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トルバドーれ!  作者: 袴田八峰
第二幕「おのぼりさん、北へ」

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5/12

二席


 ポメロは、愛器を抱え直しながらゆっくりと周囲を見渡しました。

 

 隣に座るリノは、期待に胸を膨らませてわくわくしています。

 

 一方で、ドリー婆さんはまるで苦虫を噛み潰したような渋い表情を浮かべていました。


 デッカはポメロの視線に気づくと、挑発するように片眉を吊り上げて見せます。


 エレクトラは、たなびく紫煙と長い黒髪のヴェールに隠されて、その表情を読み取ることができません。


 そして、エピタフ。

 

 済ました顔をしています。子豚のくせして。

 冷ややかな目です。ヅラ被っている分際で。


(啓蒙してやる、だったか?)


 腕に触れているリノの身体がびくんと跳ねました。


(駄目だ駄目だ。リノを怯えさせるな)

 

 これから披露するのはコミックソングです。

 道化の歌、間抜けの歌。

 笑わせるのではなく、笑われるための歌です。

 苛立ちもムカつきも、この歌を濁らせる不純物でしかありません。


(整えろ、心を。流し去れ、雑念を。

 今、僕は。

 ただのうっかり者になる!)


「いっくぞー♪」


 よし、馬鹿正直に明るい声が出ました。


 ポメロは歌の世界に入り込めたことを実感しました。


(さあ笑ってくれ、みんな!)



───── ♬ ─────



 さて、大変残酷なお話ですけれど。

 さて、至極当然な帰結ですけれど。

 

 一般的なカーネギー市民の目線でこのパフォーマンスに講評を入れてみましょう。


 一言で言えば、それは圧倒的な「ダメ出し」の対象でしかありませんでした。


 まず、歌がダメです。


 発声の基礎がなっておらず、高音域では喉が締まり、声量は安定せず、ピッチは常に微かに、けれど不快なほどに外れています。


 次に、曲がダメです。


 メロディラインには独創性が欠片もなく、使い古された手垢のついたフレーズを無造作に繋ぎ合わせただけで、聴く者の耳を素通りしていきます。


 さらに、演奏がダメです。


 リズムキープは甘く、弦を弾く指先は雑で、愛器と呼ぶにはあまりに拙い、ガシャガシャとした騒音に近い音を鳴らしています。


 そして何より、歌詞がダメです。


 叙情性も風刺も皆無で、ただただ状況を説明するだけの稚拙な言葉遊びに終始しており、大人が真面目に耳を傾けるに値しません。


 それでももし、よかった探しをするのであれば。


 こんな空気の中平然と歌い続けられるのは心臓が強い。

 舞台度胸がありそうだ。


 とか。


 音楽は楽しいものなんだ。

 たとえ下手であっても本人が楽しんでいるというのなら、

 それだけで音楽をやっている甲斐があるというものだ。


 とか。


 そんな風にお茶を濁すことくらいしかできないでしょう。


 アレも足りない、コレもダメ。

 ナイナイ尽くしでしょうがない。


 プロを志す者が集まるこの街において、褒めるところが一つも見つからない、救い様のない代物でした。


「「「「「……………………」」」」」


 ドリーは手元のエールを一口すすり、そのまま視線を卓上の煮込み料理の一点に固定しました。

 

 デッカは揺らしていた貧乏ゆすりをぴたりと止め、コンガに添えた指先を動かすこともなく、虚空を見つめたまま固まっています。

 

 エレクトラはパイプを灰皿に置き、長い睫毛を伏せて自らの爪先をじっと見つめ、立ち昇る細い煙だけがその横顔を揺らしていました。

 

 食堂を包み込んだのは、圧倒的な気まずさでした。


 それは批評する以前の問題、あるいは批評する価値すらないという沈黙です。


 あまりにも気の毒すぎて、笑うことすらできません。


 あの傲慢なエピタフですら、眉間を揉んでそっと目を閉じている始末です。


 絶句という現象は、驚きや怒りからだけではなく、底知れぬ呆れからも発生するものなのだと、この場にいる誰もが初めて知ったことでしょう。


 ああ、けれど、僕らのポメロくんは。



 ♪――行かなきゃ、そこへ。今すぐに!



