第59話
織羽が白凪館にやってきてから、大凡三ヶ月と少し。
先の襲撃事件がまだ記憶に新しい今日この日、しかし白凪館の厨房はまったく別の理由で戦場と化していた。
「オリオリー! オーブンもよろしくねー!」
「お任せ下さい!」
バタバタ慌ただしく、それでいて無駄のない動きで。
調理担当の亜音と織羽が、広い厨房を縦横無尽に動き回っている。
白凪館の住人は僅か五人しかおらず、普段であればこんなにも忙しくなることはない。だが本日は特別な日であり、メイド達にとっては絶対に外すことの出来ない、一年で最も大切な日のひとつなのだ。故に厨房担当の二人のみならず、椿姫や花緒里も朝からいろいろと動いている。
そう。
この日、七月十日は九奈白凪の誕生日であった。
――――別にいつも通りで構わないから。
凪本人はこう言うが、しかしメイドたるもの、それを真に受けて『じゃあいつもどおりで』というワケにはいかない。
もちろん本来であれば、親しい友人達を招いてのパーティでも開催するべきなのであろう。それこそ入学以前には、父親主催の大規模パーティが開催されていたものだ。各界のお偉い方々も顔を出すような、それはそれは大層なパーティである。
しかし本人の性格上、そうした催しは非常に嫌がられる。
何しろ、既に『Le Calme』で盛大に祝われた後なのだ。ただでさえ仕事上の付き合いで辟易しているというのに、帰宅してからもパーティが控えているとなれば――――凪の機嫌が急転直下することなど、容易に想像が出来るというもの。
故に妥協案として、ささやかな誕生日パーティを内々で行う運びとなったのだ。
そもそも凪には招待するほど仲の良い友人が殆ど居ない、という問題もあったが。なお、リーナや特待生の二人を招待するという案もあったが、『恥ずかしいから』という理由で棄却されている。他人に対する態度は随分丸くなったものの、こういった根本のツン性は、やはりそう簡単には変わらないらしい。
「ガルニチュールオッケーです!」
「ありがとー! ソースとメインはこっちでやるから、前菜とお魚入っちゃってー!」
「ひー!」
厳密なコース料理を提供しようというワケではないが、それでも本来、こうしたフレンチは二人で作るようなものではない。厨房内での役職は二十を超える場合もあり、そうした何人もの料理人達が一丸となって作り上げるものだ。曲がりなりにもどうにか成立しているのは、亜音と織羽の優れた能力があってこそだった。特に織羽の持つ探索者としての能力は、今回の並行作業の鍵とも言えるだろう。前菜やサラダといった比較的簡単なものから、魚料理にスープ、果てはケーキまで。獅子奮迅の活躍を見せる織羽はすっかり亜音にも頼られ、殆ど無茶振りのような指示を雨霰と食らっていた。
そんな戦場と化した厨房に、一匹の子羊が迷い込んできた。
ホールの飾りつけを終えたのであろう椿姫が、恐る恐るといった様子で二人に声をかける。
「あ、あのぉ……何かお手伝い――――」
「そこにおいてあるやつ、全部持ってっちゃって下さい!」
「ひぇっ……は、はひ……」
流石の織羽といえど、配膳までは手が回らない。
手伝いにやってきた椿姫が、まるで救世主のように見えていた。
「オリオリ、オーブン!」
「お゛わ゛ァー!?」
出来上がった料理を抱え、慎重に運ぶ椿姫の背後。
もはや別世界と化した厨房には、二人の汚い悲鳴が飛び交っていたという。
「亜音さん、鍋ヤバいヤバい!」
「あ゛わ゛ァー!?」
* * *
次々とテーブルに並べられてゆく料理の数々に、凪は呆れるような声を零していた。
「凄い料理の数……随分と張り切ったわね……」
「朝から元気に仕込みをしていましたからね、あの二人」
朝から料理の仕込みをしていた織羽に変わり、今日一日凪のお付きをしていた花緒里がそっと呟く。今回のパーティを企画した張本人だけに、流石のメイド長も今回ばかりは、少々申し訳無さそうな顔をしていた。とはいえ彼女もまた、彼女にしか出来ない仕事を色々と行っていたため、この役割分担は仕方のないことなのだが。
そうして配膳が終わり、凪達が席についた頃。
随分と疲れた様子の調理担当二人が、メインディッシュを手にゆっくりと顔を見せた。
「ハァ、ハァ……お待たせいたしました……」
「これで……全部です……冷めない内にどうぞ……」
メイド服は疲れ切ったようにヘタり、コック帽も途中で折れ曲がっている。
凡そ料理をしていたとは思えない二人の憔悴ぶりに、凪は小さく溜息を吐き出した。
「はぁ……だからいつも通りでいいと言ったのに……飾りつけもこんなにしちゃって」
周囲を見渡せば、椿姫が気合を入れて行ったであろう花々の飾り付け。
