り戻すことができた。
なってしまったものは仕方がないし、未来を憂いて命を絶つ気もない。
それなら俺が取る道は一つ、未来を切り開くことだ。
(とりあえず、駆け落ちは無しだな。迷惑過ぎる。後は婚約者の子をどうするか何だよなぁ~…多分、誠意をもって対応すればある程度は理解してくれるだろうけどそもそもの話、婚約したくないんだよなぁ…)
未来の婚約者であるメリンダ・オートクチュールは貴族の鏡と言われるほど立派な女性であり、第一章のラスボスだ。
まぁ、ラスボスになったのは小説のアンシュルのせいなのだが。
(俺がメリンダと婚約しなければメリンダはラスボスにはならないし、俺も命を狙われずに済む。何より、あんな報われない最後なんてあんまりだろう。)
前世の時は、悪役令嬢だなんて言われていたメリンダだが、どちらかと言えば幸薄の少女と言った方が適切ではないかというのが正直な感想だ。
アンシュルと婚約さえしなければ、彼女は幸せになれたのだろうから。
(でも、腐ってもアンシュルは王族。勢力図から見ても、オートクチュール公爵家と縁を結ぶのは自然というか必須だろうな。)
広大な領地と豊富な資源を持つオートクチュール公爵家は、中立に身を置く家だ。
その為、無用な争いを起こしたくない王家にとっては優良物件に他ならない。
現在、唯一人の王位継承者であるアンシュルにとって、結婚することは責務である為、このままいけばまず間違いなく小説の通りにメリンダと婚約を結ぶことになるだろう。
俺としても格好いい女性でしかも美人なメリンダは嫌いなキャラではないが、推しではない。
結婚しなければならないのなら、憧れだった推しと結婚をしたい!
せっかく転生と言う非凡な幸運に恵まれたのだ、活かさない手はない。
(う~ん、でもどうするかなぁ…このままじゃ俺、ヒーローからヴィランにジョブチェンジするしかなくなるよなぁ。まぁ、彼女が手に入るならそれでもいいけど、無理強いはしたくないし、無用な敵も作りたくない……とりあえず今は情報収集と味方を増やす方向で行くか。)
自分の望みはハッキリしたが、まだ赤ん坊の自分に出来ることはない。
それならいざという時の為に、この世界の情報を集めながら味方を増やし身動きしやすくすることに決めた。
(メリンダと婚約するのはアンシュルが十二歳の時。十二年の間に、手札を増やそう!)
そして、憧れの彼女と結ばれるのだ!!
望む未来を夢見ながら、まだ赤ん坊の俺は眠りにつく。
この時、俺は知る由もなかった。
五年後、最高に頼もしい協力者を得ることに。
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因みに、STはStorytellerの略語です。




