第93話
八月二十六日。
学園の夏季休暇も残すところ僅かとなったこの日、凪は友人達と共に市内の商業区を訪れていた。
商業区という場所からも分かるように、目的はもちろん買い物である。
もちろん、凪が『買い物に行きたい』などと言い出した訳では無い。
バカンスから帰ってきたリーナが、『凪さんとも遊びに行きたいですっ』と言い出したためだ。要するにショッピングだ。年頃の少女らしく、非常に可愛らしいお誘いと言えるだろう。以前の凪であれば一も二もなく断っていただろうが、今は違う。少し悩む素振りこそ見せたものの、凪はリーナの申し出をあっさりと承諾した。
とは言え凪には九奈白の娘としての、『総会』の後始末が残っていた――ついでにどこぞの失踪メイドを捜索するのにも、凪はそれなりの時間を使った――ため、すぐにというワケにはいかなかった。そうして凪の予定が漸く空いたのが、夏休み終了目前の本日だったというわけだ。だが学園もまもなく再開されるということで、当然ながら遠出は難しい。故にこうして、近場でどうにかリーナの気を鎮めようというのが、今回の企画意図である。
そんなささやかなお出かけだが、しかし一般的な学生のショッピングとは言い難い点があった。
「これ可愛いですね! あっ、そっちの帽子も素敵ですっ! マリカ、お財布!」
「はーい」
「流石は九奈白市ですっ! どれもこれも素晴らしい品ばかりっ! マリカ、お財布!」
「はいはーい」
ちらと見て少しでも気に入ったものがあれば、予算など知ったことかと言わんばかりに、片っ端から商品を買い漁ってゆくリーナ。
流石は金持ちのお嬢様、というべきだろうか。その豪快な買いっぷりに、庶民代表の莉子と火恋はドン引きしていた。
「住む世界が違うってのは分かってたつもり……だったんだけど」
「……もう百万は軽く超えてるんじゃないかな」
九奈白は世界でも有数の迷宮都市だ。
豊富なダンジョン資源によって発展してきたこの街は、地方に比べて物価が高い。そんな街で好き放題に買い物をしているのだから、支払額はあっという間に天上行きである。おまけにその内容ときたら、明らかに必要ないものまで買い漁る始末だ。だというのに、当の本人がまるで気にしていない様子なのだから、二人のドン引きはさもありなんである。
そんなリーナへと、凪が呆れながら注意する。
「リーナ……少し控えなさい。貴女の従者が大変な事になっているわよ」
「……申し訳ありません、凪お嬢様。お手数をお掛けします」
凪が視線を向ければ、そこには紙袋でほとんど見えなくなっているルーカスがいた。
両手はもちろんのこと、肩にも大量の荷物を提げて立っている。彼は現役の探索者であるが故、重さ的な問題はない。しかし動きづらいことには変わりなく、護衛としての仕事が十全にこなせるのかといえば、甚だ疑問であった。配送分の荷物を除いてこれなのだから、買い過ぎは明らかだろう。
これが自分たちだけの買い物であれば、ルーカスも注意を促すことが出来た。しかし今は他にも目があるのだ。故に立場上、主人に対して『それ以上買うな』とは言えない。というよりも、この場でリーナを注意出来るのは凪しかいないのだ。それを理解しているが故の、凪によるファインプレーといえるだろう。
「え? あっ……すみませんっ! このあたりに来るのは初めてなので、つい夢中になってしまいましたっ!」
「はぁ……まぁいいわ。そろそろいい時間だし、どこか適当な店で昼食にしましょう」
凪が腕時計を確認すれば、時刻は昼前といったところ。
朝からリーナに連れ回されていたこともあり、休憩を挟むにはちょうどよいタイミングだ。凪の提案に反対する者はおらず、ルーカスに至っては安堵の表情を浮かべるほどであった。そうして一行は近場のレストランを探し、目についた店へと特に迷うこともなく入ってゆく。
そこは適当に選んだだけあって、本来であれば凪やリーナが利用するような店ではなかった。
しかし今回は莉子と火恋の二人もいるのだ。これは『高級すぎる店を選ぶと二人が落ち着けないだろう』という凪の配慮だ。対人弱者のクセに、こういった部分にはしっかりと気が回るのが九奈白凪という少女である。
そうしてやたらと愛想の良い店員に、席へと案内される一行。
