悪役令嬢が断罪(死ぬ)前に叶えたい三つのこと
『フィルミーヌ! 貴様には死罪こそが相応しい!!』
意識が緩やかに浮上する。ゆっくりと瞬きを繰り返し、フィルミーヌは温かなベッドの中でぼんやりと天蓋を眺める。見慣れた天蓋の布地は公爵家の彼女のベッドのものだ。
緩慢な動作で起き上がった彼女は、そっと首に触れた。当たり前だが繋がっていることを確認し、そっと息を吐く。
(また戻ったのね)
先ほどまで処刑台の上にいた。
集まった民衆の罵倒を聞きながら、ギロチン台の上に上り――首を落とされたのだ。
フィルミーヌは特定の時間を何度も巻き戻っている。
ギロチン台で処刑された直後に、意識だけが一週間前に戻るのだ。
彼女は冤罪によって命を落とした。そして、彼女に冤罪を擦り付けるのはこの国の王太子であり、婚約者でもあるジョエル・バンシェトリ。
彼は他に愛する女性を作り、邪魔になったフィルミーユを悪女として断罪し、様々な罪を擦り付けたうえで処刑台に送る。
(なにをしても、わたくしに掛けられた冤罪は晴れない)
すでに巻き戻しは二桁を超える。
やり直しが十回を超えて、フィルミーヌの心はぽっきりと折れてしまった。
父も母もフィルミーヌを助けてはくれない。誰に無罪を訴えても、彼女の味方にはなってくれない。
――たった一人、幼馴染を除いては。
(でも、彼を巻き込めない)
フィルミーヌの幼馴染、彼女の世話をした乳母の息子であり乳兄妹のエバン・ペリシエだけが、唯一の味方だ。
初めての巻き戻りの時に彼を味方につけ、守ってもらおうとしたこともある。
だが、フィルミーヌを守るために悲惨な死を迎えた彼を見て以来、あえて遠ざけ続けた。
「死ぬ前に……叶えたいこと……」
断罪も処刑も、何をしても覆らないのであれば。
残された一週間を使って、未練をなくそう。
そうしたら――この残酷な巻き戻りも、終わるかもしれないから。
一つ目に叶えたいこと。
それはよく慰問に訪れた孤児院の子供たちに未来を示すことだ。
彼らはなんらかの理由で親がいない。流行り病で死んだ、あるいは捨てられた。
最初から両親の顔を知らない子供もいる。
フィルミーヌが慰問に訪れるたびに、無邪気に懐いてくれる子供たちに明るい未来を残してあげたかった。
だからまず、たくさんのお金を寄付した。彼女に用意できるありったけのお金を信頼できるシスターに託す。
戸惑うシスターに「これが最後の寄付になります。少しずつ計画的に使ってください」と念を押した。
どういう意味ですか、と問いかけるシスターに綺麗に微笑んで誤魔化す。理由は伝えられないから。
最後に子供たちに絵本を読んで、簡単な勉強を教えてあげた。
さようなら、と手を振った彼女に無邪気に手を振り返す子供たち。心が少しだけ軽くなった。
二つ目に叶えたいこと。
それは、お腹いっぱいケーキやお菓子を食べることだ。
体型の管理を気にせず、たくさん美味しいものを食べたかった。
シェフに無理をいってホールのケーキを焼いてもらい、テーブルいっぱいにお菓子を並べた。
いつもなら、体型が崩れることを気にして一口二口しか食べられないけれど、その日ばかりはお腹いっぱい食べた。
気持ち悪くなるくらいケーキとお菓子を食べて満足するフィルミーヌにメイドたちは驚いていたけれど「たまにはこんな日があってもよくないかしら?」と笑うと、そうですね、と頷いてくれた。
三つ目に叶えたいこと。
それは、――本当に愛している人に、気持ちを伝えること。
フィルミーヌは公爵令嬢だ。彼女の結婚は義務であり、婚約には政治が付きまとう。
王太子であるジョエルとの婚約も、王家と公爵家の様々な思惑が絡んでいる。
今まで、あえて意識しないようにしていたし、意識したところでどうにもならないと知っていた。
昔から諦めだけはよかったから、本当に好きな人に気持ちを伝えたこともない。
彼女が思いを寄せているのは、兄のように慕っているエバンだ。
彼は乳母の息子で、地位としては辛うじて貴族に引っかかる程度。
身分の差が邪魔をしたし、なにより巻き戻りの最初に一度だけ助けを求めて無残に殺された姿を見て以来、ずっと距離を置いていた。
