第96話
学年を問わず、大半の生徒達にとっては大凡一月半ぶりとなる登校。
学園内のあちこちでは、如何にしてこの夏休みを過ごしていたのかという、ごく普通の話題で賑わっていた。
「今年は海外の別荘で過ごしておりました。ビーチが綺麗で、とてもいいところですのよ」
「あら、羨ましい。わたくしは国内のパーティに参加してばかりで、旅行どころではありませんでしたわ」
「私はお父様にお願いして、予てより興味のあった総会へと連れて行っていただきました。各国の著名人が沢山いらっしゃっていて、それはそれは華やかな時間でした」
今年は何処へ行っただの、誰と過ごしていただの。
とはいえ話の内容自体は一般のそれと大差ない。夏休みの出来事を報告しあうなど、それこそ日本中、何処の学校でも行われていることだ。淑女予備軍らしく声を張り上げたりはしないため、一般的な学生よりはむしろ大人しく見えるほどである。話の規模がやたらと大きい所為で、妙に鼻につくことを除けばだが。
そんな控えめに浮ついた校内の空気が、俄に色めき立つ。
「あらあら、何か騒がしいですわ。一体何事かしら?」
「……? あちらにいらっしゃるのは、もしや……」
騒ぎは学園の入口、校門の方からだった。
校門付近で話に花を咲かせていた生徒たちの、その視線が一点に向けられる。
「ああっ、九奈白様だわ! 今日もお綺麗……!」
「ということは……やっぱり! お姉様もいらっしゃいますわ!」
長い黒髪を靡かせる少女と、その少し後ろを歩く銀髪の従者。
華美な校門をくぐるや否や、凪と織羽は相変わらずの黄色い声を浴びていた。
当然ながら凪はごく普通の制服姿であり、特別なドレスを纏っているというわけではない。メイドを連れている生徒も珍しくはない。それでも九奈白凪という少女は、ただ登校するだけで衆目を集めてしまう。毅然と歩く姿勢、浮ついた様子など微塵も感じられない態度。もちろん優れた容姿の所為もあるが、しかし何よりも、彼女は纏うオーラが他とは違うのだ。ある種のカリスマと言い換えてもいいだろう。そうした得も言われぬ特別な気配を、たかだか十六の少女が自然に纏っている。目立つのは当然のことだった。
そしてその後ろ。
何を考えているのかいまいち分からない、ツンと澄ました表情。見様によってはただの無愛想とも取れるが、しかしお嬢様方によれば、そこがミステリアスで良いのだとか。もちろん織羽は実際に何も考えていないのだが――――そのくせ凪に追従するその姿は、いかにも『真面目なメイドですよ』と言わんばかりである。
「……お姉様?」
「失礼しちゃいますね。こんな侠気溢れるナイスガイを捕まえて」
「その割に、まんざらでもなさそうだけれど……?」
「まぁ、慕われて嫌な気分にはなりませんよ。悪目立ちするのはちょっと困りますが」
見てくれだけは非の打ち所がない所為か、織羽は学園に通うメイドの中でも非常に人気が高い。たまに凪と別行動をとっているときなど、あっという間に囲まれ話しかけられるほどだ。無論織羽もまた、こう見えて紛うことなき対人弱者である。お嬢様方に話しかけられたところで、失礼が無いよう社交辞令程度に挨拶を交わすのみである。そんな若干素っ気ない態度が、主に忠実なメイドの鑑だなんだと一部で人気を呼ぶ。そんな不可抗力にも似たネガティブスパイラルが、昨今の織羽の人気を形作っている。
才気あふれる金持ち令嬢と、ニッチな需要を満たす美人メイド(♂)。
入学時から既に注目はされていたが――――その人気ぶりはいや増すばかりであった。
* * *
教室へと足を踏み入れた二人が目にしたもの。
それは出来れば見たくないもの、やたらときらびやかな金色のロングヘアーであった。
「久しぶりですわね、凪。待っていましたわよ」
教室の扉を開けてすぐのところ、腕を組んでふんぞり返っているのは国宝院シエラだ。周囲のクラスメイトの反応を見るに、どうやらシエラはこの場でずっと待機していた様子。その言葉からも分かるように、何やら凪に用があるらしい。ちなみにシエラは凪と同じく迷宮情報科の生徒だが、隣のクラスである。
九奈白家と国宝院家は、所謂ビジネスパートナーのような関係だ。家同士の関係性は悪くなく、むしろ良好と言ってもいいほどである。だがそんな国内ダンジョン産業の二大巨塔とも言われる財閥の娘であるが故か、凪とシエラは何かと比較されやすい。加えてシエラ本人はすこぶるプライドが高く、また負けず嫌いな性格でもあった。そういった背景もあり、やたらと九奈白家――――ひいてはそこの娘、同年代である凪のことを一方的にライバル視しているというわけだ。