テーブルの上にも、主張しすぎないサイズの花が上品に飾られていた。華美ではないが確かに華やかで、椿姫らしいセンスのある飾りつけだった。そんなメイド達の気合の結晶を見て、凪が気恥ずかしそうに少し広角を上げる。
「でも――――ありがとう。嬉しいわ」
そう小さく呟いた直後、しかしすぐに俯いてしまう。
今までの大規模パーティでは決して見ることが叶わなかった、凪の本心からくる喜び。なんとも珍しく、それでいて酷く初々しいその凪の様子に、メイド一同はニッコリと顔を綻ばせた。織羽は『弄りたくて仕方がない』とでも言わんばかりにニヤついていたが。
「デレましたねお嬢様! ガハハ!」
否、やはり我慢できずに弄り始める。
「クビよ」
「あっ、はい。すみませんでしたァ……」
そして次の瞬間には、いつも通りクビを言い渡されていた。
そんな下らないやり取りを行いつつ、亜音&織羽による会心の料理を楽しむ一同。これが九奈白家主催のパーティであれば、メイドが食事に同席するなどあり得ない。無論立場的に仕方のない部分はあるのだが、恐らくはそういった部分も、凪が大げさなパーティを嫌がる理由のひとつなのだろう。娘を想うあまり、はからずも正反対のことをしてしまう。九奈白家現当主は随分と不器用な父親らしい。
「ところで……」
そうして暫く、食事もそろそろ終わろうかという頃。
いい加減に我慢が出来ないとばかりに、凪が部屋の隅へと視線を向けた。そこには箱がいくつか設置されており、開封されるのを今か今かと待ちわびていた。どれも無駄に丁寧なラッピングが施されているあたり、凪への誕生日プレゼントであろうことはすぐに分かる。唯一、馬鹿みたいなサイズの巨大箱があることを除けば、だが。
「あれは一体なにかしら?」
じっとりとした目で、胡乱げに箱を指差す凪。
その異様なサイズのプレゼントボックスは、部屋の天井にまで届きそうな程の高さがあった。一般の家庭と比べても随分と天井が高い、この屋敷の天井にだ。
「ご当主様よりお預かりした誕生日プレゼントです」
「……」
「今から開けますか?」
「……いいえ、やめておくわ。あっちの小さい方は貴女達かしら?」
「はい。こっちからにしましょうか」
「そうね、そうして頂戴」
そうして怪しすぎるデカ箱から目を逸らし、メイド達からのプレゼントを受け取る凪。
「誕生日おめでとう御座います、お嬢様」
「お誕生日、おめでとうございます!」
「お、おめでとうございましゅっ、す!」
花緒里からはスーツでも使える美しいブローチを、亜音からは凪の生まれ年ワインを、椿姫からは高級アロマの詰め合わせを。祝いの言葉と共に、それぞれ手渡しで受け取った。照れくさそうに、しかし大事そうに、しっかりと礼を言いながら。当然ながらこれらの品は、凪であればどれも簡単に手に入れられるものだ。しかしプレゼントとはそういうものではない。如何に対人弱者いえど、そんなことすら分からない彼女ではない。
そうして最後に、織羽がプレゼントを持って凪の前に立つ。
「さて、いよいよ私の番ですね」
「今にして思えば……貴女と初めて会った時、随分と冷たい態度をとってしまったわね。いい機会だから謝っておくわ。あの時はごめんなさい」
「いえ、気にしておりませんよ。ではこちらを……お嬢様、誕生日おめでとう御座います」
「……ありがとう」
これまででもっとも恥ずかしそうに、顔を真赤にしながらプレゼントを受け取る凪。
ゆっくり丁寧に、しかし楽しみな気持ちを抑えられない様子で、いそいそと箱を開封する。まるで恋する乙女のような、ひどく微笑ましい光景であった。
そうして箱からプレゼントを取り出し、凪がそっと呟いた。
「……何かしら、これ」
「大胸筋矯正サポ――――」
「いらない」
「お待ち下さい。実は特注なんです。ほら、ここにお嬢様のイニシャルが」
凪がジト目のまま、サポーターを両手で摘み上げる。
目立たぬよう縫い込まれたイニシャルは、最悪と言って差し支えないダサさであった。自分の名前を下着に縫い付ける者が、一体何処の世界にいるというのか。
「……織羽」
「はい! 気に入っていただけましたか!?」
「クビよ」
こうして本日二度目のクビが宣告され、凪の誕生日は終わりを告げた。
なおこれは余談だが、凪へのプレゼントの中で最も高価だった品は、実は織羽のサポーターだったりする。貴重な素材がふんだんに使われているため、その価値だけで言えば、父親から送られた馬鹿デカいプレゼントよりも余程高い。しかし当然ながら凪が着用する筈もなく、現在は凪の部屋のクローゼットに押し込まれているとかいないとか。まさに、織羽のセンスの無さが光るプレゼントであった。
ここで二章が終わりとなりまする