なお、本日の参加メンバーはいつものとおり。言い出しっぺのリーナに、世話役のマリカ。そして護衛を努めるルーカス。そこにすっかり仲良くなった、櫛谷莉子と皐月火恋の一般市民コンビ。最後に凪と織羽を加えた、計七名である――――筈だったのだが、現在はうち一人が不在であった。
席につくなりスマホを取り出し、画面を確認する凪。つい先程、バッグの中から振動を感じたためだ。
スマホのホーム画面には、無駄に長いメッセージの冒頭部分だけが小さく表示されていた。そんな凪の姿を見て、莉子が何気なく問いかける。
「織羽さん、まだかかりそうですか?」
「……恐らくだけど、もうすぐ着くそうよ」
「そうなんですね、よかっ……恐らく?」
「あの子が送ってくる文章、怪文書なのよ……」
ため息を小さく吐き出し、スマホを見せる凪。
そこには絵文字がふんだんに使われた、まさしく怪文書が表示されていた。
「わ……おじさん構文だ」
「えぇ……あの美人なメイドさんが送ってくるのがコレって、意外というか何というか……ンフッ」
思わず吹き出してしまう火恋。
織羽の内面――――変人部分をよく知っている者ならば、『まぁあり得るか』と納得出来るかも知れない。だが織羽はアレで、外面だけは完璧なのだ。物静かでクール、九奈白凪の従者に相応しい容姿抜群の美人系メイド。学園内での織羽の評価は概ねこんなところである。一部の女子生徒には、織羽を『お姉様』などと呼ぶ者もいる始末である。
ソレがコレである。
最早ギャップがどうとかいうレベルではなかった。
なにはともあれ、もうすぐ到着するというのならば問題はない。一時的に凪の護衛も兼任しているルーカスにとっても、これは嬉しい報せであった。
そもそも何故織羽がこの場にいないのか、その理由は置いておくとして――――流石の四桁探索者といえど、令嬢二人の護衛をしながらの荷物持ちは、文字通り荷が重くなリ始めたところであったから。
そうして昼食を終えた一行が店の外に出た、その時だった。
「どけっ!」
「きゃあっ!」
切羽詰まった男の怒号と、女の悲鳴が聞こえてきた。
一体何ごとかと視線を向ければ、そこには見るからに不良といった風体の男が二人。男達は治安維持部隊の隊員に追いかけられながら、慌てた様子で雑踏の中を走っていた。窃盗なのかひったくりなのか――――いずれにせよ、あまりよろしくない行為を働いたということは一目で分かる。そしてその進行方向は丁度ここ、凪たちのいる方だった。
「この街、実は治安が悪かったりします?」
「……耳が痛いわね」
「あっ、すみません。別に凪さんを責めているわけじゃなくて……」
「分かっているわ。ただ一応言い訳をさせてもらうと、最近は外部から来る人間が急激に増えているの。これは総会の影響ね。だからああいった輩も、まぁ増えてしまっているのよ」
九奈白市へやってくるなり、早々に絡まれたリーナだ。街の治安を疑いたくなるのも無理はない。
だが実際、これでちゃんと九奈白市の治安は守られているのだ。九奈白市の人口を考えれば、事件発生率は近隣の地域と比べても低い。治安維持部隊による見回りはもちろんのこと、市内で活動している探索者達が、常に周囲へと目を光らせているからだ。故にこうした事件を引き起こすのは、外部からやってきたばかりの者が殆どである。
などと呑気な会話をしている間に、犯罪者らしき男たちは一行のすぐ傍まで迫っていた。
刃物等は所持していない様子だが、しかし男たちの身のこなしは軽い。恐らくは探索者か、或いは崩れであろう。
「リーナ、下がれ」
「やれますか?」
「任せろ」
大量の紙袋を抱えたまま、ルーカスが一行の前に出る。
とても戦えるような状態ではなさそうなのに、しかしルーカスの表情には余裕があった。男たちは治安維持部隊から逃げているだけで、凪やリーナを狙っているというわけではない。だがこちらに向かってきている以上、なにかの拍子で怪我を負わされる可能性もある。ルーカスは立場上、ただ黙って見ているわけにはいかないのだ。
「わ、私達も手伝います!」
「うん。これでも現役の探索者だからね」
紙袋まみれのルーカスを心配してか、莉子と火恋の二人も手を貸そうと奮起する。
しかしルーカスは二人の申し出を断った。一人で十分だということもあるが、なによりも。
「やめておいたほうがいい。少なくとも、そうして手が震えている内はな」
「うっ……」
「これは……そう! む、武者震いですし!?」