きゃんきゃん噛みつくシエラと、柳に風といった様子の凪。
そんなやりとりのおかげで誤解されやすいのだが――――実はこの二人、別に仲が悪いというわけではなかったりする。
「はぁ……朝から面倒なのが来たわね」
「め、面倒ですって!?」
「これが面倒でなければ何だというの。周りを見なさい。貴女がそんなところに突っ立っているから、皆迷惑しているわ」
「あら、気づきませんでしたわ。皆様、ご機嫌あそばせ」
無論、仲が良いというワケでもないが。
そうして始まった学内二大お嬢様のやりとりを横目に、巻き込まれないようそそくさと席へ向かう織羽。主に忠実なメイドとは一体誰のことなのやら。
なお、白凪学園には有名なお嬢様がもう一人在籍している。名を九条礼衣といい、白凪学園の現生徒会長でもある少女だ。財力は二家に劣るものの、家格で言えば凪やシエラよりも余程上となる、正真正銘名家のお嬢様だ。しかし彼女は三年であるため、これまでに凪やシエラと絡んだことはほとんどない。閑話休題。
この学園の授業は自由席なのだが、しかし凪に遠慮してなのか、二人の隣に座ろうなどと考える猛者は皆無である。そんな凪と織羽の指定席と化している、窓際の最上段。そのすぐ隣の席には珍しく、既に何者かが座っていた。とはいえ前述の通り、そんな真似が出来る者などそう多くはない。リーナが別クラスだということを考えれば、殆ど一択だ。案の定というべきか、気だるそうにひらひらと手を振っていたのは、織羽の新たな同僚でもある地雷系病み女だった。
「やっほぉメイドちゃん」
「やっほぉ、ではありません。何故まだ居るのですか」
「えぇー? ボクも一応ここの生徒なんですけどぉ?」
「……まぁいいでしょう。と言うより元暗殺者の貴女が私達よりも早く登校しているのは流石に、面白すぎるのでやめて下さい」
先ごろ緊急の助っ人として送られてきたクロアだが、はっきり言って今はお役御免状態である。黒霧の脅威が去った現在、凪の護衛任務は以前に比べて随分と落ち着いているからだ。故にクロアはとっくに撤収したものだと思っていたのだが――――ストーカー気質の変態女は、どういうわけかまだ居た。おまけにちゃんと時間を守って登校しているというのだから、これは一体何の冗談なのやら。サイコなメスガキ風暗殺者がキリキリ学生生活に勤しんでいるなど、シュールを通り越して逆に新鮮ですらある。
などと、女子校に通う女装メイド風ボディーガードが考えていた頃。
どうやらお嬢様同士の話し合いが終わったらしく、眉間に皺を寄せながら凪が階段を上がってきていた。
「お疲れ様です、お嬢様」
「ええ、本当に疲れたわ……というか貴女、私を見捨てて逃げたわね?」
「大変仲がよろしいようでしたので、邪魔をしては悪いかと思いまして」
「ふぅん……まぁ、見様によってはそう見えなくもないのかしらね……本当にそう思っていたのなら、だけど」
胡乱げに細められる凪の瞳。長い睫毛が揺れ、視線が織羽を捉える。
そんな疑惑の目をまっすぐに受け止めた織羽は、しかし何も答えない。九奈白凪という少女は、対人弱者の分際でなかなかに鋭い。相手の言葉の端々から、意図せず漏れた感情を読み取ってくるのだ。故に織羽は黙ったまま、ただ真面目な表情を作ってキリッとしている。真顔のゴリ押しで凪の追求を逃れるつもりらしい。
そんなもので乗り切れるワケがないのだが――――意外にも、先に目を逸らしたのは凪のほうであった。
そうして何かを誤魔化すかのように、若干のぎこちなさを見せつつ話題を変えた。
「……まぁいいわ。ところで今日の放課後だけれど、少し寄る所が出来たわ。悪いけれど付き合って頂戴」
放課後の凪は、基本的に寄り道をしない。リーナにせがまれて街に出ることはあっても、自らどこかへ寄るということはしないのだ。そんな凪が、本日は珍しく寄り道をするという。一体どういう風の吹き回しだろうかと思いつつ、織羽が行き先を訪ねる。もし目的地まで距離があるようならば、一度車を取りに戻る必要があるからだ。
「もちろんです。して、どちらに行かれるのでしょうか?」
そうして凪から返ってきた答えは、あまりにも意外なものであった。
「……シエラの家よ」




