第一話:母を思う少年
少年が最初にそれを見つけたのは、村はずれ、森の入口のあたりだった。
いつもは何もない場所に、小さな屋台のような木造の小屋が立っている。
煙突から細く立ち上る湯気に、どこか懐かしい匂いが混じっていた。
おそるおそる眺めてみると、どうやら飲食店のようである。
しかし、村の市場ですら満足に買い物ができず
食材を求めて森に来た身である少年にとって
およそ縁がないと思われるこの建物は
ただただ魅惑的なにおいを発生させる迷惑装置であった。
本来は早々に立ち去るべきだと思ってはいても
どうしてもその香りに釘付けになっていた。
すると、
「おっ?お客人かい?ちょいと待ちな」
と声がした。
よく見ると窓枠に網が貼ってある部分があり、そこから声がしたようだ。
しばらくすると扉が開き大柄な男が現れた。
村の人間にはいない黒目黒髪。
筋肉隆々ではないものの、痩身とも言えない、
鍛錬した肉体ではなく、労働により鍛えられた身体という印象の長身。
年のころは40にさしかかろうかという頃合い。
そんな男が扉をあけ、
「いらっしゃい。さぁどうぞ。」
と声をかけた。
少年は予想外の展開に驚きながらあわてて告げる。
「あのっ!お客じゃなくて、その…ごめんなさい。いい匂いがしたから、気になっちゃって…。持ち合わせもないし、おなかもあまり空いていないので…そのぜんぜん…」
としどろもどろに口にする。
そんな様子をみていた男は、
「そうかい。実はこのあたりには来たばかりでなぁ。よかったらこの辺について教えてくれねぇかい?お礼と言っちゃあなんだが、ちょうどまかないでも食おうとしてたんだ、話しをしながら一緒にどうだい?」
と声をかける。
思ってもない誘いかつ実は空腹であったことも重なり少年は本人の自覚よりも早く、
「ぜひお願いします。」
と答えていた。
扉をくぐると外からは想像もできないほど店内は広かった。
厨房を囲むように客席があり、大人8人くらいは入れそうである。
「おじさんは魔術師なんですか?」
気が緩んだのか、不用意にも感じた疑問をありのまま口にしてしまったと後悔するも、
「いや、ただの料理人だよ。」
と手を洗いながらあっけらかんと答えてきた。
「じゃあお店が魔道具なんですね。すごい。こんな大規模なもの初めて見た。」
そう感動をありのままに口にする。
「まぁそう呼ばれる類のものらしいな。俺にもよくわかっていないんだけど、訳あって預かっている。で、せっかく設備があるから料理をしている。」
少年ながら店主の”これ以上は聞くな”という雰囲気を察した。
席に座るとコップを渡され、中には水が入っているようである。
「これは?」
そう聞くと、
「お冷はサービスでな。普段なら食事代に含まれるが、まぁ代金はいらねぇってこった。」
とぶっきらぼうに男は言う。
この店独自のサービスに感動をおぼえつつ、せっかくならと水を含む、すると男が、
「よっしゃ!じゃあ、頼んます!」
そう言ってまな板の前で手をパンッパンッっと2回打ち鳴らす。
瞬間、まな板が魔術特有の光を発し見えなくなる。
発光が静まるとさっきまでは何もなかったまな板の上に何かがある。
どうやら肉っぽいものと根っこのようなものが鎮座しているようだ。
おもむろに男が根っこを手に取り確認する、
「これは…ふむふむ。カリヤ花の根…?まぁごぼうみたいなもんか。それとスジ肉…シュッカリのスジ肉?…まぁ鹿とかそんなイメージか…。」
などとつぶやいている。
「じゃあ、今からメシつくるからちょっとまってな。」
そう宣言した男に対して、少年は慌てた様子で、
「ちょ…ちょっと待ってくださいよ!!カリヤ花の根?シュッカリのスジ?信じられない!」
と騒ぎたてる。
「どうした?そんなにあわてて。」
店主がそう聞くと、
「本当に料理人ですか?カリヤ花を食べるなんて聞いたことないですよ!?女の子が花飾りをつくったりするアレですよ?ましてや根っこなんて…。それにシュッカリのスジなんて臭いし固くて食べれたもんじゃない、売り物にならないから捨てる部分だって父が言っていました!」
「そうかい。親父さん詳しいんだな。猟師かい?」
一気にまくし立てる少年に関心したかのような表情で問いかける。
「猟師ですが猟に出たまま帰ってきてません、もう半年くらい経ちます。村の大人たちは諦めろっていうけど…。おれがしっかりしなきゃいけないんです。母さんも塞ぎがちだから、少なくともおれだけは元気でいなきゃ。」
顔を伏せ、溢れそうな感情をせき止めるかのようにつぶやく。
「そうかい。ならなんでまたこんな森の入口に居たんだい?」
「母さんを元気づけたくて、うまいものを食べさせてあげようと思ったんです。でも、おれにはお金なんてない、でも猟師の息子だから、獲ってこようと…それで。」
少年の瞳には不安と決意が入り交じり、辛うじてこらえている様子が見て取れた。
話しを聞いた店主は水をガブリとのみ、
「よし!ボウズ、だったらまずはメシだな!」
とあらためて宣言する。
「だから、そいつらは食べれないって…。」
そう言おうとしたところ、かぶせるように男が聞いてくる。
「ボウズ、名前は?」
「えっ?…テオだけど。」
「いいか、テオ。料理人ってのはこの世界がもたらす自然の恵みをおいしく調理するんだ。まずはこいつらで料理をつくってみるから、そのあとで食えるか食えないかを判断してみないかい?」
