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トルバドーれ!  作者: 袴田八峰
第二幕「おのぼりさん、北へ」

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4/12

一席


 奏鳴荘の食堂には、安エールと大皿の煮込み料理、それから年季の入ったテーブルが放つ微かな木の匂いが充満しています。


 春の底冷えを警戒してか暖炉は赤々と燃え、ドリーさんの火掻き棒は今のところ正しく運用されています。


 寮母は母親、同宿は兄弟。


 ここに集っているのは先輩住人の全て。


 ドリーさんの心得を受け入れた者ばかりなのです。


「新たな弟の入寮を祝して!」


「「「「「かんぱーい!!」」」」」


 大家のドリーさんが音頭を取り、不揃いなグラスが打ち鳴らされました。


 ポメロがふと横を見ると、そこには昼間に見たあの毛布巻き姿から、簡素ながら清潔な寝間着に着替えたリノがちょこんと座っていました。


「あら、リノ。そこはあなたの定位置じゃなかったわよね?」


 エンジ色の芋ジャージのような丈長ネグリジェに身を包むも、なお妖艶さを隠しきれない美女。

 

 細長いパイプを唇に寄せ、紫煙をゆったりと燻らせながらふふりと微笑みました。


 彼女の名はエレクトラ。

 ポメロのはす向かいの部屋の住人です。


「本来なら君の席はマエストラ・ドリーの隣、あるいは窓際のはずだが」


 隣で難しそうな楽譜を広げていた小柄で小太りの少年が、眼鏡に拡大された大きくて真っ黒な目をリノに向けます。


 彼の名はエピタフ。

 ポメロのお向かいさんです。


「君はなにを以て僕の座席を占拠しているのか。理論立てて説明して欲しい」


 当のリノは、なぜそんなことを聞かれるのか分からないといった様子で、首を傾げてきょとんとしています。

 

 こねこは気まぐれ。

 

 そんなこともわからないのかと。


「バッカお前エピタフお前。その年齢になっても男女の機微が分からないなんて、お前ほんとエピタフだわ!」


 その様子を見て、派手なシャツのボタンを大きく開けた細身の男が、鼻の脇の黒子を人差し指で擦りながらへらへら笑い飛ばしました。


 彼の名はデッカ。

 ポメロのお隣さんです。


 この三人の下宿人に、寮母ドリーと孫娘リノを含めた五人が、奏鳴荘の先輩住人です。


「婆さん、このままじゃ今晩あたり孫娘を寝取られちまうぜ! しっかり部屋の鍵をかけて寝ないとな!」


「うるさいねえ。リノは危険なものには近寄らないのさ。あの子があそこを選んだんなら、あの子にとって心地いい場所ってことなんだろ」


 ドリーが不機嫌そうに、けれどどこか誇らしげに鼻を鳴らしました。


「ふふっ。だからデッカの横には座ったことがないのね」


「おっと、エレクトラさん。俺ちゃんをそんな風に言うのは心外だなぁ。マジ傷つくっつーの。シシッ!」


 エレクトラがさらりと追撃を加え、食堂はドッと笑いに包まれました。

 

 デッカは肩をすくめて、調子よくパンを口に放り込みます。


「へいへい。じゃ、自己紹介でもすっか、右回りで。新人クンは最後な。婆さんとリノちゃんは省略でヨロ!」


「あら、手慣れた仕切りね」


「俺ちゃん、合コンで鍛えたんだよ!」


 まず立ち上がったのはデッカでした。


 日焼けした肌にいくつものミサンガを巻き付け、派手なアロハシャツのようなシャツの襟元をこれでもかと開いた彼は、まるで南国の午後の風をそのまま持ち込んだような軽薄さを漂わせています。


 細い指先は常に何らかのリズムを刻むように小刻みに震え、落ち着きのないその挙動が、彼という男の刹那的な生き様を象徴しているようでした。


「俺ちゃんはデッカ! 見ての通りのパーカッショニスト。叩けるもんなら石ころでも小皿でも叩けちゃうぜ? 音楽なんてのは、その場の空気をアゲて、キレーな姉ちゃんと仲良くなるためのツールでしかねぇのよ、俺ちゃん的には。難しい理屈はエピタフにでも任せて、俺たちゃ今夜を楽しもうぜ!」