でも、今回は。助けてとは言わない代わりに、愛を伝えようと思った。
エバンは十回に及ぶ巻き戻りの中で、唯一彼女の処刑に常に異議を唱えてくれた。
フィルミーヌを守ろうと奮闘してくれた。
巻き戻りが始まる前は、ただ兄のように慕っていたけれど――そうやって彼女を守ろうと奔走してくれる姿に、恋に落ちた。
(エバンは本当にすごいの)
騎士になって厳しい訓練を積んだ。騎士団でも信頼されていると聞く。
彼を慕いながらも、思いを伝えるつもりはなかった。
でも、どうせ死んでしまうなら、一度くらい死ぬ前にこの気持ちを口にしても許される気がしたのだ。
想いを伝えるのは、断罪される前日にした。
断罪まで日数が残っていると、生真面目な彼を困らせてしまうかもしれないから。
後がない状況のほうがフィルミーヌ自身も諦められる気がしたから。
断罪前日の夜、エバンを公爵家の庭園に呼び出した。
月明りと魔法灯が淡く照らし出す幻想的な庭園で、彼女は不思議そうな顔をして呼び出しに応じたエバンに笑いかける。
「エバン、きてくれてありがとう」
「いいえ。お嬢様のお呼び出しですから」
爽やかに笑うエバンに、彼女もまた小さく微笑む。夜空を見上げる。
きらきらと輝く星たちを眺めながら、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「エバン、何も言わずに聞いてほしいの」
「はい」
「わたくし――貴方のことを、慕っているわ」
「っ」
息を飲む音がやけに大きく聞こえる。
静まり返った庭園で、彼女の言いつけ通り沈黙を保つエバンに感謝する。
「明日、わたくしは酷く理不尽な目に合うけれど。王太子殿下にたてついてはいけないわ」
「どういう、意味ですか……!」
震える声で問いかけられる。彼女は星々から視線を逸らし、まっすぐにエバンを見た。
こわばった表情をしている彼に、優しく笑む。
「わたくし、明日断罪されてしまうの」
「!」
目を見開いたエバンが、強く拳を握ったのが伝わってきた。
歯を噛みしめている彼の頬に手を伸ばす。そうっと触れると、少しだけフィルミーヌより体温の低いエバンの温度が指先に触れる。
彼に触れるのはいつ以来なのか。幼い頃は兄妹のようだったのに、ずいぶんと距離が広がってしまった。
「俺が守ります!! だから……っ!」
(貴方はいつだってわたくしの味方なのね)
頬に触れたフィルミーヌの指先を冷たい手が握る。彼の言葉はなによりも嬉しい。
けれど、甘えられない。ジョエルは執念深い。
たとえ今逃げたとしても、地の果てまで追っ手を差し向けてくるだろう。
「ありがとう、エバン。気持ちだけで十分よ」
「お嬢様っ!」
「わたくしが死んだあと、どうか幸せになってね」
穏やかに微笑むと、エバンは絶句した様子で目を見開く。
そっと彼が掴んだ手を抜き出して、背を向ける。部屋に戻ろうと歩き出しても、止められることはない。
(未練しかないけれど、これでよかったの)
寂しい気持ちを抱えて、そっと視線を伏せる。これが正解かはわからない。
未練の一つが消えたはずなのに――無性に、寂しくて仕方なかった。
断罪当日。煌びやかなドレスに袖を通したフィルミーヌは王妃主催の夜会に足を運んだ。
ジョエルからエスコートは事前に断られている。それは特別気にしていないが、朝からエバンの姿が見えないことは気がかりだった。
騎士団の仕事に駆り出されているのならいいけれど、いつもこの日は朝見送りをしてくれるのに。
最後に彼の顔が見れなかったことが、少しだけ残念だ。
夜会も中盤に差し掛かった頃、ジョエルが男爵令嬢のユラニーをつれて姿を見せた。
(いよいよだわ)
こくりとつばを飲み込んで、表向き優雅な笑みを浮かべる。
諦観が心にあったけれど、それを今見せてはいけない。
足音高く彼女の傍に近づいてきたジョエルは、少しの距離を置いて王太子にあるまじき大声を上げる。
「フィルミーヌ・エスクラサン! 貴様のような悪女は王太子妃として相応しくない!! よって、婚約を破棄する!!」
(いつも通りの展開だわ)
すでに十回は聞いた言葉だ。動揺はない。
表情を変えることなく落ち着いているフィルミーヌにジョエルが苛立ちをあらわにする。