朗らかな表情だが有無を言わせない雰囲気を感じ、思わず首を縦に振ってしまう。
途端、破顔の言葉そのままにニッカリと笑い、
「じゃあ、ちょっと待っててくれな!」
と言うなり、調理に取り掛かるのであった。
「まずはスジ肉の処理だな。」
そう言うなり、手際よくスジ肉を一口大に切っていく。
テオは包丁の切れ味に感動し、
「おじさん、すごい良い包丁だね。父さんはそんな風に切れなかったよ。」
と率直な感想を伝える。
「ん?まぁな。手入れしろってうるせぇからな。」
など、調理に集中しているようで気もそぞろな返事が返ってきた。
「次は、下茹でだな。」
切ったスジ肉を鍋に入れ、水をつかるくらいまで注ぎ、火にかける。
息つく暇もなく包丁とまな板を洗ったかと思うとカリヤ花の根を洗う。
根についていた泥を落とすと水気を軽くふき取り、ひげのような根を取り除く。
そのあとまな板に置いたかと思うと、包丁を根とほぼ平行に構え、言葉にするとスススススという軽快さで薄く切っていく。
「すごい。とても薄いし、速いね。」
感動するテオに対して、
「あぁ、これは”ささがき”ってんだ。俺の故郷にごぼうっていう根っこを食べる食材があってな。どうやらカリヤ花も似たようなもんらしいから同じ調理方法を試している。」
切り終わった根をスジ肉とは別の鍋に入れまた水を注ぐが、今度はそのまま何もしない。
「おじさん、それは煮ないの?」
「あぁ、こうして水にさらすことで苦みだったりとか良くない部分を抜いてるんだ。まぁ10分くらいでよさそうだな。」
そうこうしていると先ほどのスジ肉の鍋が沸騰してきた。
洗い場にザルを用意したかと思えば、せっかく煮たスジのスープをぶちまける。
「!!?? なにしてるの!?やっぱり失敗?」
驚きのあまり声をあらげて聞くと男は笑いながら、
「ちがうちがう。一度煮立たせることで臭みや血合いを取り除くんだ。確かにもったいないように思えるが、今捨てた汁にはまだ旨味はほとんど出ていない。これからじっくり煮ることでスープに旨味がでて、スジも柔らかくなる。まぁ2時間くらいってとこだな。」
まったく想定していなかった時間を宣言されテオは驚くも、男は続けて、
「だが今回は俺もテオも腹ペコだ。お前さんの言う魔道具ってやつを使う。まぁ5分くらいまで短縮できる。魔道具がなきゃ2時間煮ろって話しだ。」
スジ肉を煮込み始めたかと思うと、今度はまたカリヤの根っこに戻る。
「さて、頃合いだな。」
そう言って水からザルにあげ、軽くすすぐ。
水を切ったザルを作業台に置き、使用した調理道具を洗う。
「よし。スジ肉も柔らかくなった。あとはカリヤを加えて、軽く煮込んで塩で味付けだ。」
この時点で店内にはおいしそうな匂いが充満しており、調理の一部始終を見ていたテオの中では”食べない”という選択肢はなくなっていた。
「はい。おまちどおさま。」
その声と同時に深皿に入った料理が提供された。
「食ってみるかい?」
『シュッカリのスジ肉とカリヤ根の塩煮込み』
料理から放たれる香りが空腹に突き刺さる。
目の前にある料理の材料が何であるかは承知している。
村の大人たちにそんな料理を食べたと言えば子供の冗談だと言われるだろう。
親に言えば叱られるか説教だとも思う。
自分でもありえないと今なお思っている。
だが、食べたい。
どうしてもこの欲求は抑えられそうもない。
悩みあぐねる中、ふと気づく。
そうか、誰にも信じてもらえそうもない料理なら、もうどうでもいいのではないか。
「おじさん、僕、食べるよ。」
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父の猟師仲間に頼み込んで、スジ肉を少しだけ分けてもらった。
カリヤの根は、その辺の林で自分で掘った。
この料理にはとにかく時間がかかるみたいだから帰宅を急いだ。
昨日、あの店で食べたスープは、特別な体験だったのかもしれない。
今朝見に行ったけど、店は跡形もなかった。
夢だったのか、とも思った。けれど、そこには確かに建物の痕跡が残っていた。
状況は昨日と何も変わらない。
相変わらず貧乏で、食材だって満足に揃えられない。
でも、買わなくても手に入る食材があると知った。
それだけで、ほんの少しだけ、世界が広がった気がした。
うまくできるかなんて、わからない。 それでも、やってみたいと思った。
ぐつぐつと鍋が音を立てる。
スジ肉は、ゆっくりと柔らかくなっていく。
カリヤの根の香りが、部屋に満ちる。
ふと、背後から足音がした。
「母さん!」
調理台から顔を上げたテオが声をあげる。
「起き上がって大丈夫なのかい?」
「うん。とってもおいしそうな匂いがしたから……つい、食べに来ちゃった」
微笑む母に、テオははにかんだように笑って、そして言った。
「……信じてほしいんだけど、おいしいんだ。スジ肉とカリヤ花の根の塩煮込み……。昨日、旅するお店の料理人に教えてもらったんだ。すっごく感動して、母さんにも食べてもらいたくて……それで……」
「うん。食べたいな。さっそくごはんにしましょ?」
木の皿に、少しずつ盛りつける。
母がひと口、スープを啜る。ふわりと、優しい笑みが浮かんだ。
夕餉を終えると、母はそっと、わが子を抱きしめた。
「ありがとう、テオ。とってもおいしかった」
鍋の中のスープの湯気は、まだ静かに揺れている。