第一話
公爵令嬢・メリンダ・オートクチュール。
美しい銀の髪に透き通る青の瞳を持つ愛らしいその少女は、今日で三歳を迎える。
祝いの言葉と優しい笑顔に嬉しそうにする彼女は、そのまま綺麗に地面へと沈んだ。
クレッセント・ドロップ。
私が高校時代に流行したロマンス小説。
主人公は平民の少女・ルナ。
物語はルナがノーヴェスト学園に入学した時から始まる。
平民でありながら高い魔力と頭脳を持っていたルナは、学園でも優秀な成績を修め、その噂に興味を持った王太子であるアンシュルと運命的な出会いを果たす。
互いに惹かれ合い、ゆっくりと想いを育み合う二人だが、現実は無常。
アンシュルには国が決めた婚約者がいたのだ。
いや、例え婚約者がいなかったとしても平民と王族では済む世界が違いすぎて結ばれることなど夢のまた夢。
その事を理解している二人は、想いから目を逸らし会うべきではないとお互いに避けるようになる。
しかし、運命の悪戯なのかどんなに避けようとも二人は巡り合ってしまう。
このままではいけない、選択しなければならない、追い詰められたアンシュルは決断をする。
「何を捨てたとしても、君が欲しんだ。ルナ。」
「殿下…いいえ、アンシュル様…」
立場を捨て、ルナと共に国を去る決断をしたのだ。
だが、その事にアンシュルの婚約者は激怒した。
責任から逃げるだけでなく、国を、民を、私を裏切るだなんて許さない。
怒りは恨みとなり、恨みは殺意へと変わった。
婚約者は闇ギルドに命じた。
「この二人を亡き者にしてください。女の方は死を渇望する程に嬲ってから特に惨たらしく殺してください。」
首を差し出した者に金貨千枚を支払うという契約の元、執拗に闇ギルドは二人を追いかけていく。
国を出ようとも、国境を越えようとも、追跡の手は緩まない。
そしてついにルナの命が危機に瀕した時、アンシュルは覚醒し闇ギルドを打ち倒し、その背後に自身の婚約者が居る事を知る。
自身のみなら許せたが、愛しいルナを殺そうとした婚約者にアンシュルは激怒した。
急ぎ国に戻り、婚約者を凄惨に始末し何の憂いもなくルナとの未来を手に入れた。
「そして、その凄惨に始末される婚約者がこの私っと…はぁ~…やってられないわ…」
三歳の誕生日、優しい両親と兄に祝われている最中にそれは起こった。
正しく雷が落ちたような衝撃と共に、脳内に見知らぬ光景が広がったのだ。
見たことのない高い塔がいくつも並び、見慣れない衣服を身に纏った人々が忙しなく行きかう。
人だけではない、車輪を付けた箱が独りでに動いたりしているのだ。
なんだこれはと恐怖する暇もなく、三歳の私は卒倒し、一週間もの間寝込んだ。
そして、悟った。
私が転生し、前世の記憶を取り戻したことに。
「お嬢様、お加減はいかがですか?」
「もう大丈夫よ。ありがとう、シア。」
ようやく熱も下がり、起き上れるようになった私が打ちひしがれていた所に、シアが心配そうに声をかける。
シアは私が乳飲み子の頃から私の世話をしてくれている侍女で、家族の次に信頼できる相手だ。
でも、そんな彼女でも倒れた原因については言えていない。
馬鹿正直に前世の記憶が戻ってオーバーヒートしました!だなんて言えば、頭がおかしくなったとして医者か修道院に担ぎ込まれるのが目に見えているからだ。
「ですが、顔色がまだ優れませんね。」
「そうね…これを飲んだらもう休むわ。」
「かしこまりました。」
礼儀正しく一礼すると、シアは退室していく。
シアはいつも私好みに少し温めで紅茶を淹れてくれるけれど、就寝前だからということもあってか、いつもの紅茶ではなく蜂蜜入りのホットミルクを淹れてくれた。
それでも温度は私好みに調整され、心なしか少し甘みが強いように感じられる。
多分、弱っている私を慮ってくれたのだろう。
小さな優しさに胸を暖かくさせながら、得た情報を整理するためノートを取り出す。
先程、脳内で思い出したクレッセント・ドロップのあらすじを書き記すと、今後の目標を考える。
(メリンダ・オートクチュールは第一章のラスボス、とりあえず無事に第一章を乗り越えることを目標にしよう。その為には、なんとしても王太子との婚約を回避しないと。)
万が一アンシュルと婚約したとしても、私の推しはアンシュルではないし、そうでなくともアンシュルに恋するつもりも予定もないので物語のメリンダと同じにはならない。
だが、何事にも絶対はない。
私がアンシュルに恋をしなくとも、婚約者を諫める事が出来ずみすみす駆け落ちを許した令嬢として王家から責任を押し付けられて処刑、だなんてこともあり得るのだ。
これが貴族同士の話ならまた違ったのかもしれないが、相手は王族。
どんな難癖をつけられるかわかったもんじゃない。
だからこそ、私が平穏無事に生き抜くにはアンシェルと懇意になる事は絶対に避けねばならない。
(王太子との婚約を回避するには、王太子と婚約する前に別の誰かと婚約してしまうのが一番手っ取り早い。家格が釣り合いそうで尚且つ派閥が同じ家、そして、何よりも物語に登場しないところがいいわね。後でお父様にそれとなく聞いておこう。)
不幸中の幸いなのは、この物語においてメリンダ・オートクチュールは典型的な悪役令嬢ではないという所だ。
物語の彼女はアンシュルに淡い恋心こそ抱いていたが、貴族令嬢としての矜持を持つ誇り高い人であった。
恐らく、アンシュルが誠実にメリンダへ向き合っていたら苦言は呈されても、最終的には良き理解者になっていたかもしれない。
なのに、アンシュルはメリンダに向かう事も、責任を全うする事も、国を顧みる事もなく、逃げた。
それがメリンダはどうしても許せなかった。
もう戻る事が出来ない所まで道を踏み外してしまっているアンシュルは勿論、アンシュルに道を踏み外させたルナにもその怒りは向いた。
メリンダの気持ちも分かるが、だからと言って暗殺者を差し向けるのは違う。
殺してしまっては、どう頑張ってもこちらが悪者になってしまうのだから。
「さて、当面の方針は決まったわね。明日から早速、未来の旦那様探しを始めないと!確か、メリンダが婚約者に選ばれるのって十歳の誕生日だったからタイムリミットはあと七年…」
部屋の窓から見える夜空には、煌めく星々と美しい月が闇を彩っている。
物語の第一章はノーヴェスト学園を卒業して三年後の建国祭まで、そこを乗り切れば私は晴れて自由の身だ。
生き残れたら何をしようか、オートクチュール公爵家を出て当てのない旅にでも出てみようか、それとも女公爵としてバリバリ領地を盛り立てていこうか、全てにケリをつけてから奥に引き籠ってスローライフを満喫するというのも魅力的だ。
上手く事を進められるかという不安を、未来の希望で覆い隠しながら私はベッドへと潜り込む。
その背を、月が静かに照らしていた。
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