「聞いているのか! フィルミーヌ!!」
彼女は諦めきった表情で「ええ」と頷いた。
ここでどう反論しても、なにを口にしても、どんなに否定しても。
決して事態は好転しないと知っている。
「貴様は私の名を笠に着て、悪行の限りを尽くした! 王家の税収の横領、王家の管理する宝物庫からの窃盗、公爵領での立場が下の者たちへの理不尽な要求、さらには私が愛するユラニーへの陰湿な嫌がらせも含まれている!」
(どれもこれも濡れ衣なのに。誰も信じてはくれない)
王家の税収の横領も宝物庫への侵入も公爵令嬢のフィルミーヌにできるわけがないし、公爵家の領地には長く訪れていない。
そもそも、立場が低い者にも分け隔てなく接してきたつもりだったし、なによりジョエルが目をかけているユラニー男爵令嬢に嫌がらせなどしていない。
あえていうなら、婚約者のいる男性に近づくのは控えたほうがいい、と苦言を呈した程度だ。
その程度の注意が『陰湿な嫌がらせ』にあたると思われるのなら、もう何を言っても無駄である。
最初に巻き戻りが始まった直後こそ、自身の無罪を証明しようと奔走したが、なにをしたって最終的に処刑台送りになる。
巻き戻りの回数が二桁を超えて、とうとうフィルミーヌは諦めてしまった。心が折れたともいえる。
だから、笑みだけを浮かべてにこにこと笑う。
最後に残された公爵令嬢としての矜持と厳しい王太子妃教育で培った仮面を被る。
「どう贖うつもりだ!」
隣にユラニーを侍らせて、ジョエルがフィルミーヌを弾劾する。
すっかり諦観を抱いている彼女は、笑みを浮かべたまま口を開こうとして。
その瞬間、先ほどのジョエルの大声を上回る大きな声が、場に発せられた。
「その断罪、お待ちください!!」
「エバン……?」
声に聞き覚えがありすぎて、驚いて彼女は振り返った。
視線の先には騎士団の礼服を身に纏ったエバンがいて、彼は人ごみの中を堂々と歩いてくる。
「なんだお前は! この場は貴族のための夜会だぞ!!」
「そうですね。公爵令嬢を断罪する場ではありません」
苛立ったジョエルの言葉に臆することもなく、正面から言い返したエバンはフィルミーヌをを守るように、二人の間に立ちふさがる。
「先ほどの言いがかりについて、反論があります」
「言いがかりだと……?!」
「言いがかりでしょう。王家の税収と宝物庫に手を付けていたのは、貴方と隣にいるユラニー令嬢だ」
きっぱりと断言したエバンの言葉に、周囲の貴族たちがざわつく。今まで黙って成り行きを見守っていた貴族たちがひそひそと交わす会話が耳朶に届く。
「なにを証拠に!」
「酷いです。私、何もしていないのに」
激昂するジョエルとしくしくと泣き始めたユラニーに、エバンは手にしていた書状を広げ読み上げる。
「王家の税収に関して、横流しがされています。陛下の元に書類が回る前に数字を改ざんできるのは、王太子である貴方だけだ。そして、王家の宝物庫が荒らされている件について、騎士団長が自ら調査をされていまいた。宝物庫へ踏み入ることが許されるのは王族のみ。そして、宝物庫に収められていたはずのネックレスを今身に着けているのは、ユラニー令嬢。貴女だ」
「っ!」
咄嗟に首元を抑えたユラニーにフィルミーヌは目を細めた。
それは彼女がいつも処刑される際に擦り付けられる罪の一つ。
「盗み出されたのはネックレスだけではなく、宝石も含まれます。いまユラニー令嬢が身に着けている指輪は宝物庫から盗まれた宝石を砕いて作られたものです」
「なにを根拠に!!」
「王太子殿下が雇った宝石職人が自白しております。自責の念に駆られたとか」
「!」
目を見開いたジョエルの反応に、フィルミーヌは視線を伏せる。その罪状にも覚えがある。いつも彼女を追い詰める罪の一つだ。
「公爵領でフィルミーヌ様が虐げたとされる領民ですが、彼らはこう証言している。『暴言を吐いたのはフィルミーヌ様のふりをした別人だった』と」
「そんなことがあるわけが……!」
「領民は貴方方が思っているよりよく相手を見ています。染められた髪、いつもと違う口調と声音。なによりその方は――ずいぶんと貧相な胸をされていたそうで」
「っ」
