二席
「やーポメロちゃん、夕食すっごくマズかったな!」
「何が俺ちゃんイチ押しの店ですか。まあ奢って貰ったんで文句は言いませんけど。次誘われてもついてかないですよ!」
「……と、おもーじゃん?」
「痛切に」
「と、こ、ろ、が! いずれポメロちゃんはこのマスターに感謝することになるんだなあ。あ、これ予言な!」
実はこの店の不味いハーブサラダは、夜の活動に備えた口臭ケアと精力増強のための戦略的栄養補給。純真なポメロは、デッカの不埒な配慮に気づく由もありませんでした。
ハレンチですね。お友達にはいて欲しくありません。
デッカが歩く方向はさっきまでいた十四番舞台。日中はあれほど雑然としていた十四番舞台ですが、18時に閉められた後は明かりが落ち、人も熱気も引いていました。閑散。寂寞。
「【夜の十四番舞台】って……どう見ても閉まってますよねこれ?」
「あ、勘違いしちゃった? ごめーんち♪ 夜の十四番舞台ってのは俗称なんだよ。昼は音楽のマッチング、それから夜は……」
十四番舞台の裏手、町を横断する人工河川。観光用に小舟を浮かべているその水面は、夜の帳を映して深々と広く、街の喧騒を吸い込むように静まり返っていました。
そこにかかる石造りの橋。橋脚毎に街灯が灯るがどれも淡い色合いで、幻想的な風情。
その橋の上には、賑わうというほどでもない数の女性たちが、欄干に身を預けるようにして思い思いの姿でくつろいでいました。橋の左右にそれぞれ一列。
彼女たちの纏う衣装は、夜風に泳ぐ薄衣であったり、あるいは夜の闇に溶け込むような深い色調であったり。
煙草を燻らす者、小声で囁き交わす者、あるいはただ遠くを見つめる者。そのどれもが、どこか浮世離れした艶やかさを湛え、淡い光の中に浮かび上がっていたのです。
「ようこそポメロちゃん。ここが夜の14番舞台だ」
そう。直近にある地理的関連と、望むもの同士をマッチングするという目的的関連。
つまり、ここは──「一夜の夢を求める男女の出会いの場」。なるほど遊び人のデッカらしい主戦場です。
「橋の上に佇む女性たちはみーんな待ってんの」
デッカは声を潜め、獲物を狙う猟師のような鋭い、それでいて愉悦に満ちた瞳で橋の列を見渡しました。
「何を、ですか……?」
「野暮なこと聞きなさんな。音楽の都における出会いってのは、いつだって音楽から始まるのさ。あのお姉様方はね、自分を酔わせてくれる、とっておきの旋律を待ってる……【歌待ち女子】なのさ」
ごくり。企まずしてポメロの喉が鳴ります。口が渇きます。酸素が足りません。
ポメロの肩を強引に抱き込んだデッカは、夜のマスター然とした態度で橋の真ん中を歩きながら、耳を真っ赤にしているポメロにインストラクションを施します。
「こんな危うい場所だからこそ、不文律は大事だ。いいか、よく聞け。まず歌以外の求愛は禁止だ」
「歌で……求愛?」
「ああ。あっちを見てみろ」
デッカが指差す先。そこには一人の女性の前で膝をつき、高らかに彼女の麗しさを歌い上げる男の姿がありました。対する女性は、捧げられた情熱的なテノールをBGMに、悠然と携帯用化粧品を広げてファンデーションをパタパタと叩いています。
そういうのどうかと思いますけどね。同じ女として。
「ありゃあ脈なしだな。ご愁傷様。だがあの場に割って入ってはいけない。男が歌い終えるか、女が頭を下げるか。そうしないと次の求愛はかなわない。あ、順番待ちはOKな。それもまたここの不文律」
「でも、僕でもわかりますけど、あの女性、全く求愛を受ける気ないですよね? なんで頭を下げないんですか?」
「そりゃあポメロちゃん。あの女は「歌を捧げられてる自分が気持ちいい」からさ。愛を捧げられてるシチュエーションに酔いたい女は結構いる。いくらでもいる。そういう地雷を見分けるのもまた、マッチングを成功させる秘訣な」
緊張と興奮で落ち着かないポメロがふと足を止めました。右手にいる女性が目に留まり、思わず立ち止まって見つめてしまいました。しかしデッカは足を止めず、ポメロにもそれを促します。
(あれ、あの女の人、どこかで……)
「男は橋の真ん中を歩き、求愛する時以外は立ち止まってはならない。女は橋の両端に立ち、橋に入る時と出る時以外は動いてはならない。と、こんなモンかね。あとは金銭の授受は禁止な。ここはあくまで出会いの場なんだから、無粋な奴はお呼びじゃねーのよ」
橋を渡り終えたポメロは、湿り気を帯びた夜風を肺の奥まで吸い込みました。極彩色の衣装と吐息、淡い街灯が混ざり合う非日常の光景に当てられ、視界の端が白く霞み、頭は熱を持ったままぼーっと痺れています。
「凄い体験でした。ありがとう……デッカ先輩」
「先輩? 悪くねー言葉の響きだな。だがなポメロ後輩。なんでもう終わった気でいるんだ?」
「あ、そっか。帰るには橋を戻らなくちゃ──」
「ばっか違うよ後輩。お勉強の時間が終わったんなら……次は実践の時間だろ?」
デッカお前さあ、どう考えてもこの子にゃまだ早いだろうに。
「実践……!? でもでもだって!」
ポメロの喉まで出かかった言葉は情けなく震えていました。
こんなハレンチな場所に、純情を絵に描いたような山出しの田舎者が放り込まれたのです。人前で愛を歌う恥ずかしさに足がすくみ、尻込みする心拍音が耳元でうるさく鳴り響いていました。
そうだ思い留まれポメロ。
君はもっとゆっくり情緒を育んでゆくべきだと、おねえさんは思うよ。
「男ならだれもがいずれ通る道! それとも後輩ちゃんはアレでちゅかー? 初舞台が怖いからってぽんぽん痛くなっちゃう口でちゅかー?」
「やってやらあ!」
そこ煽りに乗らなくてもいいトコ!
デッカの露骨な挑発が、ポメロの中に眠る山育ちの意地に火をつけました。赤らんでいた頬が、今は憤怒と高揚で熱く染まっています。
デッカはシシッと笑うと、ポメロの背中を、腰のミニコンガを鳴らすかのように、ツッタカラタタ、と押しました。
「さあ行け、後輩。俺ちゃんはお前の後ろで見守っててやるよ。もし誰にも歌を捧げることなく橋を渡りきっちまったら……お前の今夜の評価は、文句なしの零点だな!」
押し出されたポメロは、よろよろと再び石の橋へと足を踏み入れました。
往路とは違う、たった一人の復路。橋の真ん中を進むポメロの視線の先には、先ほどと同じ場所、同じ姿勢で、冷ややかに夜風を浴びて俯いているあの女性の姿がありました。
ポメロの記憶のどこかに引っかかった女性。
彼女はポメロの影が自分に差して、それが動かない事に気づいて。
ゆっくりと顔を上げました。




