第94話
白凪館に到着した一行を出迎えたのは、メイド長の花緒里であった。
凪が友人を連れてきたのが嬉しかったのだろう。恭しくお辞儀をした後、顔を上げた彼女はにんまりと笑っていた。
「おかえりなさいませ、お嬢様」
「ええ。でもその顔はやめて頂戴」
「ふふ。これは失礼を」
幼い頃より凪を見てきた花緒里にとっても、これは初めて見る光景だった。親離れも早く、兄妹も居らず、ずっと一人で居た凪。そんな彼女が友人を家に招いたというのだから、これはもう大事件でしかない。妹のように思っていた少女の成長を目の当たりにし、感極まるのも仕方のないことだろう。
とはいえ、いつまでも感慨に耽ってはいられない。
折角の客人を満足に饗せなかったとあっては、九奈白家メイドの名折れである。気持ちを瞬時に仕事モードへと切り替え、テキパキと動き始める花緒里。
「織羽。帰るなりで申し訳ありませんが、お客様のご案内と荷物のお預かりを。私は諸々の準備をしてきますので」
「承知しました」
最後に入ってきた織羽も、花緒里の指示ですぐに仕事を始める。普段は怪しい言動の多い織羽だが、なんだかんだで出来るメイドなのだ。そうして織羽が一行の方へと振り返れば、そこには勝手知ったると言わんばかりに、案内も待たずに応接室へと歩いてゆくリーナの姿が。
「あー涼しいですー」
仮にも貴族家のお嬢様がそれはどうなんだ、と言いたくもなるが、いつもの事と言えばいつものことだ。何より凪がそれを許しているのだから、いちメイドの織羽にどうこう言う資格はない。元よりそのつもりもないのだが。ルーカスの『いつもすまない』とでも言いたげな黙礼を受け取り、リーナの方は彼に一任してしまう。
真に織羽が饗さなければならないのは、初めてここを訪れる二人の方だからだ。
「すっご……天井たっか……なんか美術館みたい……」
「え、これ家なの? っていうか、どこまでが玄関?」
あんぐりと口を開け、玄関ホールに立ち尽くす莉子と火恋。
一般家庭出身の彼女たちにとって、初めて訪れる白凪館は規格外が過ぎるらしい。
白凪館のある一帯は、いわゆる超高級住宅地だ。
やたらと大きな屋敷が多く建てられており、家と家の間隔も通常の住宅街に比べて随分広い。ここにやってくるまでの移動中など、二人はずっとそわそわしっぱなしであった。そんな超高級住宅地の中でも、一際立派で美しい外観を持つのが白凪館だ。おまけに他の屋敷から少し離れた場所にあり、小高い丘の上に建っている。このあたりの事情に詳しくない者でも、一目で『特別中の特別』だということが分かる筈だ。そんな場所に足を踏み入れているのだから、二人の感動はさもありなんといったところだろう。
「裏には小型の自家用飛行機もありますよ」
「ウソっ!? ホントにっ!?」
織羽の言葉に、目をキラキラと輝かせる莉子。
もちろんそんなものはないのだが――――莉子の初々しい反応に、織羽の悪戯心が鎌首をもたげる。そうして『どこまでいけるだろうか』などと織羽が考え出した時、見かねた凪が二人の間に割って入った。
「ウソに決まってるでしょ。バカなこと言ってないで、さっさと行くわよ」
「チッ」
「気のせいかしら? 舌打ちが聞こえたような気がするのだけれど」
「あっ、ちょうちょ」
よくもまぁクビにならないものである。
* * *
今より数日前。
織羽が失踪から戻り、メイドとして復職することになった日。
織羽は悩んでいた。館に住む三人のメイド――――花緒里と亜音、そして椿姫に対し、自分の正体を明かすべきかどうかを。
はっきり言ってしまえば、別に明かす必要はなかった。
何食わぬ顔で戻ったとしても、恐らくそう簡単にはバレないだろう。これまでもそうであったように。仮にバレたとしても、最終決定権を持つ凪の許可があるのだから何も問題はない。だが織羽にとってそれは、卑怯な行為に思えてならなかった。