 そんな惨状などどこ吹く風で、実に気持ちよさそうに、楽しそうに、誇らしげに歌い続けています。


 彼の鈍感力が如何なく発揮された結果なのかというと、決してそうではありません。



 ♪――困った街は遠すぎる。お日様お空のてっぺんだ。



 ポメロは演奏が始まってからずっと、リノを見つめて歌っていたのです。


 リノだけは、ずっとにこにこしています。


 楽しそうに体を揺らして、彼の拙い音楽を聴いています。


 それは数日前の昼下がり、馬車の中でノっていた行商人の子供たちと全く同じ姿でした。



「ああ、なんてこった!」


 

 どうして魔法の域にまで達した超歌唱能力を持つリノが、これほどまでに酷いポメロのパフォーマンスを楽しめているのでしょうか。


 それもまた、残酷な事実によるものでした。


 圧倒的過ぎるリノにとって、天元突破してしまっている彼女の感覚にとって。

 

 誰のどんな歌唱であっても、巷で持て囃されている美声の持ち主でも、超絶技巧を駆使する先鋭的な歌い手でも、あるいは歌声がボエーってなっちゃう音痴でも。

 

 皆、等しく。


 同程度のものだとしか感じられないのです。



 ♪――母さん特製お弁当、持ってくるのを忘れてる! 


 

 いや、上手いとか下手とか、そういう基準すら持っていないのでしょう。


 図抜けて優れた者は、他と比較されること自体ないのですから。


 だから今、リノが楽しく聴いているのは、ポメロが楽しく弾いていて、聴衆を楽しませようとしているからに他なりません。


 その純粋な心が、リノにはダイレクトに伝わっているのですから。


 『君が楽しいから、私も楽しい』


 それはもはや、音楽の評価などという次元の話ではないのです。


 あ、曲が最後のアウトロに突入しました。


 ポメロが都合のいい夢から醒める時間がやってきます。



───── ♬ ─────



 ♪―― やった! ついに街へと到着だ! 


 ♪―― 通行料を出しなさい。

 

「そんなー!」


 ポメロはここで「わははー」とかの笑いが起こると思っていました。

 

 或いは拍手であるとか、「へー、やるじゃん」とかの肯定的な第一声が聞かれると思っていました。


 しかし、フィニッシュから5秒、10秒。

 

 リノの柔らかい両手から鳴る、しっかり音の鳴ってない拍手以外、食堂に音も動きもありませんでした。


 さらに、5秒、10秒。


 流石にこの沈黙が感動の余韻に浸っているからではないことぐらい、ポメロも気づきました。


 すぐ脇から発生しているぽかぽかする雰囲気が大きすぎて今の今まで気づきませんでしたが、食堂の空気感は冷え切っていました。


「あ、あの……」


 さらに、5秒、10秒。


「……以上です」


 さらに、5秒、10秒。


「あ、いけない。そろそろ出勤の時間だわ」


 最初に動きを見せたエレクトラに、すぐさま追従したのはエピタフでした。


「ぼ、僕も日課のソルフェージュを済ませていないからな。部屋に戻らせてもらおう。煮込み、おいしかったですよ、マエストラ・ドリー」


「あ、バカお前エピタフ。批評論評はおめーの仕事だろが!」


 逃がさんぞとばかりに掴みかかろうとするデッカ様の腕をするりとかわし、エピタフは階段を一段飛ばしで登って行きました。


 エレクトラも当然姿を消しています。紫煙を残して。


「さて、アタシも洗い物をしようかね。よっこらしょ」


「ちょ、みんな俺ちゃんに貧乏くじ引かせる気かよ、待てよ婆さん、あんたとリノが拾った子だろ? ちゃんと最後まで面倒見ろよ」


 押し付け合いでした。

 

 みんな分かっているのです。

 

 『おのぼりさん、北へ』の感想を述べるということは、すなわち田舎から夢と希望一杯詰め込んでここまで来た純朴そうな少年に死刑宣告を下すことに他ならないと。


 そんな辛い役目、誰もやりたくないに決まっています。


「僕の……」


 ポメロがかすれた声で言いました。


 誰にも目線を合わせることなく、暖炉の火を見つめて。

 

 今日、今の今まで、対話する全ての相手に対して目を見て話していたポメロでしたが、今の彼にはそれが出来ませんでした。


 恐ろしくて。


「僕の歌のどこが、マズかったんですかね?」


 また、5秒、10秒。


 腹を括ったドリー婆さんが食器を回収する手を止めます。


 そして返答しました。

 

 演奏の折、平均的なカーネギー市民の目線だとして講評したこと。

 

 それを短い一言に括って。


「全部さ」


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