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トルバドーれ!  作者: 袴田八峰
第三幕「ヤダ!」

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9/11

四席


 夜明けの光が、二階へと続く古い木の階段を白々と照らし始めていました。


 最初にその場所に辿り着いたのは、エレクトラでした。


 彼女は自分の部屋へ戻る足を止め、ポメロの部屋の扉から数歩離れた壁に、吸い寄せられるように背を預けました。


(最悪。──本当に、最悪だわ)


 心の中で毒づきながらも、彼女の耳は扉の向こうから漏れ出す真実の残滓を、一滴も漏らさぬよう拾い集めていました。


 次に現れたのは、エピタフです。


 絹のガウンをきっちりと着込み、眉間に深い皺を刻んだ彼は、廊下に立つエレクトラを見ても会釈一つしません。

 

 廊下の反対側の壁に陣取り、腕を組んで目を閉じました。


「あんたたち、こんなところで何してるんだい」


 三番目に姿を現したのは、一階から上がってきたドリーでした。


 彼女は階段の踊り場で足を止め、廊下に佇む二人の背中を見つめます。

 

 二人の肩が、扉の向こうの熱気に当てられたかのように、微かに震えています。

 

 ドリーは手すりに寄りかかり、ポメロの部屋の扉を顎でしゃくりました。


「──ポメロのこの曲、皆さまはどう聴かれますか?」


 エピタフから零れたのは、静かな問いでした。

 

 ドリーは自ら答えを探るように答えます。


「あたしに言わせりゃ、ありゃただのガキの癇癪さ。──だけどね、その癇癪が、この婆の古傷をヒリつかせやがるんだ。忘れたはずの、あの舞台の袖で震えてた頃の青い痛みをね」


 ドリーの言葉に、エレクトラが視線を床に落としたまま、静かに口を開きました。


「──最低だわ。あんなの、音楽ですらない。ただの剥き出しの呪詛よ。でも、だからこそ、嘘がない。あれには、真実しか詰まっていないわ」


 彼女の素直な独白に、エピタフが鼻で笑うように割り込みます。


「真実? 伝統的な理論に照らせば、あんなものは構成の体を成していない、ただの騒音だ。教導の余地すら──」


「エピタフ。あんたの耳は、節穴かい?」


 ドリーの挑発的な一言が、エピタフの言葉を断ち切りました。


 彼女はは射貫くような視線を彼に向け、重ねて問います。


「あんたのその指先。さっきから無意識に、あのボウズのデタラメな拍子を追ってるじゃないか。嘘がつけるほど、あんたの耳は腐っちゃいないだろう?」


 エピタフは、己の指がガウンの上で微かに動いていたことに気づき、屈辱に顔を歪めました。

 

 しばらくの沈黙の後、彼は絞り出すように本音を零しました。


「──まるでわからん。あの田舎者は今、既存のあらゆる規律を憎悪し、自らの衝動だけで新しい法を打ち立てんとしている」


 唇を噛み締めて。


「──認めん。認めんが、あのエネルギーだけは、僕の知る誰よりも、大きい」


 三人が、扉の向こうの音に飲み込まれそうになっていた、その時です。


「おやおや、皆さんお揃いで。廊下で朝の集会っすかぁ?」


 欠伸を噛み殺しながら、デッカが自室の扉を開けて出てきました。

 

 乱れた髪を雑に掻き揚げ、眠たげな目で廊下の面々を見渡します。


「いやぁ、なんか隣がガチャガチャしててさ。寝るに寝られないんだよね。だから俺ちゃんも混ぜ──」


「嫌だ!!!」


 これまでにないほどの絶叫。ポメロの声は裏返っていました。


 四人は互いに顔を見合わせます。


 予感がありました。

 直感がありました。

 予測がありました。

 共感がありました。


 それぞれが別の感覚で、同じ予兆を察知しました。


((((今から、来る。))))


 嫌だの結晶が。


 ごくり、と唾を飲み下したのは果たして誰でしょうか。


 歌声は止んでいる。

 違う。

 溜めている。

 マグマが溜まり切るのを。


 ギターは止んでいる。

 違う。

 待っている。

 火山が噴火する瞬間を。


 そして、来た。

 最初の一音が。


「ヤダ!」


 気の抜けた、片言の奇妙な発声。

 ギターの爆発を待つ四人に取ってはまるで猫騙しの如き肩透かし!


