第42話
木製のカウンター、テーブルと椅子、そしてスイングドア。
探索者協会のロビーは、そんな如何にもといったような場所ではなかった。
綺麗に配置されたいくつもの長椅子、協会のシンボルを象ったモニュメント。観葉植物に談話スペース。殆ど病院の待合室か、或いはホテルのロビーのような光景であった。
然もありなん。ここはファンタジーの世界ではなく、現実世界なのだ。コンセプトカフェでもあるまいし、イメージよりも機能を優先するのは当たり前の事。もちろんそれっぽい意匠も多少は散見されるが、全体で見れば無いに等しい。
奥にはカフェスペースも存在しており、数名の探索者達が会話に花を咲かせていた。
普段から多くの探索者が暇を潰している人気のスポットだが、本日は学生たちが実習に来るということもあって、客入りはいまいちだった。
そんなロビーを抜けた先、いくつかある多目的ルームのひとつにて。
ダンジョン実習の受講を希望した白凪学園の生徒達が、真剣な表情で事前説明を受けていた。といっても、人数で言えば15名前後といったところ。それぞれの連れている従者や護衛を含めても30人に満たない。将来のためとはいえ、自らの目で現場を見ておこうとする生徒は多くないのだ。
「では、これで説明を終わります。なにか質問のある方はどうぞ」
本日の引率を務めるのはもちろん、元協会職員の八神環教諭である。
ダンジョンに入るための手続きは意外と多い。事前に記入するだけでよい書類もあれば、現地で行わなければならない手続きもある。そうしたあれこれは、経験者でなければなかなかスムーズには進められないもの。つまり彼女は、ダンジョン実習の引率にはまさにうってつけの人材だということだ。
「よろしいでしょうか」
質問はないかと聞かれ、一人の生徒が間髪入れずに挙手をする。
少しツリ目がちだが整った顔立ち、そして派手な金色の髪。九奈白凪と並び、学園内では知らぬ者など居ないもう一人のお嬢様。国宝院シエラがスッと背筋を伸ばしたまま、はしたなくない程度に手を挙げていた。
「どうぞ、国宝院さん」
「これから仮の入場許可証を発行するというお話でしたけれど、既に探索者証を持っている者はどういたしますの?」
ダンジョンに入るためには協会の許可が必要。これは探索者に限らず、一般人ですら知っている常識である。
だが探索者になれば発行される『迷宮探索及び戦闘許可証』、通称『探索者証』が入場許可証としての効力を持つため、既に探索者として活動しているシエラには許可証が必要ないのだ。要するに彼女の質問は『そんな面倒な手続き、既に許可証のある私には必要ないですよね?』という意味である。どうやら足並みを揃えるつもりは一切ないらしい。
「既に許可証をお持ちの方はそちらを使用してください。別途手続きをする必要はありません。確か、櫛谷さんと皐月さんの二人も既に活動されていましたね。従者や護衛の方々も、自前のものをお使いください。意外と知られていませんが、そもそも許可証は仮であっても、複数発行が認められておりませんので。なので現時点で許可証をお持ちでない方のみ、こちらで手続きを行います」
「それを聞いて安心しましたわ」
「はい。では、他に質問のある方は?」
そう言って八神教諭が部屋内を見回す。
だがここにいるのは特待生の二名を除き、正真正銘のお嬢様ばかりである。当たり前のように世間知らずであり、探索者のあれこれなどまるで知らない者ばかり。むしろ、それを学びに来ているといってもいい状態なのだ。彼女らに言わせれば『何が分からないのかが分からない』というのが正直なところである。故にシエラの質問以降、挙手をする者は誰もいなかった。
「……まぁ、そうですよね。では分からないことがあったら、その都度私に聞いて下さい。大抵のことには答えられますので」
八神教諭もそれをわかっているのだろう。質問コーナーは早々に打ち切り、随時答えていくシステムへと切り替えた。
「では、許可証を発行される方は手元の書類へ記入をお願いします。必要ない方は――――適当に雑談でもしておいて下さい」
* * *
凪がそわそわと、何かの動向を窺っていた。いつも冷静沈着な凪にしては、随分と珍しい態度であった。
そんな凪の視線の先には、キリッとした顔でボケっと突っ立っている織羽の姿があった。
凪は別に、織羽の顔を見つめて浮ついているわけでは――恐らくは、だが――ない。ただ彼女は、今回のこれをチャンスだと考えているのだ。
