第98話
ゆったりとした談話スペース、広々とした吹き抜け、優しく落ちる滝のような噴水。
グランクレスト国宝院のエントランスホールは、市内一の高級マンションの名に恥じぬ、想像通りの豪奢さであった。
「これはなかなか……凄いですね?」
「派手ならいいってものじゃないわ。センスがないのよ」
「あはっ、言えてるぅ。ボクも住むのはゴメンかなぁ」
が、来訪者の三人には概ね不評であった。
日本一といっても過言ではない富豪の娘である凪はもちろん、織羽やクロアにしても、こういった煌びやかな場所が初めてではない。パーティ会場に潜入して工作したり、要人の護衛として同席したこともある。クロアに至っては襲撃したこともある。この程度の金持ちオーラで怯むほど、ヤワな三人ではなかった。しかしそもそもの話、三人が評するほど下品な空間ではないのだが。
「さて……確か、話は通っているんですよね?」
「シエラはそう言っていたけれど、どうかしらね?」
あの馬鹿のことだから、忘れていてもおかしくはない。
言外にそう告げる凪であったが、どうやらそれは杞憂であったらしい。エントランスに入ってからほんの一分も待たないうちに、恐らくはコンシェルジュであろう、黒スーツの若い男が姿を見せた。流石は国宝院家の雇ったコンシェルジュ、とでもいうべきか。柔和な微笑みを浮かべながら三人の下へと近づくその男は――いっそ胡散臭いほどに――所作が洗練されていた。
「ようこそおいでくださいました。私は当マンションの管理人を務めております、勅使河原と申します。どうぞお気軽に『てっしー』とでもお呼び下さいませ」
間違いなく一流なのだろうが、しかし言動にはクセがあるタイプであった。
如何に国宝院家の関係者とはいえ、天下の九奈白家令嬢に対して、初手から冗談を言える者などそうはいない。
「やりましたねお嬢様、早速変な人が出てきましたよ!」
「やばぁ、苦手なタイプかもぉ」
「……その意見には概ね同意するけれど、貴女達には言われたくないと思うわよ」
変人の登場に目を輝かせる織羽と、対象的にゲンナリしてみせるクロア。そんな二人に呆れる凪。これまでには意外となかった組み合わせの三人だが、なかなかどうして息は合っていた。しかし、いつまでもエントランスでコントをしているわけにはいかない。凪自らがわざわざこんなところまで足を運んだのには、しっかりとした理由があるのだから。
「九奈白凪よ。シエラから話は聞いているかしら?」
「はい。九奈白様御一行がご到着次第、ご案内するよう命じられておりす」
「そ。じゃあさっさとお願いするわ」
「畏まりました。ではこちらへ」
初手からスベった勅使河原ではあるが、意外にもその後の対応はひどく丁寧だった。胡散臭いニヤケ面のせいで分かりづらいが、どうやらただ気さくなだけの男らしい。相手によっては無礼だと言われてもおかしくない先ほどのジョークも、或いは凪の器の大きさを見抜いてのことだったのかもしれない。もしそうだったとしたら、初対面でいきなり『デカ乳』などと言い放ったどこぞのメイドよりは、余程人を見る目があるといえるだろう。
そうして勅使河原に案内され、エレベーターへと向かう途中。
エントランスホールのすぐ脇にある談話スペースで、数人の女性が楽しそうに談笑していた。ここの住人ということは、やはり彼女らも探索者なのだろう。少々がさつな者が多い傾向にある探索者――魔物との戦闘を主とする者達は特にだ――だが、しかし彼女らは大騒ぎしているわけではなく、常識的な声量で控えめに会話をしているのみだ。年齢こそ二十代半ばのように見えるが、どこぞのお嬢様と言われても納得できそうな、そんな落ち着きのある振る舞いだった。
(ふぅん……ちょっと意外だな。まぁ僕の知ってる探索者が、誰も彼も異端なだけかもだけど)
織羽は序列一位でありながら、一般的な探索者界隈のことをほとんど知らない。現役時代はソロ専門であったが故に、他の探索者達との絡みはほとんどなかった。半ば引退状態の今もそれは変わらない。織羽が知っている探索者など、精々がゴリラか病みサイコ女くらいのものである。一見まともそうに見える千里でさえ、留置所をホテル代わりに使う異端者だ。もちろん他にも見たこと会ったことはあるが、記憶に残っている者で言えばその程度。織羽の探索者観が偏るのも仕方のない話である。
