第二話:騎士と焼いただけの肉 ①退役騎士の静かな日常
まだ人によっては夜。
そんな夜と朝の継ぎ目、いつも通り目を覚ました彼女は、そのままいつも通りを遂行する。
水を飲み、軽い柔軟から始め、鍛錬に以降。
自重を用いた鍛錬の後は、これもいつも通り素振り。
こうして早朝にも関わらず素振りが気兼ねなくできる小さな庭があり、
騎士団の詰め所にも近いため即決で購入した自宅。
「いや、見栄えもありますから豪邸に引っ越しましょうよ!」
自宅について思いを馳せていると、昔、部下たちに言われたことを思い出す。
(ふっ、まったく集中できていないわね。現役を退くとこんな程度かしらね)
ヘレナ・カーティスは自嘲の笑みを心の中で浮かべるが表情には出ない。
遠目でもわかる鍛えられた体躯。しかし無駄な肉が一切ない美術品のような身体と短く揃えられた髪型がその人となりを表しているようであった。
(まぁ、でも習慣でやっているだけで、もう必要がないのかも…)
などと考えていると、
「あらヘレナさん!今日も性がでますね!おはようございます!」
といつも夫婦で散歩している顔なじみのご近所さんに声を掛けられる。
「ええ。習慣になってしまっていて。」
「さすが最強の騎士さま。若さと健康の秘訣ですね」
といつも通りの会話をして去っていった。
(そう。確かに健康的ではあるわよね)
と心中で独り言ち、日課の継続理由を言い聞かせ自らを納得させる。
自身の年齢を気にしたことはないが、実家の両親がすっかり老いていることから鑑みると自分もいい歳であるのだろうと思う。健康であるために運動は必要である。
ヘレナ・カーティスは貧しい家柄の出身、
かつ女性でありながら異例の出世を遂げた騎士であった。
騎士団に入団した理由は口減らしと出稼ぎが目的であった。
家柄も性別も、彼女にとって有利に働くことは何一つなかった。
彼女にとって救いだったのは贅沢を知らないが故に生活のすべてを騎士道の研鑽に捧げられる精神性を持ち、なおかつ一般的な男性よりよほど屈強な肉体が、その常軌を逸した生活に適応できたことであった。
結果として歴代最強と称される実力と、ストイックな生活に裏付けされた端正な容姿とその所作の美しさから絶大な人気を有してしまった。
やがて当然の帰結として団長へと推薦される。いや、されてしまった。
ヘレナは自らが狂気的であることをわきまえている。
隊員たちとの数々の交流から、まざまざ見せつけられ、知らされてしまったと言った方が正しい。
それでも彼女にとって、無駄なことは贅沢であり不要なこと。
必要でないことを省く姿勢を変えることはできなかった。
もうどれくらい同じ物を食べているかもわからないが、そのおかげで無意識に用意できてしまう朝食を口に運ぶ。心には目の前にある硬いパンと干し肉と白湯は映っておらず、退団からこの3か月で送られてきた手紙の山に手を伸ばす。
元部下たちからの挨拶、これらに関しては「返事をしないから挨拶状は不要」だと伝えてあるため放置で差し支えないだろう。
商会や道場からの勧誘の手紙、これも放置。
1通の手紙に手が止まる。
差出人はライエル・ベール、現騎士団長であり、研鑽を共にした親友である。
要件は「騎士団剣術指南役への推挙。無回答の場合は了承と受け取ります。」とのこと。
回答期日まで1週間ほどに迫っていた。
後回しにしていたわけではない。
早期の回答、もちろん拒否するのだが、それに意味がないことを理解しているからだ。
ライエルの手口を考えると、
「まぁまぁ期日までまだあるじゃない、あせらず考えてよ。」
と煙に巻かれ、のらりくらりされるだけであることは明白だ。
もちろん手紙での回答も最適解ではない。
「あれぇ?返事の手紙なんてなかったよぉ。受けてくれると信じてたよ!」
こうなることも明白だ。
つまり時期を見計らって直接出向いて断る、これが最適である。
その時期がそろそろでは…ある。
ふと腰が重くなっていることに気づき、やるべきことに対して億劫な気持ちを覚えてしまうことに驚きを感じる。
(退役したとはいえ、まったく怠惰だわ。)
すっかりぬるくなった白湯を飲み干し、器を洗い、出発の準備に移行する。
わずか数か月ぶりであるが、奇妙に懐かしく感じた。
遠征など長期で空けることも多かったが、その時にはなかった懐かしさを感じる。
質実剛健を体現したような建物は、自分の信じた騎士道に通じ、愛着を感じていた。
そんな兵舎の一室、団長室に通される。
入室すると、出迎えたのはもちろんライエル・ベール。
ヘレナから見ても長身な彼はいつもと変わらず柔和な雰囲気を醸している。
「おっ!騎士団の指南役様じゃないか!」
ライエルはヘレナを見かけるなり嬉しそうに声をあげる。
ヘレナは無表情のまま、
「その件だけど、断りに来たの。」
とだけ返す。
しばしの沈黙の後、ライエルはわざとらしく困った顔をし
「頼むよぉ。団員には君にあこがれて入団した奴らもいっぱいいるんだよ?憧れの存在が団長を譲ったばかりか退団までしちゃって大変なんだよ。今、騎士団を預かる身としても最強の騎士という象徴が必要なんだよ。」
「その件について私の意見は変わらないわ。いつまでも先代が居ては、不要な派閥を生みかねないもの。だから、去るべきなのよ。」