いくら現役の探索者といっても、二人はまだまだルーキーだ。対人経験などもちろん無いし、力量的にも不安が残る。加えてお嬢様方の大切な、数少ない友人でもある。ルーカスにとっては彼女らも、殆ど護衛対象のようなものなのだ。そんな二人に手を借りるわけにはいかない。
「ありがとう。その気持ちだけ受け取っておこう。こういった戦いはダンジョンと同じだ。無理をせず、危険からはまず逃げる。手に負えないと思ったら他人を頼る。先輩からのアドバイスだと思って、ここは任せてほしい」
「……わかり、ました」
そんな四桁探索者の含蓄ある言葉に、莉子と火恋は素直に引き下がる。
僅かに安堵の表情を見せたのは、やはり心の何処かで恐怖を感じていたからだろう。
そうして男たちの前に立ち塞がったルーカスが、目を細めて僅かに腰を落とした。
「何だテメェ! 退きやがれ!」
進路を塞がれた男たちがお手本のようなセリフを吐き、ルーカスを排除しようと襲いかかる。
対するルーカスは何も答えない。まるで『お前たちと交わす言葉などない』とでも言わんばかり。ルーカスは黙したまま、唯一自由な脚で蹴りを放った。
「がッ!」
「なッ!? テメェ、よくも――――がはっ!」
放たれたルーカスの蹴りは鋭く、あっという間に男たちの意識を奪った。
これといった技でもなく、ごくシンプルな普通の蹴り。しかし回避は疎か、防御すらまともに出来なかったらしい。とはいえ、これは当然の結果だ。ルーカスと男たちの間には、埋めようのない実力差があった。対人経験の少なさから醜態を晒したこともあるルーカスだが、彼は紛れもなく四桁探索者。同レベルの相手ならいざしらず、この程度の相手には負ける筈がなかった。
「すご……全然見えなかった」
「うん……流石だね」
ルーカスの見事な一撃に、莉子と火恋はただただ感心するばかり。
主人であるリーナもまた、ルーカスの活躍には満足そうであった。
「お疲れ様です、カッコよかったですよ」
「まぁ、この程度の相手はな。ではこいつらを治安維持部隊に引き渡して、買い物の続きを――――」
そう言って振り向いたルーカスが、目を見開いて言葉を切る。
凪とリーナのすぐ後ろ。路地の影から、もう一人の男が現れたのだ。
(なっ――――三人目ッ!?)
凪達の後方、それは男たちが逃げようとしていた方向だ。
つまり男たちは最初から三人組で、一人が退路の確保をしていたということ。どうやら仲間の二人が倒されたのを見て、急いで路地から飛び出してきたらしい。そしてこの圧倒的不利な状況で、それでもなお出てくるということは――――。
(っ、人質に取るつもりか!?)
ルーカスから凪達までの距離はそう離れていない。おおよそ五メートルほどだろうか。
三人目の力量が先の二人に準ずるのなら、ルーカスの速度を以てすれば十分に間に合う距離だ。紙袋の山さえ抱えていなければ。
「クソっ、逃げ――――」
ルーカスが叫ぶ。
リーナはきょとんとした顔で、まだルーカスを見つめていた。
一方、凪は既に振り向いていた。護身術の心得もある彼女だ。もしかすると敵の気配を感じ取ったのかもしれない。だが相手は腐っても探索者、凪がどうこう出来る相手ではない。あとほんの数秒もしないうちに、その手が凪へと届いてしまうだろう。
しかしこの時、凪の顔に不安や恐怖は一切無かった。
何故なら、彼女には既に見えていたからだ。ゆっくりと流れる視界の中に、すっかり見慣れたメイド服が。
次の瞬間、三人目の男は消失していた。
否。正確に言えば、男は路地の奥まで蹴り飛ばされていた。
そうして三人目の男と入れ替わりで現れたのは――――。
「大遅刻よ、織羽」
「えー。タイミングバッチリじゃないですか?」
「白々しいわね……どうせどこかで見ていたのでしょう?」
「…………あはははは! そそそそそ、そんなワケないじゃないですか。何をいきなり、そんな言いがかりを……まったく、ヘソで茶が沸きますよ」
凪からの詰問に視線を逸らしながら、怪しすぎる早口織羽。
胡乱げなジト目で、『お見通しよ』とでも言わんばかりに睨む凪。
「……で? 本当は?」
「遠くからタイミングを窺っておりました。ごめんなさい」
無言の圧に耐えきれなくなった織羽が、ついに白状する。
いつもと変わらぬそのふざけた態度に、凪は大きなため息を吐き出し、そして織羽に向かってこう告げた。
「はぁ……クビよ」
メイド復帰から数日。
織羽は早くもクビを宣告された。
更新を再開する時には通知をすると言ったな。
あれは嘘だ。




