第58話
白凪学園、校舎裏。
絢爛たる校舎とは打って変わり、高い外壁と校舎に挟まれ、陽は疎らにしか当たらない。
お嬢様方がおくる華やかな学園生活に於いて、全くと言っていいほどに関わりのない場所だ。
そんな人気のないこの場所に、しかし現在はふたつの人影があった。
「はい集合、しゅーごー!」
織羽がムスッとした顔で、ぱんぱんと手を叩く。
ひどく雑なその態度からも、まだ納得していないという事がありありと伝わってくる。
「もぅ、こんなトコに呼び出して……ナニをするつもりなのかなぁ♡」
陰鬱とした校舎の影、その闇からゆっくりと溶け出すように。
にやにやと粘性の高い笑みを浮かべながら、クロアが姿を現した。
「やかましいです。さて……単刀直入にお聞きします。何故貴女がここに居るんですか?」
「えー? だって、ボクとキミはもうおんなじ存在でしょぉ?」
小さく舌を出し、ぺろりと上唇を舐めてみせるクロア。
蠱惑的とも扇情的とも言える仕草だ。顔立ちが整っていることもあり、見る者によってはドキリとさせられることだろう。しかしクロアの本性を知っている織羽にとっては、それこそ鳥肌が立つような思いであった。べっとりとこびりついた血の死の匂い。相手を舐め回すような視線。これで敵意が感じられないという事が、ただただ不気味で仕方がなかった。
「何をワケの分からない事を……メンヘラかな?」
「ヒドいなぁ。えーっと、どこにやったかなぁ……ん、あったあった。ほらコレ」
がさごそと制服の内側を漁り、クロアが取り出したもの。
学生証でもなければ、探索者証でもない。それはボタンほどの大きさの、小さな徽章であった。黒銀色の無機質な物ではあるが、上等な素材で作られていることだけはすぐに分かる。公にはされていないが、しかし織羽にとっては見慣れたモノ。見紛うはずもなく、迷宮情報調査室の徽章であった。それを目にした途端、織羽は大きくため息を吐き出した。
「はぁ……何を考えているんですかあのゴリラは……」
「ちょっとぉ、流石に傷つくんだけどー? メイドちゃんの口利きだって聞いてるんだけどなー?」
「違いますー! 私は『ちょっと面白れー女かも』って報告しただけですー!」
「あはっ、じゃあやっぱりそうじゃん! もー、ツンデレってやつかなー? 相思相愛だねっ♡」
「キツぅ」
織羽がよろめき、建物の壁に手をついてもたれかかる。
徽章の複製が不可能だということは、当然織羽も知っている。そもそも組織の存在自体が公にされていない為、この徽章が何を示しているのか、それを知っている者はごくごく僅かである。そしてこの少女が徽章を持っているということは、つまりそういうことなのだろう。
確かに数日前、追加の補助要員を派遣するという連絡はあった。
しかし織羽は、先日拠点で会った星輝姫がそうなのだと思っていた。連絡の行き違いにより順番が前後したのだと。そう思い込んでいたのだが――――だがよくよく考えてみれば、星輝姫はそんなこと一言も言っていなかった。そればかりか『ただ暇だったから遊びに来ただけ』といった旨の発言をしていた。つまり星輝姫は本当に遊びに来ただけであり、本命は目の前のメンヘラサイコ女で。全ては織羽の勘違いだったというわけだ。
成程確かに、落ち着いて考えればすぐに分かることだ。
アレはネットワークで繋がってさえいれば、どこにだって侵入出来る女なのだから。本体が現地に来る理由などひとつもない。すっかり安心しきっていた織羽は漸くその事に気づき、腹立たしいような情けないような、なんとも言えない気分になった。誰も嘘は吐いておらず、ただ自分の思い違いだったというところが特に。なおこれは織羽も知らないことだが、星輝姫は例の事件の後、ショッピングや観光をたっぷり楽しんでさっさと帰還している。閑話休題。
「はぁ……それで? 貴女はどういった指示を受けているのですか?」
「キミのサポートだってさ!」
「……天久を名乗ったのは?」
「んー? なんか偉そうなオッサンに『生徒として学園に潜入するなら必要だ』って言われてさぁ。ほら、ボク自分の姓知らないじゃん?」
「それこそ知りませんよ……」
とはいえ、今更文句を言ったところでどうにもならない。
既に送り込まれて来ていることもそうだが、そもそもが上の指示なのだ。所詮は実働の一人に過ぎない織羽には、これらを突っぱねる権限がない。無論、本気で抗議すれば意見は聞いてもらえるだろうが――――実のところ織羽は、今の状況がそれほど嫌なわけでもなかった。隆臣にはムカついていたが。
一番の問題は、クロアが一体何処まで知っているのかということだ。