「あいかわらずつれないねぇ。だからこその指南役じゃないか、全部君流にしてしまえばいいんだよ。」
「また適当なことを。」
「ボクはいつだって真剣だよ。君の技術や研鑽の集積が途絶えるのは騎士団にとって、引いては国にとって多大なる損失だ。だから前向きに考えてほしい。」
「無駄よ。だって私のやり方は、きっと誰もついてこれない。それはあなたが1番近くで見てきたでしょう、ライエル?」
そう言われライエルは俯く。
ほぼ同期で入団し、誰よりも近くで彼女の騎士道への滅私奉公を見てきた。
だからこそ、その破滅的な献身が誰にでもできることでなく彼女にしかできないことも理解しているのだ。
「あなたにはとても感謝してる。ライエル、あなたが居なければ私は孤立していたでしょう。私には武力しかないもの。いつもあなたが部隊をまとめてくれていたから、私の武力を活かしてくれたから…」
一度言葉を止め、あらためてヘレナはライエルを見つめ
「でも、やっぱり私には人を導くことはできないと思うの。だから、ごめんなさい。」
終始無表情のままそう告げる。
「…そうか。まぁでも気が変わることもある、ヘレナだって人間だからな。気長に待つとするよ。」
渋面も長くは続かず、すぐにあっけらかんとしたいつもの表情に戻った。
「あら?でも期限が迫ってるわよ?」
そう言われるとライエルはイタズラな笑顔を浮かべ懐から新しい手紙を出しヘレナに渡す。
「次の期限も3カ月後だから!」
「あきれた人…」
珍しく感情が顔に出た瞬間であった。
ライエルの部屋から退出し、忍ぶように兵舎を出ようとする。
後ろめたいことはないのだが、団員たちに見つかると少々ややこしいことになる。
皆が慕ってくれることは嬉しいのだが、団長に推薦され断り切れなかった過去があるため
その二の舞になるようなことは避けたかったのだ。
柄にもなく団長になってしまい、自らを救い上げてくれた騎士団が瓦解しかけた。
武力が強いだけでは何もなし得ない役職であった。
政治、組織運営、教育、関係各所との調整、様々な要因を複合的に捉えて判断する。
極論の合理を追及してしまう自分には到底務まらなかった。
だからこそ自分自身を諦めて、最適な人材・ライエルに託して騎士団を後にした。
その判断は間違っていないと思っている。
そんなことを考えながら歩を進め、気づけば兵舎の敷地から出て、大通りにつながる細い道を歩いている。
騎士団に居た時、何度も行き帰りした道筋であった。
ふと前方から団員らしき人だかりがこちらに向かって来ていることに気づく。
(あぁ、お昼休憩の帰りね、しまったわ。)
どうにかして回避できないか周りを見ると、
見慣れた景色に、見慣れない店を見つけた。
小さな木製の建物であるが、不思議と存在感がある。
「…いらっしゃい。好きな席にどうぞ。」
特に考えもせず、騎士たちとの邂逅を避けるために入店したが、ヘレナと同じくらいの身長の男が声をかけてきた。珍しい黒髪黒目のその男はどうやら店主のようである。
特別に鍛錬をしているような肉付きではないが、決して貧弱な印象はなく、ヘレナは腕のいい職人の雰囲気を男に感じた。
「慣れた道に新しい店を見つけて思わず入ってしまいました、大丈夫だったかしら?」
言いながらヘレナは近くの席に腰をおろす。
(ちょうどいい時間だし、昼をとっておこうかしら。)
内心そんなことを思いながらメニューを探す。
外観より店内は異常に広く、厨房を囲むように8席のカウンター席が設けられている。
新築ではないが丁寧に扱われてきたことで、どこか気品すら感じさせる内装に感心しつつ
メニューがどこにもないことを訝しんでいると店主が水の入ったグラスを差し出してくる。
「うちはお客人が来たら営業って方式だから、気にしなさんな。あと決まったメニューは持ってなくて、その時の仕入れ状況と、お客人の気分に合わせて料理をつくっている。」
そんな説明を聞きながらヘレナは渡されたグラスに目を落とす。
「そんな店だから、俺が料理している間は水でも飲んで待ってくれってことで、料理代に込みで水を出している。安心しな、水のおかわりも大丈夫だ。」
ヘレナが委細承知したとばかりに仕入れ状況を聞こうとした瞬間、
突如としてまな板が発光する。
魔術由来の輝きを見せ、輝きが終息すると先程まではなかった生の塊肉が鎮座している。
(外観と内観の大きさの違いから違和感を覚えていたけど、なるほど店自体が魔道具なのかしら。)
冷静にそんなことを思案しているそばで店主が出現した塊肉を眺めている。
「なになに…。モーモラの肩肉…?おい、今朝も出てきたやつじゃないか…モーモラ…。」
そう独り言を言っている店主に向けてヘレナはリクエストをかけた。
「すみません店主さん。それを焼いてもらえるかしら?ただ焼くだけがいいの。」
「焼くだけって、それだけでいいのかい?」
「ええ。それだけ。所作や店内の雰囲気から相当の腕前かとお見受けしています。なのに粗末な料理を注文してしまい心苦しいのですが、焼いて塩をかけて食べる、いつもそうなの。ごめんなさいね。」
店主は面食らった表情もつかの間に、すぐ笑顔にもどり
「そうかい。ではその通りに!」
と承知の意思を返した。
店主の調理が始まる。