 ですが、次のタイミングでもギターは炸裂しませんでした。


「嫌だ!」「ヤダ!」


 おかしいのは彼らの耳か、それともいつの間にかリノがポメロの部屋にもぐりこんでいたのか。

 

 明らかにポメロの声と、先ほども聞いた奇妙な声が、同時に聞こえて来たのです。


 何が起こっているのか?


 次の発声で種は割れました。


「ヤダヤダヤダ!」


 ミドルテンポで連ねられた、聞く耳持たない意志を示す子供の声。


 それに似せて奏でられたギターによるダダこね!


「嫌だ!」「ヤダ!」


 スラッシュ奏法による粒立った音圧が、サウンドホールの底に叩きつけられて、返り反響のエコー効果を伴って、たわんだ高音弦を揺らすことで表現している!


「いーーやーーだっ!」


なんというアイデアを、なんという力技で実現したことか!


「……ヤダ!!」


 ポメロと共に五年を歩んだ唯一無二の相棒との掛け合いがイントロでした。


そこから突如としてのテンポアップ!


駄々を捏ねていたギターは烈火の如く高速鳴動し、ポメロは癇癪が高じ過ぎてひきつけを起こしたかのように列挙する。


 ヤなことを。

 嫌いなことを。

 気持ち悪いことを。

 見たくないことを。


 苦みの強い野菜、服にひっつくトゲトゲの種子、続く大雨、臭い便所。

 抽象的な事、具体的な事、思想、感情、傷ついた言葉、疎外感。


 のべつまくなし、みさかいなし。


 嫌だ嫌だと嫌悪感を露わにしながらも、決してそれを壊すとか殺すとか逃げるとか投げるとかの解決の方策も提示されません。

 

 視点の変更もふと冷静になる時間も理由の説明もありません。


 徹頭徹尾、嫌だ嫌だとわめいているに過ぎないのです。


「いーーやーーだっ!」


「………ヤダ!!」


 そして最後まで。

 

 一部の隙も無く楽曲は不快感を覚える物で埋め尽くされて唐突に幕切れ。


 聴衆は疲労感を覚えるより、怒りを覚えるより、共感を覚えるより、反感を覚えるより。


 きっと、こう感じることでしょう。


 『そこまで嫌なら、もういいわ』


 エレクトラも、ドリーも、エピタフも、デッカも。

 やはり、そう感じました。


 泣く子と辺境貴族には勝てないって、こういうことかと。



───── ♬ ─────



「あー嫌だった!」


 ポメロは言葉とは裏腹に、達成感と爽快感に満たされていました。


 そうですよね。


 あれだけ恥も外聞もなくヤダヤダ言ってたらストレスなんて吹き飛びますよね。


 ポメロは酷使した腕を揉みながら、ベランダに面した大きな窓へ。

 

 カーテンを勢いよくシャアッと開けると、顔を出した太陽へ向かって両腕を突き上げました。


「新しい朝が来た! 希望の朝だ!」


 喜びに胸を広げたポメロの背後、廊下から突っ込みの声が入ります。


「貴様っ!」


 背後からの怒声に慄いたポメロが振り返ると、ガウンを翻したエピタフが扉を荒々しく押し開けたところでした。


 エピタフは短い足をちょこちょこと動かしながらポメロに詰め寄ると、口角泡を飛ばしながら指弾しました。


「ふざけるなッ! 貴様、今の自分が何を産み落としたか分かっているのか!」


「あれね、『ヤダ!』って曲なんだ」


「誰がお前に質問した! 僕の話を聞けと言っている! あれほどの……全存在を、規律を呪うような不快の結晶を吐き出しておきながら、『ヤダ!』と否定しておきながら!」


 エピタフは酸素が切れて深呼吸。

 

 でも言動はキレっぱなし。


「次の瞬間には希望の朝と宣う! 野放図な爽快感を享受する! 矛盾! 音楽を、我々の耳を愚弄するのも大概にしろ! 貴様は今、既存の全てを否定したんだぞ!」


 詰め寄られたポメロは、まるで理解不能な言語を聞かされたかのように、きょとんと首を傾げました。


「え? 否定してないし? 僕は不快感を不快感のままお出ししただけだよ?」


「何……?」


「否定とか肯定とか、そういう余計な異物──他者からの判断を混ぜたら、それはもうピュアな不快感じゃなくなるでしょ? 僕が表現したかったのはその一点で、吐き出したかったのもその一点なんだから。難しいことは考えないで、ヤなもんはヤだって受け取ってよ」


