第37話
翌朝、白凪館の食堂。
凪を含めた全員で朝食をとることが、すっかり習慣づいてきたその場にて。
「昨晩、屋敷の近くに変態が出たそうです」
そんな花緒里の話題提供に、織羽がぴくりと耳を動かした。
無論表情には出さない。その変態とやらに自分が関わったことを知られたくはなかったし、色々と詳しく説明すれば、要らぬボロが出てしまいそうだったからだ。
故に『女装メイドとして女学園に潜入している織羽』は、素知らぬ顔で声を発した。
「確かに昨晩、何やら外が騒がしかったですね……」
「治安維持部隊が現場に着いた頃には、既に誰も居なかったそうです。街灯がひとつ破壊されていたそうですが」
花緒里は何かと鋭いメイド長だが、どうやら気づかれてはいないらしい。織羽は『一応戦闘経験がある』と申告しているため、『まるで気づきませんでした』とは流石に言えなかったが。一方、ぽかんと口を開けて話を聞いているのは亜音と椿姫の二人だ。どうやら外で騒ぎがあったことにすら、気づかなかった様子である。
「うっそ!? こんな場所にですか!? 全然気づきませんでしたよぉ!?」
「わっ、私も……その、お恥ずかしながら……ぐっすりでしたぁ……すっ、すみませぇん……」
いつものメイド談義を終えて織羽と別れたあと、二人は早々に就寝していたらしい。
だがあの時は、織羽にしろ例の不審者少女にしろ、出来るだけ音を抑えるようにして戦っていた。通報にしても、例の少女による『悲鳴』が原因であろう。大きな音と言えば精々が街灯の転がる音くらいのものであり、それも夢の中に居たなら然程も気にならないだろう。戦闘経験のない素人の二人が気づかないのも仕方がない事だ。
「……物騒ね。このあたりは警備が厳重だから、大丈夫だとは思うけれど……一応、貴女達も注意して頂戴」
途中、凪からの意味深な視線を感じた織羽であったが――――特に反応することもなく、知らんふりをしたまま食事を続けていた。仮に関与を疑われていたとしても、織羽には答えるつもりが微塵もない。というよりそもそもの話、不審者少女の正体も目的も、その一切が分からず仕舞いなのだ。何を聞かれても織羽には答えられない。
そうして凪が締め括り、話はひとまず終了する。
だがこの件に関しては密へ報告しておく必要があるだろう。あるいは、市内に来ている星輝姫に伝えてもいい。何しろ、例の不審者少女は只者ではなかった。凪曰くの『警備が厳重なエリア』へと侵入し、自分と――捕縛のために手を抜いていたとはいえ――渡り合ってみせ、そしてなんだかんだで逃げ果せたのだから。
あれが先の『誘拐事件』に関わる相手ならば、他にもまだ敵が居る可能性もある。敵が数人であればいざ知らず、密が口にしていた例の組織が動いているとすれば、織羽一人では手に余るかもしれない。いずれにせよ、近い内に時間を作らなければ。織羽はそんな風に考えながら、亜音の作った絶品朝食を平らげた。
(あっ……! もしかしてあの不審者が言ってたルーっての、あの時の念動力男のこと……?)
そこで漸く、すっかり忘れていた記憶が蘇る。
(やっぱり関係あるんじゃん……)
倒した相手の事を憶えていないのは、織羽の悪い癖なのかもしれない。
* * *
「――――というわけよ。一応、貴女達も注意して頂戴」
朝食時と同じような警告を、凪はリーナにも行っていた。
リーナが滞在しているのはひとつ隣の高級住宅地である。やはり彼女も金持ちの娘らしく、留学のために大きな別荘を購入したそうだ。故に直接的な関わりはないかもしれないが、しかし通学のために毎朝白凪館へと立ち寄る以上、注意するに越したことはないだろう。
「ははぁ、変態さんですかぁ……でも大丈夫ですっ! ウチには自慢の護衛が居ますのでっ!」
凪の忠告を受けたリーナは、胸を張ってそう答える。
リーナがルーカスに寄せる信頼は、家族に対するそれとほとんど同じだ。だが当の本人であるルーカスはといえば、苦々しい顔をしながら肩を竦めていた。
「ルーカス? どうしました?」
「いや……無論、俺も全力で護るつもりではいるが……だからといって無茶をされては困る。最も効果的な自衛手段とは、最初から危険に近づかないことだ」
恐らくは、以前のナンパ事件を暗に言っているのだろう。織羽が乱入して事なきを得た例のアレだ。
ルーカスは確かに強いが、しかしどんな相手にでも勝てる訳では無い。この実力者が蔓延る九奈白市であればなおさらだ。
「あの時の事を言っているのですか? それなら心配無用ですっ! 私も馬鹿じゃありませんから、もうあんな場所には近づきませんよ」
「ならいいんだが……いや、しかし……うーむ」
リーナの素直な返事を聞いても、しかしルーカスの表情は晴れない。
