第75話
「わお」
スコープ越しの光景を目に、千里は感嘆の声を漏らした。
九奈白本島とKCCを繋ぐふたつの橋。その東側連絡橋の出入り口付近で戦闘が発生していた。探索者界隈でいうところの大型に属する魔物が一体、治安維持部隊の隊員たちを相手に暴れまわっている。大型の魔物というのは通常、探索者がパーティを組んで戦う相手だ。対人、対テロ想定の部隊では少々厳しいだろう。
「だとすればもう片方も……」
そうして再びスコープを除けば、やはり西側でも戦闘が発生していた。
地上に居るはずのない狼型魔物が数体と、苦戦しつつもどうにか凌いでいる治安維持部隊部隊。恐らく指揮官が優秀なのだろう、負傷者こそ出ているものの、致命的な被害はまだ出ていない様に見える。
「……なるほど、あれが例の『梱包』ってやつか。クロアちゃんの情報と、密さんの読みが当たったってコトかな」
先に行われた迷宮情報調査室内でのブリーフィング。その中で挙げられた要警戒対象は、Ⅸの他にもう一人居たのだ。それこそが通称『アール』と呼ばれる男であり、技能『梱包』の所持者であった。
ダンジョンから発見されるモノの中に、『収納袋』などと呼ばれるものがある。国や地域によって呼び名は変わるが、性能はどれも基本的に同じ。見た目はただの小さな袋だが、見た目以上に大量のモノを仕舞っておくことが出来る、といった道具だ。いつぞやクロアが使っていたのも、これと同様の物である。簡単に言えば、昨今のファンタジーではお馴染みのアレだ。
しかし『収納袋』の基本的なルールとして、『生きたモノは入れられない』というものがある。故に専らダンジョン内で得た資源や魔物素材、或いは食料、武具などを持ち運びするのに用いられている。またどういうわけか、死体であっても人間は入れられないなどといった細かいルールも多々存在している。要するに、なんでもかんでも持ち運びが出来る訳では無い、ということだ。だがそうした一部のルールを、『梱包』は突破出来てしまう。端的に言えば、『生き物を収納できるようになる』ということだ。それが何を意味するのかは推して知るべしである。
そして今回、敵は魔物を持ち込んだというわけだ。
なるほど確かに、テロや撹乱行為にはうってつけの技能と言えるだろう。アール本人の戦闘能力も高いらしく、ブリーフィングでも非常に厄介な相手とされていた。クロア曰く『多分、それほど多くは入れられないハズ』との事だが――――限界容量がはっきりと分かっていない為、楽観視するわけにはいかない。そもそも『収納袋』自体を複数持ち込まれていれば、限界などあってないようなものだろう。
「よく耐えてるけど……そう長くは保たない、かな?」
流石は対探索者犯罪用の組織というべきか。
現役の探索者や元探の隊員が多いということもあり、魔物との戦闘経験も豊富なのだろう。突如現れた魔物を相手に、治安維持部隊はよく戦っていた。とはいえ、状況を打開するほどの余力はなさそうに見える。このままでは治安維持部隊本隊が救援へと駆けつける前に押しつぶされてしまうだろう。本隊と合流出来れば状況も好転するだろうが、少なくとも各連絡橋の部隊だけでそれは望めない。
「司令部? 映像見えてるよね? 撃っちゃっていいかな?」
見かねた千里が意見具申を行えば、ほんの数秒も待たずに返事が返ってくる。
「許可します。治安維持部隊の増援が西連絡橋に到着するまでの間、『野擦』は『小夜啼』による援護射撃を行って下さい。東連絡橋には既に『ゴリラ』が向かっています」
「了解」
そう短く告げ、同時に千里は膝立姿勢を取った。
空中庭園入口の屋根上で、雨に濡れることも厭わずに。そうして千里はそっと愛銃を抱き寄せる。恋人と呼ぶには少々無骨で、愛子と呼ぶには些か大きすぎるソレを。
対探索者専用超長距離狙撃銃『小夜啼』。
迷宮情報調査室諜報一課所属、明星千里にのみ運用を許された、世界でたったひとつの専用武器だ。
外見上は、一般的なボルトアクション式ライフルとそう変わらない。しかし使用されている素材をはじめ、実際の仕様は完全に千里専用の銃となっていた。対探索者専用と銘打たれているのは便宜上、通常の銃器が通用しづらい高位の探索者を殺傷するための武器であるからだ。実際にはダンジョン内の魔物であったり、対物ライフルとして使用されることもある。
最も特徴的なのはその長い銃身と、専用のバイポッド部分だろう。バイポッドとは銃に取り付ける二脚の支持装置のことであり、重量の負担を減らす他、射撃の安定性を高める為に使用されるものである。しかし『小夜啼』のソレには、通常とは異なる用途があった。
千里が射撃体勢のまま、バイポッド部分を軽く叩く。すると二脚の下部から金属製の杭が飛び出し、それにより銃と地面を完全に固定する形となった。多少は上下左右へと銃身を動かせるものの、狙いをつけると言うには心もとない可動域である。
無論、通常のバイポッドにそのような役割はない。むしろ地面と完全に固定してしまうなど、『狙いを定めるための補助』というバイポッド本来の役割を喪失することになる。しかしそうでもしなければ、『小夜啼』はそのあまりの反動故に射撃と同時に吹っ飛んでしまうのだ。探索者の優れた身体能力を以てしても、だ。ある意味、運用するための苦肉の策と言えるだろう。
つまりこの『小夜啼』という銃は、狙いをつける前に狙いをつけ終わっていなければならない銃なのだ。
そうして失った精密性は、千里の腕と技能が担保する。
射撃と同時に吹っ飛びさえしなければ、ただ真っすぐに弾が飛びさえすれば、千里にとってはそれで十分だった。霧などなんの問題にもならない。距離、空気の流れ、気温、果ては雨による弾道への影響までも。射撃体勢に入った時には既に、それら全てが彼女には見えている。
「距離は2096メートル――――どんなに天気が悪くても、この距離なら目を閉じても外さない、かな」
斯くしてトリガーは優しく引かれる。
千里に抱かれた無骨な銃が、その名の通り美しい鳴き声を響かせた。
およそ射撃音とは思えないような、高く澄んだ歌声。
刹那、遥か数千メートル先で狼型魔物の首が消し飛んだ。治安維持部隊隊員へと襲いかかろうと飛んだまさにその瞬間、肉と鮮血を撒き散らしながら。
「うん、今日も素直でいい子だね」
まるで子供でもあやすかのように、優しく銃を撫でる千里。
そうして恍惚とした表情を浮かべつつ、再び次の標的へと狙いを定める。
「雨も酷くなってきたし……さっさと終わらせちゃおうか」
一見まともなお姉さんに見えて、所詮は迷宮情報調査室の一員ということだろうか。やはり彼女も、それなりに変人であった。