「……ん?」
ふと織羽が何かに気づいた。
横目で眺めていた探索者達の顔に、そこはかとなく覚えがある――――ような気がしたのだ。そんな織羽の視線を感じたのか、談笑していた探索者グループもまた、エントランスを歩く織羽達に気づく。そうして数秒ほど織羽達を見つめ、そのうちの一人がはっと何かを思い出したような顔で立ち上がった。
「ちょっ、ちょっと待っ――――九奈白様、お待ち下さい!」
「……?」
「どうか一言、ご挨拶を!」
自身を呼ぶその声を聞き、凪が怪訝そうに振り返る。そうしてほんの一瞬だけ考える素振りを見せ、すぐに得心のいった表情へと変わった。一方の織羽はといえば、未だ相手の顔が思い出せずにいた。間違いなく見覚えはあるのだが、いつどこで見たのかが思い出せないのだ。ちなみにこの時声をかけてきた相手は織羽や凪だけでなく、クロアにとっても関係のある相手だったのだが――――しかし彼女は全く興味がないのか、既にずんずんと先まで進んでしまっていた。
「私は『花車騎士』のリーダー、阿澄リョウと申します」
「あぁ、実習の時の」
「はい。生徒の皆さんを守るべき立場にありながら……力及ばず、情けない姿をお見せしてしまいました。加えて事後処理まで九奈白様に。誠に申し訳ございませんでした」
そう言って深々と頭を下げる阿澄。彼女は先の襲撃事件以来、ずっと悔やんでいたのだ。この街で活動する探索者にとって、学生の護衛任務につくということは大変な名誉だ。それが白凪学園の実習ともなれば特にそうだ。在籍する生徒たちの立場を鑑みた時、その護衛として選ばれるということは、直近数ヶ月の活動が特に優れていると認められたに等しい。最終的にはシエラによってねじ込まれた形ではあったが、最低限の資格がなければその無理も通らない。つまり探協側も、『花車騎士ならば』と認めたということ。
そうでありながら、実際には襲撃者に対して手も足も出なかった。護衛としての責務を果たすことが出来なかった。阿澄はずっとその事を気に病み、そして謝罪したかったのだ。しかし相手は九奈白家のご令嬢。圧倒的に立場が違う為、謝意を伝えることすら出来ずにいた。故に降って湧いたこの機会に、居ても立ってもいられなかったというわけだ。
しかし凪にしてみれば、それはお門違いというものであった。
そもそもの話、あれは凪を狙って行われた襲撃なのだ。確かに護衛役ではあったが、謂わば阿澄たちは巻き込まれた側だ。無論そのことを馬鹿正直に伝えるつもりはないが、それが原因で心を痛めているというのなら、むしろ凪こそ謝らなければならないだろう。加えて後ほど織羽から聞いた話によれば、『あの場で対抗出来るのは自分しかいなかった』とのことである。一位様がそう言うほどの敵が相手だったのだから、とてもではないが彼女らを責める気にはなれなかった。
「そんなことをわざわざ伝えに来たの? アレは殆ど天災みたいなものでしょう。貴女が気にするようなことではないわ」
「いえ、しかし……」
「全員無事だったのだから、それでいいじゃない。私は全く気にしていないわ。でももし、それでも気になるというのなら――――」
必要以上に畏まる阿澄へと、凪がそっと告げる。
「『 Le Calme』で買い物をするといいわ。そうしたら次は勝てるかもしれないわよ?」
それはただの慰め、或いは激励。
阿澄が自らを許すための、落とし所を凪が提供しただけである。恐らくはその意図まで、阿澄にはちゃんと伝わったことだろう。先程まであった筈の、必要以上の謝意と後悔。彼女が顔を上げた時、それらはすっかり消え去っていた。
その後ろでは、未だに織羽がうんうんと考え込んでいた。
「が、ガーベラ……? 何でしたっけそれ……? いえ、もちろん覚えてますよ? ただちょっと、今だけド忘れしたというか……いや初耳かも?」
「はぁ……彼女は無駄に気にしすぎだけれど、貴女はもう少し周りに興味を持つべきね……」