「まだ何か気になることがあるんですか? でしたら遠慮なく、主人である私に悩みを打ち明けて下さい! 大丈夫、ルーカスが巨乳好きなところまでは既に知っていますよっ!」
「いや、そうではなく……ただ護衛として、主に不自由を強いるのが情けないと思っただけだ」
主人にはのびのびと生活してもらいたい。好きに遊び回り、行動して欲しい。その上で危険が迫れば、隣りにいる護衛がスマートに解決する。これは護衛という役割を持つ者たち全ての理想形だ。だがルーカスの言うそれはただの理想に過ぎない。彼が先程自分で言った『最も効果的な自衛法』は、決して間違いではないのだ。そうするのが普通で、むしろ身の安全を考えればそうしなければならないのだ。
仮に主が誘拐されたとして――――それを追いかけて救出するなど、そんなことは不可能だ。
だからこそ、危険には最初から近寄るべきではないのだ。事が起こってからではどうすことも出来ないのだから。
「それに最近はダンジョンにも潜っていないし、腕が少し鈍っている気がする」
そう言って自らの拳を見つめるルーカス。
彼は生粋の探索者だ。祖国にいた頃はかなりの頻度でダンジョンに潜っていた。しかし今は違う。彼は基本的にリーナの傍を離れられないし、リーナが学園に居る際はいつでも駆けつけられるよう、近くで待機していなければならない。時間が空いたからといって、ダンジョンで暇つぶしを行うことなど許されないのだ。勿論、日頃の鍛錬は怠っていないだろう。だがそれで得られるものなど、ダンジョン内での濃密な経験に比べれば。
「それについては申し訳ないです……あ、でもでもっ! 今度の実習にはルーカスに来てもらうので、その時は好き放題して構いませんよっ!」
「構うに決まっているだろう。護衛として行くんだぞ。護衛対象を放置して探索を行う護衛が、一体どこの世界にいるんだ」
「そ、そうですか……うーん……何かルーカスの運動不足を解消する良い手はないでしょうか……」
「俺を犬か何かだと思っていないか……?」
学園までの道を歩きながら、リーナがうんうんと頭を悩ませる。
そんなリーナを眺めつつ、凪と織羽は『確かに大型犬っぽいな』などと呑気に考えていた。
そうして歩くこと暫く。
最初に声を発したのは意外にもルーカスであった。それも主であるリーナにではなく、凪に対してである。
「あの……凪様。実は、折入ってお願いしたい事があるのですが……」
「あら、私に? 何かしら?」
「本来であれば、私のような一介の護衛風情が、このようなことを申し上げる権利がないことは重々承知して――――」
「そういうのは必要ないわ。さっさと要件を話しなさい」
確かにルーカスの言う通り、本来ならば護衛如きが話しかけていい相手ではない。
だがそこはそれ、お嬢様界の異端児こと九奈白凪である。別に護衛に話しかけられたからといって機嫌が悪くなるような人物ではないし、何かを嘆願されたからといって、内容も聞かずに切って捨てるほど狭量でもない。故に凪は、長々としたルーカスの前口上をぴしゃりと両断する。
「……ありがとうございます。では恐れながら、その……少しの間だけでよいので、織羽さんを貸して頂けないでしょうか」
「えっ」
自分には関係がないと、ここまで適当に聞き流していた織羽。
しかし突如として自分の名前が話題に上がった為か、随分と間抜けな声が口を衝いて出た。
「織羽を?」
「はい。彼女は元探索者だと伺っております。もしよろしければ、少し手合わせをお願いしたいのですが……出来れば継続的に」
「あぁ成程。運動不足解消の為というわけね」
「仰るとおりです」
織羽が元探索者だという事は既に知れている話だ。リーナはもちろんのこと、ルーカスもマリカも知っている。もちろん実力などは全て過小に申告しているが、それでも元探だということには変わりない。つまりこの国に於けるルーカスの知り合いで、かつ彼の相手が出来るのは織羽しかいないのだ。いくら弱かろうと仮にも元探。本気の手合わせはともかく、軽い運動程度であれば問題ないだろう。ルーカスのお願いとは、要するに組手相手の貸出であった。
しかし勿論、織羽からすれば堪ったものではない。
そのようなことはなんとしても阻止せねばならない。織羽はそう考え、早口で色々な言い訳を繰り出した。
「いけません。私のようなへっぽこ探索者崩れのカスでは、ルーカスさんの相手は務まりません。何より私は館の仕事で忙しく――――」
「構わないわよ」
「……チッ」
「聞き間違いかしら? 貴女今、舌打ちしなかった?」
「気の所為です」
こうして鶴の一声ならぬ凪の一声で、織羽とルーカスの組手が決定したのであった。
何故なろうのルビには文字制限があるのか……




