第57話
「……本気ですか?」
苦虫を噛み潰したかのような渋面を作りつつ、月居密は疑義を呈する。
対するは彼女の上司、ゴリラこと天久隆臣だ。古傷のある強面に無精髭。国営組織の室長というよりは、むしろ犯罪組織のボスとでも言ったほうがしっくりくるような、そんな風貌をしている。それほど厳つい男が真面目に書類仕事をしているのだから、なかなかにシュールな光景であった。
「駄目か?」
「馬鹿なんですか? 駄目というか、無理でしょう」
そんな二人が今、何事か揉めていた。
室内には他に誰もおらず、その所為か密の言葉には容赦がない。凡そ上司に対する言葉ではない、辛辣な罵倒が飛び出していた。
「そもそもの話、何故急にそのような事を?」
「人手不足だから」
「……本当にそれが理由ですか? でしたら、正規の手順で職員を抽出すればよろしいかと」
「はぁ……そうそう使える奴なんかいるかよ」
隆臣が大きなため息を吐き出し、無駄に偉そうな椅子へと背中を預ける。
その鍛え抜かれた肉体故か、ぎしりと、背もたれが小さく悲鳴を上げた。それを気に留めることもなく、隆臣はおもむろに煙草を取り出し咥える。
「つーかお前も分かってんだろ? こうなった以上、いくらアイツでも一人じゃカバーしきれん」
「現状のままでは織羽の負担が大きすぎる……という話は理解出来ます。補佐役を送ること自体には賛成です」
「だろ?」
「ですが!」
普段から冷静な彼女にしては珍しく、大きな声を上げる密。
手にしていた書類をテーブルに叩きつけ、今にも噛みつかんばかりの勢いで隆臣に迫ってゆく。
「それが何故、彼女になるんですか!?」
「強いんだろ?」
「そういう問題ではありませんっ! いいですか? 彼女は敵なんです! てーき! 敵ッ!」
隆臣が咥えた煙草を取り上げ、まだ火の点いていないそれをぐりぐりと灰皿に押し付ける。室長であり国内最強とも呼ばれる隆臣とて、今の密には少々恐怖を覚える程であった。
「……スカウトだよ、即戦力のスカウト。織羽ん時と一緒だよ」
「織羽とは立場が違うでしょう! 在野の探索者をスカウトするのとはワケが違うんです!」
「報告書を見た限りじゃあ、あんま変わんねぇと思うがなぁ……」
「どこがですか! 全然違うじゃないですか! 共通点なんて精々が『変人』なことくらいです!」
成程確かに。
客観的に見て、密の言っていることは正しいのだろう。漫画の世界でもあるまいし、敵だった者を味方に引き入れるなど。仮に上手く手懐けられたとして、しかし一度組織を裏切った者がもう一度裏切らない保証はどこにもない。獅子身中の虫となる可能性は大いにある。それが密の意見で、普通の反応だろう。
しかし隆臣から見た彼女は少し違っていた。
まだ写真で顔を確認した程度だが、しかしなんとなく匂うのだ。色濃い同類の気配が。
行動にも疑問点が多いし、それに何よりも――――
(織羽の報告書が、なんつーか……庇おうとしてる様に見えるんだよなぁ)
隆臣が手元に視線を落とせば、そこには織羽から送られてきた報告書があった。そしてテーブルの上には、後処理を行った職員からの報告書。
その記載内容を見比べた時、どうしても拭えない違和感があった。
織羽の報告書に曰く。
高い戦闘能力を保有、かつ好戦的。
なれど精神に異常性は見られず、会話による意思疎通は可能。
職員の報告書に曰く。
非常に好戦的、かつ異常性大。
ふたつの報告書に共通している部分など、好戦的という部分しかないのだ。
戦闘力に関しては、直接戦った織羽にしか分からないことであろう。職員の報告書に記載がないのは仕方がないことだ。かつ、あの織羽が強いというのであれば、それに関しては疑う余地がない。故に、ここは問題ない。
だが精神性の部分に関しては、全く正反対の内容である。
更に織羽の報告書には、別に書かずともよい一文までもが記載されている。まるで『面白いので、一度会話してみては?』とでも言わんばかりに。
こんな文章を織羽が寄越すのは、隆臣の記憶では初めての事だった。
普段から飄々としており、大抵のことは涼しい顔で熟してしまう織羽。だがその実、彼の内面が非常に面倒で、不安定で、ひどく不器用な生き方をしていることを隆臣は知っている。そんな織羽がわざわざ付け足した一文が、隆臣にはどうしても気になるのだ。
過去のトラウマに依るものか、年下には滅法弱い――実際には織羽よりも少し年上なのだが――織羽のことだ。恐らくは、暗に彼女の助命でも訴えているのだろう。これは織羽の美点であり、かつ数少ない致命的な弱点のひとつでもある。無罪放免にしろとは言わないが、僅かなりとも便宜を図ってやって欲しい、といったところか。襲撃を受けたばかりだというのに、随分とまぁ優しいことである。
(……どっちにしろもう自分には関係ない事だ、とか思ってんだろ。ククク……)
織羽はただ『殺してしまうことはない』といった程度の考えで、この一文を追加したのだろう。
まさか自分の補佐役として送り込まれてくるなど、夢にも思ってもいない事だろう。そう考えれば考えるほど、隆臣はあの少女を使いたくなってしまう。ただ処分するよりも、そのほうがずっと面白いであろうから。無論、即戦力として使えることにも期待していたが。
(だがまぁいずれにせよ、先ずは一度会ってからか)
使うにしろ、使わないにしろ、先ずは自身の目で見極めなければ話にならない。
なんだかんだと言っても隆臣はひとつの組織の長なのだ。面白そうだからという理由だけでは、流石の彼も元敵を使うなど出来はしない。そう結論を下し、漸く思考の海から戻ってきた隆臣の前では、未だに密がキレ散らかしていた。
「聞いてるんですか!? この脳筋クソカスゴリラ!」
「……聞いてなかったからってボロクソ言い過ぎじゃね?」
この数日後、迷宮情報調査室には新たなメンバーが加わることになる。
相変わらず一癖も二癖もある者ばかりだが、組織としての戦力は確実に向上した。