探索者としての順位は既にバレている。織羽が自分でバラしたのだから、これは完全に自業自得である。もう二度と会うことはないと思っていたのだから、仕方のないことではある。だが順位がバレているということは、調べれば性別が分かるということだ。
探索者協会のデータベースに載っている情報は基本的にみっつ。名前、性別、そして魔物の討伐数といった大まかな実績だ。
探索者としてダンジョンで活躍するには、探索者登録がどうしても必要となる。しかし当然ながら、周囲に知られぬようこっそり活動したい者は大勢居る。そうした者達のプライバシーを守るため、名前に関してのみ、希望すれば秘匿することが出来るようになったのだ。時代の変化に対応したというべきだろうか。全ての情報が強制的に公開されていた昔と比べれば、探索者協会も随分と柔軟になったものである。無論、不正防止等の観点から言えば、どちらも一長一短ではあるのだが。
徽章を持っている以上、クロアは既に身内――誠に遺憾ながら――となっている。
故に、クロア本人に性別がバレるのは問題ない。否、精神的な問題はあるが――――少なくとも任務上は問題ない。
だが織羽は彼女のことをよく知らず、どの程度信頼して良いものか、その判断が出来ないのだ。織羽の性別については何も知らないか、或いは秘密を守れるのならばそれで良し。だが口が軽いようであれば、今のうちにしっかりと釘を刺しておかなければならない。
「……貴女はどこまで知って――――」
そうして織羽が、問い詰めようとした時だった。
「それで!? 今からここでヤるの!?」
「いるので――――は?」
言葉を最後まで紡ぐより先に、クロアが喜色満面といった様子で声を上げた。
そればかりか、いそいそと細身の長剣を取り出す始末である。例の収納袋を携帯しているのだろう。ほんの僅かな間にすっかりと戦闘態勢を整えていた。
「いやー! まさか、キミの方からお誘いが来るなんて思ってなかったよ! それもこんなに早く!」
「いえ、あの」
「ふふふっ! あっ、心配しないで! 怪我はもうバッチリ治ってるからさ!」
織羽の声が届いているのか、いないのか。
弾むようにスカートを翻し、スキップしながら間合いを取ろうとするクロア。初めて出会ったときから何ひとつ変わることなく、どうやら彼女の脳内は戦闘一色であるらしい。
(あっ……やっぱアホだコレ)
仮に性別を知られていようと、いまいとに関わらず。
この少女から織羽の秘密が漏れることはなさそうであった。
「はぁ……アホでよかったぁ」
ついそのまま溢れた内心も、興奮しきりのクロアには聞こえていなかったらしい。
「ほらほら! 早くあの箒出しなよ!」
「馬鹿ですか貴女は。やりませんよ」
「……え゛っ」
辛辣な言葉を受けた、ぽかんとした表情で口を開けるクロア。
まるで『嘘でしょ?』とでも言いたげな、そんな視線を織羽へと向ける。
「いいから、その物騒なモノをさっさと仕舞って下さい。ここは優雅で可憐なお嬢様学園です。戦闘なんて以ての外ですよ」
「そんなぁ……あっ……んふふ♡ もしかして焦らしプレイみたいなヤツかな!? いいよいいよっ、楽しみはとっておいてあげる!」
「ダメだコイツ」
この戦闘大好き電波少女は、確か自身のサポートとして送られてきたのではなかったか。
ただでさえ面倒な任務に就いているというのに、これでは面倒要素が更にひとつ追加されただけではないのか。ここには居ない二人の上司――頼りにならないほうと、頼りになるほうの両方だ――の顔を思い浮かべ、織羽は今日何度目かになるため息を吐き出した。
「はぁ……とりあえず、大人しく学園生活でも楽しんでいて下さい。手が必要になったら連絡しますので……」
「はーい! あ、じゃあ連絡先交換しよっ♡ ほら、みてみて。スマホ支給してもらってるんだー! おそろいだねっ」
心底嬉しそうにスマホを取り出すクロア。
それは情報調査室専用の、短距離間であればダンジョン内でも使用可能な特別製のスマホであった。
「それは緊急用です! それとは別に、普段使い用のスマホも渡されてるでしょう!?」
「えー、こっちダサーい」
「うるせぇなぁコイツ」
「あははははは!」
校舎裏の湿った空気の中、織羽の苛立ちと、クロアの楽しそうな声が木霊する。
そうしてやいのやいのと揉めつつも、どうにか連絡先を交換した後のこと。織羽はさっさとこの場を後にしようとして――――しかし、クロアに呼び止められた。
「あ、そうだ」
「……まだ何かあるんですか?」
織羽が鬱陶しそうな顔で振り向けば、にやりと小悪魔的な笑みを浮かべるクロアの姿があった。
やはりどこか陰を感じさせるが、しかしその顔は――――
「これからよろしくね、一位のつよつよメイドちゃん♡」




