第43話
白凪学園のダンジョン実習は、毎年学年ごとに行われる。
だが希望者のみというスタンスもあってか、その参加者は多くない。
そもそも生徒の大半が、今まで蝶よ花よと育てられてきた温室育ちのお嬢様ばかりなのだ。現場を自身の目で見ておくという事の重要性が、今ひとつピンとこない。将来の為になると分かっていても、まだまだ自分には関係がないと考えてしまう。要するに、有り体に言って世間知らずなのだ。逆を言えば、今この実習に参加しているお嬢様方は、しっかりと先のことを見据えていると言えるだろう。つまりここには一部を除き、将来有望な経営者の卵――何名かは既に経営者として活躍している者もいたが――ばかりが集まっているということになる。
そんな少数精鋭のお嬢様方達は、現在ダンジョン入口へと集まっていた。
眼の前に聳える大きく重厚な扉は、大男が数十人で体当りしてもビクともしないであろう。扉に施された細やかな装飾が、しかし何故だか異質なものに見える。眼の前にあるのはただの扉であるというのに、まるで今にも口を開き、そのまま全てを吸い込んでしまいそうな――――そんな感覚だった。
平和な日常の中に切り取られた、今までの常識が通用しない世界。ダンジョンとはある意味、異世界のようなものだ。
参加者達の感じた異質な気配は、彼女らの抱える不安や緊張といったものが、形を変えて表れたものなのかもしれない。
「全員揃っていますね。それでは早速行きましょうか。探索者の皆さん、本日はよろしくお願いいたします」
八神教諭はそう言うと、本日のお守りを務める探索者パーティへと一礼する。
今回護衛として同行するのは、腕のたつ中級パーティとして知られている『花車騎士』の五人である。
『花車騎士』はギルド『黄金郷』に所属する、女性のみで構成されたパーティだ。中級とはいうものの、それは競争の激しい九奈白市内での話に過ぎない。メンバーの殆どが五桁、ないし六桁であり、二名だけだが四桁もいる。少し地方に行けばたちまちトップの仲間入りをするであろう、非常に有力なパーティであった。そして何より、彼女の身内でもある。
「彼女たちの腕は私が保証致します。どうぞ皆さん、大船に乗ったつもりでのんびりと見学してくださいまし」
何故か得意げな顔をして、妙に腹立たしい声色でシエラが言う。
そう、『黄金郷』は国宝院家が経営するギルドだ。つまりは完全な身内贔屓によるゴリ押し推薦である。
とはいえ、今回の護衛にうってつけであることは間違いない。
白凪学園は女学園である為、出来れば護衛につくパーティは同性の探索者であったほうがいい。事実、この場にはルーカス以外に男性が居なかった。
当初の意気込みはどこへやら。彼が先程から微妙に居心地悪そうにしているのは、そのあたりが原因なのかもしれない。
今回の実習は希望者が少なかった為、グループを分けずに全員で移動を行う予定となっている。
故に、護衛のパーティは『花車騎士』の一組だけだ。しかし実習はごく低層、具体的には一層から二層までの範囲で行われる。だというのに現役パーティの『花車騎士』に加え、学生ながらも既に活躍中の国宝院シエラもいる。恐らくはこの中で最も順位が高いであろうルーカスと、それに駆け出しながら戦闘経験のある莉子と火恋もいる。情報面では元協会職員の八神教諭が居る。これでも戦力は過剰な程であった。
「ある程度は想定していたけれど……あのバカ、ただの実習にあんな面子を連れてきて。そんなに自慢したかったのかしら?」
「フル装備の軍人に守られながら公園で遊ぶ、みたいなものですかね」
「言い得て妙だわ。これじゃ逆に落ち着かないわよ……見なさい、周囲から向けられるこの奇特の目を」
「とても微笑ましい目で見られてますね。でもまぁ、いいんじゃないでしょうか。参加者が参加者ですし、何かあったら困りますから」
そんな凪の言葉通り、白凪学園一行は酷く浮いていた。
ただでさえ小綺麗な制服姿で目立っているというのに、高名な『花車騎士』まで引き連れて。これでは殆どサファリパークではないかと、凪は頭を抱えていた。しかし戦いたくない織羽からすれば、これは非常にラッキーな展開であった。仮に何かの間違いで強力な魔物が出たとしても、これならば十分に対処が可能だろう。
「わ、本物の『花車騎士』だ……すごいね、火恋ちゃん!」
「そうだね。私みたいな駆け出しでも、すごく強いのが見ただけで分かるよ。なんだろう……強者のオーラみたいな感じかな?」
「戦ってるところ、見てみたいなぁ!」
凪がシエラに呆れる一方、一般人代表の莉子と火恋は目を輝かせていた。
上位の探索者パーティというのは、そう簡単にお目にかかれるものではない。普段はギルドに詰めている事が多いし、いざ探協にやってきたかと思えば、すぐにダンジョンへ潜ってしまうパーティが殆どだからだ。例えるなら、芸能人を街中で見かけた時のような感覚だろうか。駆け出しの二人が喜ぶのも頷けるというものである。見れば他の実習参加者も、二人と似たような反応を見せていた。流石は将来を見据えた精鋭お嬢様、といったところか。恐らくは以前より、『花車騎士』のことは知っていたのだろう。
そして、そんな者たちとは別にもう一組。
そこにはやたらと対抗心を燃やす、海外勢の姿があった。
「どうやら有名な方々のようですねっ! どうですかルーカス、あなたとどちらが強いんですかっ!?」
「何故張り合う……まぁなんだ、見たところ戦闘能力は俺のほうが高い。おそらくは、だが」
「ですよねっ! 流石ですルーカス! 今日は彼女たちに負けないよう、ぜひ頑張ってくださいねっ!」
「俺はただの後備であって、戦う予定は今のところないんだが……?」
「いけませんよ、そんな消極的ではっ! 今日はあなたの運動不足解消も兼ねているんですから、獲物を奪うくらいの気持ちでいきましょうっ!」
「つまみ出されるだろ……」
従者を自慢しようと考えていたリーナである。
毒気がない分まだマシではあるが、考えていること自体はシエラと同レベルであった。
「それではこれより、白凪学園第一学年のダンジョン実習を始めます。皆さん、先ほど説明差し上げた注意点をくれぐれ忘れぬように。はい出発ー」
まさに引率といった風なセリフを吐きながら、八神教諭が手に握った旗を降る。
その姿はバスツアーのガイドも斯くや、といった様子であった。
「はぁ……雰囲気が台無しだわ……ただの実習とはいえ、まるで緊張感がないのも困るのだけど」
「まぁまぁ。ダンジョンといっても、低層なんてこんなものですよ」
そう言葉にはしつつ、しかし当の凪本人にも緊張感は殆ど見られない。
そうしてダンジョンへと入ってゆく一団の、その最後尾を織羽と凪が並んで歩いていった。




