第39話
前話(第38話)を飛ばしてしまうというミスが発覚しました
なので是非、一つ前からご覧下さい……!
「ルールはどうする?」
「うぅん……私はじめてなんですよね、こういう事するの……」
「……わざとそういう言い方をしているだろう」
「おや、バレましたか」
渋い顔でルーカスがそう言えば、織羽が戯けたようにぺろりと舌を見せる。
確かに顔立ちは綺麗だが、しかし所詮は色恋に疎い織羽のやることだ。表情は色気もへったくれもない真顔であるため、ルーカスにはあっさりと見抜かれてしまう。これも織羽なりの冗談なのだろうが――――こういったネタを繰り出すようになったあたり、織羽もすっかり染まりつつあるということか。
「そうだな……流石に本気の殴り合いというわけにはいかんだろう。先に相手の手を掴んだ方の勝ち、というルールでどうだ?」
「私はそれで構いませんよ。ちなみにソレ、探索者の間では一般的な試合方法だったりするんです?」
「この国ではどうか分からないが……俺の故郷では割と普及していたな。どちらかといえばお遊びに近いが、これで意外と奥が深い」
「へぇ……」
織羽からすれば、組手の方法などはっきり言って何でもよかった。
素手でもいいし武器使用でもいい。訓練形式でもいいし、実戦形式でもいい。たとえどんな場所、どんなルールだったとしてもそれなりの形にはするつもりでいた。だがルーカスから提案された方法は思いの外平和的というか、少し拍子抜けするような内容であった。
だが成程。
少し考えてみれれば確かに、これはこれで悪くはない。
言うまでもなく、戦闘中に相手の手首を掴むというのは非常に難しい。
恐らくは最も激しく動く箇所であろうし、かつ最も早く動く箇所だ。有効部位としては小さいが、素手で攻める際には狙われやすく、守ろうとすれば攻撃が出来ない。仕掛けるタイミングをはかったり、或いは逆にカウンターを狙ったり。そういった駆け引き要素も生まれることだろう。その上で危険性はほとんどなく、事故に繋がりにくい。なかなかどうして、ちょっと面白そうではないか。織羽はそんな風に考えていた。
ちなみにこれは日本に於いても、探索者同士が試合をする際のルールとして広く知られている。
ダンジョンに潜っていた頃は独りだった。そしてそれ以降、上司のゴリラとはガチめの殴り合いばかりをしていた。そんな織羽がこのルールを知らないのは、ある意味仕方がないことなのかも知れない。
だがこのルールを知らないという時点で、現役の探索者達からは奇妙に思われるだろう。
一方、ルーカスはこの国の探索者事情に明るくなく、変に怪しまれるようなこともない。故に今ここでこの話を聞けたことは、織羽にとっては幸運以外の何物でもなかった。
「それじゃ、開始の合図は私が出すからねー!」
少し離れたところから、大きな声で亜音が叫ぶ。
それを受け、織羽とルーカスは距離を取って向かい合う。どうやら本当に訓練相手を欲していたのだろう。ルーカスの表情はとても模擬試合とは思えない、ひどく真面目なものであった。或いは、主人であるリーナにいいところを見せようとしているのかもしれないが。
「見合って見合ってー……はじめっ!」
そんな怪しい掛け声と共に、亜音が腕を振り下ろす。
(……相撲かな?)
既に試合は始まっているというのに、織羽は呑気な事を考えていた。
しかし対するルーカスは違う。待ちに待った運動不足解消の機会なのだ。自分で模擬戦を提案したということもあってか、一切のあそびもなく距離を詰めてくる。亜音が合図を出してから僅か数秒、彼は既に織羽の手首へと狙いを定めていた。
「余所見は感心しないぞ」
流石は四桁探索者というべきだろうか。ルーカスは既に攻撃を繰り出しており、その右手は真っ直ぐ、最短距離で織羽へと迫っていた。とはいえ、攻撃自体はそれほど速くなかった。ある程度の実力があれば回避出来るかどうか、といったくらいのものだ。先の宣言通り、ちゃんと手加減はしてくれているらしい。
迫るルーカスの右手を、織羽は上体を反らすことでどうにか回避する。
初撃で終わらなかったことを喜ぶように、ルーカスがにやりと笑う。
「躱したか! やるじゃない――――」
そうして織羽を褒めようとして、しかしその言葉は最後まで続かなかった。
繰り出した右腕が、織羽の胸(偽乳)をがっつりと鷲掴みにしていたからだ。ルーカスは腕を掴みに行こうとしたのだから、あながちあり得なくもない状況ではある。
「おや……スケベ」
表情ひとつ変えぬまま、織羽がぼそりと呟く。
「っ! す、すまないっ!! そんなつもりじゃなくて――――」
真顔でスケベ呼ばわりされ、慌てて弁明するルーカス。大げさに両手を広げるその様は、まるで審判にノーファウルを主張するスポーツ選手のようであった。
だがそんな明らかな隙を、織羽が見逃すはずもなく。
「スキありです」
「本当に悪かっ――――ん? あっ……」
あっさりと。
ルーカスの左手首が、いつの間にやら織羽に掴まれていた。その直後、遠方の亜音から試合終了の合図が齎される。
「勝負ありー!! 勝者、おーりーはー!」
(……相撲かな?)
亜音の怪しい勝ち名乗りを受ける織羽。一方、口をぱくぱくさせながら呆然と立ち尽くすルーカス。
わざわざ凪へと伺いを立て、放課後の貴重な時間を貰い受け、自身の運動不足解消のために従者を借り。いざ始まったかと思えば乳(偽)を揉んで慌ててしまい、そのまま敗北したのだ。なんというべきか、あまりにもあまりな幕切れであった。当然、このままではリーナに顔向けが出来ない。織羽が予想外に強く、接戦の末負けてしまった――というのであればまだ納得も出来る。だがこんな負け方はあまりにも酷い。
「ま、待ってくれ! もう一試合だけ頼めないだろうか!? 今のはその、ちょっとした事故というか……いやっ、本当に申し訳ないとは思っているんだが……」
しどろもどろになりながら、ルーカスは必死に食い下がる。
そんな彼を見つめながら、織羽は僅かに逡巡を見せた。そして、やはり表情ひとつ変えずにこう告げた。
「別に構いませんよ」
「ほ、本当か!?」
思いがけない返事に喜ぶルーカス。
最初はあんなにも嫌がっていた織羽だというのに、一体どういうつもりなのだろうか。
そもそも織羽は、模擬試合そのものが嫌な訳では無い。
隆臣とは頻繁に殴り合いをしていたし、こうした探索者同士で行われる戯れには小さな憧れもあった。織羽が嫌っていたのは、周囲の目がある場で実力を見せることだ。特に今は、何かと自分を怪しんでいる凪の目がある。そんな彼女の前で試合をするなど、ただのリスクでしかない。しかし黙って試合に負けるのも、それはそれで気に入らない。故に、最初は今回の話に乗り気ではなかったのだ。
だが今の一戦で、織羽には分かったことがひとつあった。
それは実力をほとんど出さずに勝つ方法だ。ふと思いついてぶっつけで試してみたが、これが存外上手くいってしまったのだ。
その方法とは、つまり――――
(もちろん構わないよ。そうさ、何度だってかかってくるがいい。でもね、キミはその度にボクの偽乳を揉むことになる。密さんが用意したこの特性スライムパッドをね!! ククク……いつまでこの羞恥に耐えられるかな!?)
なんのことはない。
ルーカスが意図せずセクハラをしてしまったのは、織羽が意図的に偽乳を差し出した所為、というだけの話であった。
虚無を揉め