許可証を持っている者は、自前のそれを使う。そして探索者証には、その者の順位が記されている。それはつまり、織羽の順位を知るまたとない好機であるということ。そもそもの話、凪は織羽の探索者証を見たことがない。本来であれば従者として採用する際に確認しておくべき物だが、そこはそれ。あの頃の凪にとっては、そんなものは酷くどうでもよいことであったから。
しかし今は違う。
凪の目がイカれていたわけではないのなら、織羽の正体は例の紙袋メイドで間違いないのだ。
あの強さは、どう考えてもそこらの探索者崩れではあり得ない。遠回しに探索者証を見せてくれと言ったこともあったが、しかし織羽はいつも、これをのらりくらりと誤魔化してしまうのだ。
織羽の正体を無理やり探ろうというわけではない。別に順位を知ってどうこうというつもりもない。さりとて、気になるものは気になるのだから仕方がない。故に凪は、織羽が探索者証を提出しに行くその瞬間を見逃さぬよう、今か今かと待っているのだ。
「……お嬢様。先程から何故、私の方をチラチラ見ているのですか?」
「べっ、別になんでもないわ。気にしないで頂戴」
「怪しいですね……」
「いいから! ほら次、貴女の番よ」
凪がそう言って前方を指差す。
そこではルーカスが、慣れた様子で探索者証の提出を終えていた。
「おや。では私も行ってまいります」
「一人じゃ不安でしょう? 私もついて行ってあげるわ」
「は? いえ、結構ですが」
「いいから! ほら、行くわよ」
半ば無理やり、殆ど勢いだけで織羽の尻をぐいぐいと押す凪。
そんな凪らしからぬ行動に、一体何を考えているのかと織羽が小首を傾げる。だが結局凪の考えはわからぬまま、いつの間にかカウンターの前まで押し出されていた。
「ふふふ、仲が良いんですね。それでは、探索者証の提示をお願いいたします」
受付嬢から優しく許可証の提出を求められる織羽。何やら妙な勘違いをされている気もしたが、面倒故か訂正をすることはなかった。
そうして懐に手を伸ばし、いよいよ織羽が探索者証を取り出した。その瞬間、一文字たりとも見逃すまいと凪の瞳が見開かれる。
織羽がカウンターの上に提示したのは、協会の紋章が背面に刻印された白いカードであった。
そこに記されていた文字は――――
「……278426位?」
「ちょっと、読み上げないで下さいよ。恥ずかしいじゃないですか」
「……六桁?」
「ちょっ、なんですかそのジト目は!? 六桁で悪かったですねぇ!」
織羽を見つめる、じっとりとした胡乱の瞳。
凪は何度も、カードと織羽の顔を見比べる。まるで『そんな訳あるか』とでも言いたげに。
六桁といっても、別にそこまで低い順位ではない。
世界中に存在する探索者内の順位だと考えれば、むしろ高い方とさえ言える。だがしかし、凪にはどうしてもそれが信じられなかった。凪があのとき見たあの強さは、決してそんなレベルのものではなかったから。しかし探索者証は紛れもなく本物だ。偽造など出来るものではないし、何よりも今、一切のお咎めなく受付嬢に受理されている。
引退してから強くなった可能性もゼロではない。
一瞬そう考えた凪であったが、瞬時に考えを改める。
果たして本当にあり得るだろうか。
引退したということは、そもそもダンジョンに潜るのをやめたということだ。それであのレベルまで強くなるものだろうか。
――――否。引退後の日常生活で強くなったというには、いくらなんでも無理がある。
では許可証が偽物なのだろうか。
――――否。現にこうして受理され、なんの問題もなく使用できている。
そもそも引退しておらず、未だ現役なのだろうか。
――――否。軽く調べた限り、織羽のものと思しき探索者の情報は見つからなかった。
では最初から、自分の勘違いだったのだろうか。
――――否。それはあり得ない。しかし、そうであるならば。
「……どういうこと?」
頤に手を当て、何やら思索に耽り始める凪。
それを視界の端に捉えながら、恙無く入場許可を得た織羽が、何事もなかったかのような済まし顔で凪へと振り返る。
「さぁさぁお嬢様、そんなところで突っ立ってたら邪魔になりますよ。ほら、行きますよー」
「そんな筈は……いえ、でも……どういうことなの……どういう?」
「はいはい。よく分かりませんけど、続きはあっちで考えましょうねー」
来たときとは打って変わって、今度は凪が織羽にぐいぐいと押し出されてゆく。
結局いくら考えても、凪の疑問が解けることはなかった。