 あははと笑うポメロの言葉に、隣で見ていたデッカがシシッと歯を剥いて笑いました。


「言うねぇ、ポメロちゃん。つまりチミにとっての今の曲は、悪酔いしたから指突っ込んでリバースしただけって認識? 俺ちゃん、チミを何か恐ろしい革命家だと思っちまうところだったわ。出し切ったらスッキリしちゃう、ただの健康優良児だったのにね」


 デッカはいつものようにニヤニヤと髪を掻き上げ、エピタフの肩をポンと叩きました。


「エピタフも、そうカリカリしなさんな。嵐にマナーを説くのが無意味なのと同じだよ、こりゃ。その辺どっすか、ドリーさん?」


 自分を差し置いて議論を始めた大人たちを、ポメロはきょとんとしたまま眺めていました。

 

 何がそんなに面白いのか。

 あるいは何がそんなに気に食わないのか。

 

 彼にとってはもう終わったことなのに。


 そこに、ドリーが恐る恐る、一歩踏み出しました。

 

 直截なドリーらしくない遠慮がちな物腰で、ポメロの表情を探るように問います。


「えーと、ボウズ。あんた、その……、どうなんだい? 昨晩のこと」


 死刑宣告にも等しい奏者としての否定を突きつけられ、絶望の淵にいたはずのポメロ。

 

 その問いに対し、ポメロは────。


「?」


 きょとん、倍プッシュ!

 おまけに小首までかしげるなんてあざとい仕草!

 もちろん天然ですが。


 ですが、そのあまりのきょとんとした無垢さに、奏鳴荘の住人たちは驚愕と共に理解したのです。


((((こいつ、挫折したことを忘れてやがる!?))))


 挫折を乗り越えたのではありません。

 

 消化したのでもありません。

 

 挫折した自分を鼓舞していたら、なんか似て非なる熱情が湧いてきたのでそっちに集中した結果、元々の葛藤を忘れちゃった。

 

 あるいは、不快感を徹底的に肯定した結果に浄化されたそれらに混じって、不快感を覚えさせる挫折感さえも浄化しちゃった。

 

 そのどっちかなのでしょう。


 ドリーは、その異質さに戦慄しながらも、同時に救われたような思いで肩をすくめました。

 

(音楽に殺されるんじゃなくて、音楽を食って、排して、生きていくのかい。全くとんでもない怪物だよ、あんたは)


 そこに、最後の住人が割り込みました。


「あ、リノ、おはよー」


 たたたたた、扉を前に屯するその背後の階段を、リノが軽快に駆け上がります。

 

 気色満面。

 

 走った勢いそのままに、ポメロの腰に抱き着いた!


 徹夜明けでふらつくポメロにはリノ程度の重さにすら耐えられず、ポメロは尻もちに軟着陸。

 

 リノのダメージは回避されました。


「ぐはっ」


 ポメロは腹とケツにダメージ甚大。でも顔には出さない。

 

 男の子だもんね。しかたないね。


「リノ、あの歌うたってくれない。シーツにくるまって寝るやつ」


 ♪―― 


 イメージはすぐにポメロを包みました。ふわふわ。ぽかぽか。


「おやすみ」


 秒で寝た。


「ZZz……」


 いびきをかいて。

 

 よだれまで垂らして。


「かーっ! そうきたか! あっち側じゃ無くてリノちゃんの枠か!」


 デッカが拍子抜けしたように、けれど愉快そうに笑い飛ばしました。


「不条理だ……計算が合わん……」


 エピタフは力なく壁に背を預け、天を仰ぎます。


「こりゃあ、アタシでは計りかねるねェ」


 ドリーは慈しむような、けれど諦めを孕んだ溜息を吐き出しました。


「あんな叫びを生み出しておきながらなんで君はそんな寝顔ができるの? だったら私は…… どうして、こんなに」


 エレクトラだけが、眠る少年の顔を凝視したまま、唇を噛み締めて立ち尽くしていました。



───── ♬ ─────



 一般的なカーネギー市民の目線でこのパフォーマンスに講評を入れてみましょう。

 

 一言で言えば、それは圧倒的なダメ出しの対象でしかありませんでした。


 それでももし、いいところ探しをするというのであるならば。


 なんだかわからんがとにかく凄い。

 

 エネルギーに圧倒された。


 そんな感想に落ち着くでしょう。


 大変残酷なお話ですけれど。

 至極当然な帰結ですけれど。


 一般的なカーネギー市民では。

 音楽に、創作に、真剣に向き合ったことがない人には。

 ポメロの凄まじさは理解できないのですから。




 この朝、一匹の怪物が産声を上げたことを、まだ街は知りません。




明日は20:00に二話投下します。

以降は一日一話、20:00に、8/17まで。





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