第97話
「はえー……すっごい」
織羽が頭上を見上げる。
汚れひとつ見当たらない外壁。静かに美しく踊る噴水。細やかな意匠がなされた、誰も注目しないであろう小さな飾り。どこを切り取ってもひと目で超一流だと分かる、圧倒的なセレブ感。ともすれば威圧感すらも与えかねない、ひどく偉そうで堂々とした佇まい。織羽の目の前には、そんな大きな建物が聳え立っていた。最先端技術とダンジョン素材で溢れかえった九奈白市内に於いて、最も高級だと言われているタワーマンション。それがここ『クレストレジデンス国宝院』、又の名を『黄金郷ギルドハウス』であった。
その名の通り、このマンションは国宝院家の所有物だ。
マンションといえば大抵の場合、名前に地名が入るものなのだが――――代わりに国宝院家の名前を入れているあたりが、らしいといえばらしい。或いは、九奈白の名を冠するのはプライドが許さなかったのかも知れない。協力関係にあるといっても、基本的にはライバル同士なのだから。
なお別名としてギルドハウス呼ばわりされている理由は、ここに『黄金郷』所属の探索者が多く入居しているからだ。といっても、所属ギルドメンバーの全員が住めるわけではない。多少の優遇はあれど、家賃が払い続けられるだけの稼ぎがなければならない。どうにか基準を満たせる最低ラインは五桁以上の探索者といったところか。つまりここに住んでいるのは『黄金郷』に所属している者の中でも、上澄みの探索者ばかりだということ。なおこれは余談だが、そのあまりに高い足切りラインの所為か、未だに部屋は埋まっていなかったりする。
「お家賃、いくらぐらいするんでしょうねぇ」
「あら、住みたいの?」
「まさか。私は白凪館のようなセンスある家が好きですね。偉そうな建物はあまり好きではありません」
「そ。うちのメイドが悪趣味でなくて安心したわ」
素っ気ない態度に見える凪だが、口角はほんの少し上がっていた。
白凪館のセンスを褒められたことが嬉しかったのだろう。とはいえ建物の価値や高級さで言えば、白凪館も割と偉そうなレベルなのだが。そんな凪の横顔を眺め、普段から素直にしていればもっと可愛いのに、などと不遜なことを織羽が考えた時だった。凪の瞳がじっとりとしたものに変わる。
「ところで……彼女は何故ここにいるのかしら?」
「どうしてでしょうねぇ……」
凪の見つめる先には、気だるそうでありながらもどこか楽しそうな、なんとも形容詞難いテンションのクロアがいた。彼女は放課後になってすぐ、さも当然のような顔で織羽達に付いてきたのだ。しかしクロアが気分で動くのはいつものことだ。
そもそもクロアが迷宮情報調査室の勧誘を受けたのも、半分は織羽目当てで、残りの半分は『今より楽しそうだから』といったノリ程度の理由でしかない。加えて正式に加入して以降、意外にも任務は真面目にこなしている様子。故に今では織羽も、クロアの突拍子のない行動があまり気ならなくなっていた。こうして付いてきたのも、恐らくは『暇だったから』とか『面白そうだから』とか、その程度の理由でしかないだろう。
「ふぅーん……ここが国内最高のねぇ……あんまりそんな感じしないけどなぁ……まぁいいや。二人とも、はやくはいろうよぉ」
威圧感溢れるエントランスを前に物怖じする様子もなく、まるで二人を先導するかのようにテクテクと歩を進めるクロア。
「鉄砲玉みたいな子ね……恐れ知らずなところは確かに、貴女と似ているかもしれないわね」
「私をあんなサイコ女と一緒にしないで下さい。彼女のアレは色んな感覚がバグってるだけです。鉄砲玉とか、そんな勇ましいものじゃないですよ」
ちなみにクロアの正体についてだが、凪は織羽より既に聞かされていたりする。もしも自分が傍にいない時は、代わりにクロアを頼れとも。
とはいえ凪が聞かされているのは、織羽や隆臣と同じ組織に所属しているという点のみであり、実習を襲撃した犯人の片割れだということまでは知らされていない。伝えたところでどうなるわけでもなし、下手に知ってしまえば要らぬ感情を掘り起こすだけだからだ。
そういった背景もあって、凪から見たクロアの印象は現在、概ねこうなっている。
織羽と同じ組織、迷宮情報調査室に所属する凄腕の元探索者。言動には怪しい部分も多々あるが、総会襲撃事件の際にも裏で活躍してくれた、九奈白にとってはある意味恩人的な存在の一人。当初は怪しい転校生だと思って警戒していたが、いざ話してみれば中々に面白い少女である、と。
以前までのツンツン拒否凪状態であったなら、未だにクロアのことを警戒していただろうが――――凪の対人スキルも徐々に成長している、ということなのだろう。しかし最も肝心なクロアの本性については、流石の凪でもまだ見抜けてはいなかった。とはいえ、それも時間の問題であろうが。
「あら、結構辛辣なのね。まぁどうでもいいけれど……とにかく、私達もさっさと入るわよ」
「はーい」
先行していたクロアはマンション内へと侵入を果たし、既に姿が見えなくなっていた。その後を追うように、凪と織羽の二人もエントランスへと向かう。『黄金郷』所属の者たちからすれば、ある意味では敵情視察のように見えるだろう今回の訪問。凪はもちろん、シエラにもそのようなつもりは全くなかったが、出来れば住人との遭遇は避けたかった。
「ところで……なんだか最近、探索者は現役よりも元の方が強いんじゃないかって気がしているのだけれど」
「あー……確かにお嬢様が最近出会った人は、元探ばかりですねぇ」
「でしょう? 探索者の順位って思ったよりずっとアテにならないのかしら?」
「参考程度に見るくらいで丁度良いと思いますよ。純粋な戦闘力の順ってワケじゃないですから。ちなみにですけど、探協が把握していない――――ランキングに載っていない人でも、強い人は結構いますよ。それこそクロアもそうですし、この前のイカレ魔女とかも」
織羽が指を一本立て、先日の事件を思い出しながら例を挙げる。
それを聞かされた凪はといえば、この上なくゲンナリとした表情を浮かべていた。
「あぁ……思い出したくもないわね」
「まぁ、アレは極端な例ですけどね。野良の探索者であのレベルは、そう居ません」
「……ならいいのだけれど。探索者界隈については詳しい方だと思っていたけれど、まだまだ知らないことが沢山あるのね」
そんなどうでもよい会話を交わしながら、二人は偉そうなエントランスの扉を潜った。