話したところで何も変わりはしない。ただの自己満足なのかもしれない。
邪な考えがあるわけでもない。存外、あっさりと受け入れてもらえるかもしれない。
だがそれでも、これは三人の信頼を裏切る行為だ、と。
そんな考えを凪に相談したところ、返ってきた答えはひどく淡白なものであった。
――――必要ないわ。黙っていたほうが面白いもの。
面白い。
常に合理的な考えをする凪にしては、随分とらしくない答えだ。相談を持ちかけた織羽でさえ、僅かに驚きの表情を見せたほどである。ともあれ、織羽は凪の言う通り黙っていることにした。つまり彼の正体を知る者は、依然として凪のみということになる。
だが。
(……嘘だわ。そう……本当はあの時、何故か私は『他の人には知られたくない』と思った)
織羽の懸念は理解出来る。三人を騙したくないという感情も、抱える罪悪感も。
それでもなお、凪は黙っているよう命じた。しかし何故そんな風に思ったのか、それは凪自身にもわからなかった。
僅かに口へと含んだ紅茶を嚥下し、隣に座る織羽へちらりと視線を向ける。
リーナ達と談笑する織羽の仏頂面はいつもどおり。それが女装と知っている凪でさえ、見惚れてしまいそうになる整った横顔。
(これからのことを考えれば、三人にも織羽の正体を知っておいてもらったほうがいい筈なのに……これは何? どうして私は)
今だけではない。近頃はずっとそうだ。
ふと、気づけば織羽を目で追っている自分がいる。
(……まぁいいわ。別に害は出ていないのだし、気にするほどの事でもないでしょ)
自身に起こっているそんな不思議な現象に、凪はそっと蓋をした。
そうすることで再び、周囲の声が凪の耳へ届き始めた。
「このお茶、すごく美味しいです! 実は私、結構ハーブティーが好きなんですけど……こんなの飲んだことないです! やっぱり高級なお店のものを使ってるんですか!?」
「うん、本当においしい。莉子の趣味でよく飲まされるけど、これはレベルが違うよね。雑味が全然ないし、香りが上品」
白凪館の雰囲気にも、流石に少しは慣れ始めたのだろうか。
興奮した様子でお茶のおかわりを希望する莉子。隣に座る火恋もまた同様に、少し遠慮がちではあるがおかわりを要求していた。
「それは自家製です。椿姫さん――――ここのメイドの一人が、ハーブ類を沢山育てているんです」
「そうなんですか!? うわぁ、どうやって育ててるんだろ……」
「本人に聞いてみては如何でしょう。ほら、丁度あそこに」
織羽の指に釣られるように、莉子達が視線を向ける。
廊下へと続く扉が僅かに開いており、その隙間からメイド服の一部がはみ出していた。そのついで、こっそりと客の様子を窺うふたつの瞳も。しかし残念ながら彼女は、ドアの隙間に隠れるには些か、いろいろなところが大きすぎた。
「なんかいろいろはみ出してるね……あの人がその椿姫さん?」
「はい。すごく優しい人なんですけど、死ぬほど人見知りなんです」
凪が珍しく客を連れてきたからと言って、野次馬に来るような彼女ではない。恐らくはハーブティーの感想が気になっただけなのだろう。
「ひう、ひゃっ!?」
視線が向いたことで、すぐにその場から逃げようとする椿姫。
庭の手入れを行っている際はそうでもないのだが、しかし彼女は基本的にどんくさいタイプだ。自身の脚に引っかかり、その場で豪快に転んでしまった。
「あ、コケた」
「可愛い人なんですよ」
その後椿姫は敢えなく捕獲され、莉子達からいろいろな質問されることとなった。
だが白凪館に同好の士が居ない椿姫は、莉子達の人柄もあってかすぐに打ち解ける事に成功。同じ趣味を持つ友人が増えたことにより、その日は随分ご機嫌だったという。
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