今度は控えめな胸元を抑えるユラニー様にフィルミーヌはそっと息を吐いた。
どうやって調べたのかわからないが、エバンのおかげで冤罪は晴れつつある。
「この罪『どう贖うつもり』ですか」
先ほどジョエルが口にしたそのままを繰り返したエバンの声音には怒りが滲んでいる。
フィルミーヌが口を開こうとした瞬間、彼の部下である騎士たちが一斉になだれ込んできた。
「捕らえろ! 陛下に背く不届きものたちだ!!」
「貴様ら! 私を誰だと思っている!」
「陛下には奏上済みです。貴方方を捕らえる許可は出ています」
淡々と告げるエバンの言葉に、ジョエルが目を見開き震えている。
彼の左右を騎士団長と副騎士団長が囲む。
「なんだと?!」
「やめて! 触らないで!! 私のアクセサリーよ!!」
他の騎士団の面々に取り押さえられたユラニーの欲に濡れた言葉に周囲がさらにざわめいた。
二人は喚き声をあげながらも、力で勝てるはずもなく連行されていく。
残されたフィルミーヌは過去十回に遡っても一度もありえなかったイレギュラーに心が追い付かない。
「エバン……」
「場所を変えましょう。ここは人が多いですから」
先ほどまでの剣幕はどこにいったのか。穏やかに笑ったエバンの言葉に、一つ頷く。
確かに、巻き戻りは周囲に聞かせられない話題だ。
王宮の応接室に場所を移し、ソファに座ったフィルミーヌは改めてエバンに問いかけた。
「エバン、どうやったの。先ほどの内容はまるで」
わたくしがかけられる冤罪を知っているようだった。
後半の言葉を飲み込んで、フィルミーヌが尋ねるとエバンはガリガリと粗雑な仕草で頭を掻く。
「情けない話をします。――貴女に告白された瞬間、俺も色々と思い出しました」
「!」
息を飲んだフィルミーヌに眉を寄せて弱り切った表情でエバンが膝をつく。
「貴女が処刑された回数を考えれば、遅すぎる。いつだって俺は間に合わなかった。だからこそ、今回こそと、駆け回ったんです」
頭が可笑しいと思われるのを承知で騎士団長に全てを打ち明け、協力を仰ぎ、証拠を集めた。
元々ジョエルの行動を不審に思っていた騎士団長は、驚きながらも味方として動いてくれた。
そう告げられて、フィルミーヌは目じりに涙をためた。いつだって一人で断罪されて処刑場に送られたけれど。
彼女が頼れば動いてくれる人がいたのかもしれない、と今更思ったのだ。
「俺はずっと――貴女を救いたかった」
いつだってフィルミーヌが死んでからすべてを思い出して、自己嫌悪で死にたくなった。
そう告白されて、胸に熱いものがこみ上げる。
胸の前で手を握ったフィルミーヌにエバンが優しく笑う。
「これが、俺が夢見た未来だ。ヒーローとして、貴方を助ける」
とうとうこらえきれなくなってフィルミーヌは泣き崩れた。
しゃくりあげる彼女の手を握って、エバンが続ける。
「幼い頃から貴女が好きでした」
知らなかった。考えたこともなかった。フィルミーユが零れ落ちる涙で滲む視界でエバンをみると、彼はどこまでも穏やかに笑っている。
「でも、貴女は公爵令嬢で、俺は貴族とはいえ平民も同然だったから」
彼の生まれた家はかろうじて貴族だが、生活は平民と変わらなかったと聞いている。
知っていたことだ。けれど、エバンがそれを負い目に感じていたことは知らなかった。
「貴女に相応しくなろうと努力していたけれど、婚約が決まる方が早くて」
本当は、相応しい男になって告白したかった。後悔の滲む声で告げられて、胸が詰まる。
これだけの想いを向けてもらっていたなんて、本当に知らなかったから。
「でも、やっと。――これで、貴女は俺のものだ」
はらはらと涙を流すフィルミーヌの目元をエバンが拭う。化粧が崩れてしまう、と思っても、涙が止まらない。
嬉しくて涙を流すのは、いつ以来なのか。
もう巻き戻りを始める前の記憶はずいぶんとあいまいだ。
けれど。
(未来が、ある)
いまのフィルミーヌには、きっと『明日』がある。
それが嬉しくて。なにより、エバンと両想いだとわかったのが幸福で。
フィルミーヌは涙を流しながら、笑み崩れた。
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