 彼はへらへらと笑いながら、ベルトに固定した小型のミニコンガを軽く叩きました。

 

 その仕草は軽薄そのものですが、リズムには妙にノリの良いグルーヴ感を感じさせます。


 続いて、エレクトラが立ち上がりました。


 漆黒の腰まであるストレートロングは、食堂のランプの光を吸い込んで艶やかに光っています。

 

 片目を隠した髪の隙間から覗く肌は透き通るように白く、室内着では隠し切れない細い肩先と豊かな胸の曲線が、大人の色気を物語っていました。

 

 彼女がパイプを揺らすたび、誘惑されるような芳香が漂います。


「エレクトラよ。ナイトクラブでシャンソンを歌っているわ。生活時間が合わないからあまり話す機会もないだろうけど、よろしくね」


 上辺の微笑を湛えた彼女の瞳には、どこかアンニュイな、温度を感じられない色が混じっていました。


 最後に、エピタフが音を立てずに立ち上がりました。


 身に纏っているのは室内着にしては堅苦しさを感じずにはいられないウェストコート。

 

 頭に被るアロンジュ・ペリュックは、室内用の簡易植毛品。

 

 緩やかに直立不動の姿勢を取った彼は、典雅なボウアンドスクレープにて挨拶。

 

 コミカルな体型をしていながらも、それは洗練を感じさせる仕草でした。


「僕の名はエピタフ。伝統派の養成所の特待生だ。クラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテを専攻している」


「なんて?」


「クラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテ」


「わんもあ」


「クラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテ。……貴様の頼りなげな知識では話が進まんから僕が折れてやるが、まあ、俗にピアノと呼ばれている楽器だ。これならわかるな?」


「バカにしないでほしい」


「おっと、知識の無さをあげつらうのは【伝統派しぐさ】的には見苦しい行いだったな。すまんなポメロ。僕の無礼を許してほしい」


 エピタフは、四角い顔を傲慢に歪め、上から目線の施しをポメロに投げ渡しました。


「お詫びに啓蒙してやろう。音楽の常識と正解について」


 啓蒙してやる、という傲慢な親切心に、食堂の空気にピリピリとしたヤな緊張感が走ります。

 

 それを崩すのは仕切り役のこの男です。


「ヨシッ! いつメンの紹介も終わったところで、今日の真打の登場だァ! 新人クン、Go!」


 デッカの軽い掛け声に、ポメロは隣に座るリノを盗み見ました。

 

 彼女の顔に怯えの色が出ていないことを確かめると、ポメロは元気よく立ち上がりました。


「はい! 今日からお世話になります、ポメロです! 出身は遠い東の田舎村なんですけど、トルバドールとして一旗揚げるためにこの都にやってきました。僕の武器はこのボロボロのギターと、地元のみんなが最高に盛り上がってくれた僕の歌です! マナーとか知識とかはまだ全然ないんですけど、やる気と熱情だけは誰にも負けません。よろしくお願いします!」


 赤みの強い茶色の髪をロブスターのように編み込んだ「エビ髪」を揺らし、ポメロはまあるい眼をきょろきょろと動かしながら、屈託のない笑顔を振り撒きました。


「それで、ですね」


 ポメロは少しだけ間をおいて、不敵な光を宿した瞳でエピタフを見据えながら続けました。


「せっかくこんな歓迎会をひらいていただいたわけですし、みなさんも僕の歌や曲がどんなものかって気になってると思うんですよ。ですからね」


 愛器を手に取り、ネックの弦をひと撫でします。


 ――きゅるん。


「楽しんで下さい。旅路で生み出したばかりの新曲。『おのぼりさん、北へ』。」


 ぱちり。

 

 暖炉の薪が小さく爆ぜました。



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