第48話
経済的な苦労を知らず、何ひとつとして不自由したことのない世間知らずの少女。
『お嬢様』を定義するとすれば、概ねそんなところだろうか。
では『お嬢様』という人種に対して、一般的にはどんなイメージがあるだろうか。
上品で淑やかで、美しい蝶や花のような存在だろうか。きっちり躾けと教育を施された、他の模範となるような存在だろうか。あるいは、わがまま放題のトラブルメイカー的存在だろうか。それらは十把一絡げに出来るものではないが、さりとてイメージというものはどうしても付いて回る。つまり一口に『お嬢様』といっても、家格や本人の性格などによってピンキリだということだ。
そんなピンからキリまである中で、共通して言えること。
それはやはり、特別な生まれに起因する気品や落ち着き、あるいは優雅さといったものではないだろうか。たとえトラブルメイカー型の暴れん坊お嬢様であったとしても、その所作の端々からは厳しい教育の気配を感じさせるだとか。本人の思想はどうあれ、はしたない姿は見せないだとか。プライドや気位と言い換えてもいい。少なくとも、大半の者が『そうであってほしい』と思うのではないだろうか。
しかし現在。
お嬢様方は、そんな大半の者が抱くであろうイメージとはかけ離れた姿を見せていた。
「ちょっ……何!? どういう状況ですの!?」
髪を振り乱し、制服のスカートをばっさばっさとはためかせ。
そんな一団の先頭を、国宝院シエラが走っていた。制服が少し汚れているのは、恐らく先の煙幕や砂埃のせいであろう。
周囲を見てみれば、他の実習参加者もシエラと同様であった。
いや、それよりも酷い有様だ。普段、それほど激しい運動をしているわけでもない彼女らだ。ほとんどの者が突然の出来事に息を切らしていた。煙幕を思い切り吸い込んでしまったせいか、ある者はゲホゲホと激しく咳き込んでいる。現在の彼女たちには、気品や優雅さ等といった要素が皆無であった。
一体これはどういう状況なのか。そんなシエラの疑問に答えられる者など居ない。
突然視界を覆った真っ白な煙。何事かを叫ぶ声。誰もがよく分からぬまま、何かに導かれ、尻を蹴飛ばされ、背中を押され、半ば無理矢理に手を引かれた。そうして気づけば、理由も分からないままに走っていた。引率であるはずの八神教諭でさえそうだった。
「詳細はわかりません。ですが、逃げるチャンスは今しかないと思いました。皆様方、先ほどはご無礼申し訳ありませんでした」
そう語るのは花車騎士のリーダーだ。
彼女はあの時咄嗟に行動を起こせた、数少ない人間のうちの一人である。現在は傷で痛む足に鞭を打ち、実習参加者の手を引きながら走っている。見れば他のパーティメンバー達も、それぞれがお嬢様方の面倒を見ながら走っていた。どうやら花車騎士のメンバーは、全員が咄嗟に行動出来たらしい。混乱するお嬢様方を背負ったり、もしくは横抱きにしたまま走っているあたり、流石の身体能力と言うべきだろうか。
「一体何が起きたの!? あの煙は何!? 敵はどうなったんですの!?」
「分かりません。ですが一先ずは躱せたようです。このまま探協まで一気に逃げましょう。探索者ではない皆さんには辛いかもしれませんが……今は頑張って頂くしかありません」
花車騎士とて、状況を把握しているわけではない。絶体絶命のピンチに突如として舞い込んだ好機、それに全賭けしただけである。とはいえ、あのまま硬直していてはどのみち詰みだったのだ。彼女の判断は正しかったと言えるだろう。優先順位を誤らないということは、探索者にとって最も大切な素養のひとつである。
あの時花車騎士の面々は、誰かの声を聞いた気がしていた。
『全員を連れて走れ』という男の声を、恐らくは二人分。もしその呼びかけがなかったら、然しもの花車騎士とて動けなかったかも知れない。そもそもの話、呼びかけ自体が気の所為だった可能性もある。あの時はそれほど状況が混乱していたし、今も混乱しているのだから。
だが、そんなことは重要ではない。彼女らの使命は、お嬢様方を無事に地上へ帰すことだ。
故にリーダーは心の中で、気のせいかも知れない誰かに感謝を告げた。あわよくば、再び会えることを願って。
なお、煙幕の中で花車騎士に声をかけ、お嬢様方の手を無理矢理引いた者の正体はルーカスだ。
背中を押したのが凪で、ケツを蹴り飛ばしたのが火恋である。
織羽がルーカスへと作戦を伝え、ルーカスがそれを承諾。
そのまま凪達へと説明し、他の生徒たちを逃がす為に動いたのだ。無論凪以外の者は困惑したが、妙に必死な様子のルーカスに押し切られる形となった。
「……こんな馬鹿馬鹿しい作戦、よく乗る気になったわね」
一団の最後尾を走りながら、凪とルーカスが小声で言葉を交わす。
「確かに荒唐無稽な話です。六桁の元探がアレらの足止めをするなど、冗談を通り越して狂気の沙汰ですよ」
「ならどうして? まさか本当に、例の『借り』が理由というワケではないのでしょう?」
「……俺も腕には覚えがあります。一度手を合わせれば、彼女が俺より強いことくらい分かりますよ。それも遥かに、です。恥ずかしながら気が動転して、あの時は気づきませんでしたが」
「……貴方ほどの実力者から見ても、やっぱりそうなのね」
ほぼほぼ確信しつつも、しかし凪がこれまで自信を持てずにいた部分。戦闘素人の自分では情報が不足していた為に、紙袋と織羽を結びつけられなかった。しかし今、ルーカスの言葉を聞いた凪は、足りなかったピースがようやく埋まったような気がしていた。あの時の紙袋は、やはり織羽で間違いないのだと。
「というと……もしや、ご存知だった訳ではないのですか?」
「九割方、といったところかしらね。あの子、実力を隠したいみたいなの。問い詰めても誤魔化すし、だからといって無理矢理聞き出すのもちょっと、ね」
「そうでしたか……先の模擬戦での振る舞いを見れば、恐らくそうなのだろうとは思っていましたが。では俺も、口外しないように致しましょう」
「そうしてくれると助かるわ」
そんなルーカスの言葉に、凪は一先ず安堵の息を零す。
無闇に探りを入れれば、あのメイドはふらりと姿を消してしまいそうな気がしていたから。
「……あの子は大丈夫かしら」
「正直に申し上げれば、俺には分かりません。敵は両者とも、間違いなく規格外でした。下手をすると二桁上位か、或いは一桁に近いかも知れません」
「なッ……!?」
繰り返しになるが、凪は戦闘に関しては素人だ。敵の実力など分からない。ただ花車騎士やルーカスが手を出せなかったということから、かなり強いのだろうと予想したに過ぎない。それでも、あの時目の当たりにした織羽の実力であれば。そう思ったが故に、この馬鹿馬鹿しい策にも素直に従った。
だが流石に、相手が一桁近い実力者だとは予想していなかった。
一桁といえば探索者の頂点だ。その実力はほとんど化物、人外だとすら言われている。いくら織羽が強くとも、そんな化物級の相手が二人となれば――――
「ですが」
しかしそんな凪の動揺は、続くルーカスの言葉によって相殺される。
「彼女もまた、底が知れません。少なくとも簡単にやられはしないでしょう。多分、恐らく……いや、その筈……」
そう語るルーカスの表情は、自信ありとは言い難い微妙なものであった。




